2023年7月17日

 母の誕生日に父母と僕の三人で南知多の浜辺に出かけた。ちょうど梅雨が明けた頃合いで、まさに酷暑だった。海へと着いたのは午前十一時。早めの昼飯として海鮮のバーベキューをする。父は延々と焼き場担当で、海老だのホタテだのを焼きながら炭をつぎ足しながらビールを飲みまくっていた。母は相変わらず無邪気に食べては飲んで楽しんでいるようだった。

 そのあと市場で何かと土産物を買ったりなどしているうちにいい時間になったが、すぐに帰るのも名残惜しいのか、車で十分ほどの花畑へ行くことになる。知多は場所によってはいかにも鄙びており、だだっ広い畑が広がってもいるものだから、母はそれを見て無邪気にも北海道みたいだとかなんだとか、おーっと言いながら窓外を眺めていた。本当に無邪気そのものである。

 花畑は向日葵ばかりで死ぬように暑く、人の背よりも高い向日葵が皆同じほうを向いて、いやになるくらい青く晴れた夏空に伸びていた。僕は澄ました顔をしていたが、なかなか壮観だと思った。めまいを覚えるほどの暑さのせいか夢の中にいる心地さえした。そんな夢の中に、幻の中に、目の痛くなるほど鮮やかな黄色の煌めきを背にして、母が歩いていた。後ろには暑さと酔いで鼻を赤くした父がいた。この鮮烈な光景を僕は一生忘れないであろう。美しかった。美しい女や美しい絵を見て湧きおこる昂揚感などではなくて、なにか別種の美しさだった、それは母の無邪気さの美しさなのかもしれない。

 帰ってきて、しばしエアコンの効いた部屋で涼みながらうつらうつらし、市場で買ってきたワタリガニを茹でて食べるなどし、例によって泥酔した父は蟹を半分も食べないうちに居室のソファに寝そべってそのまま眠りこけた。母は花畑で採ってきた向日葵をテーブルに飾ったが、帰路での暑さのせいか若干萎れていたから、台所の盥にしばらく茎を浸しておいた。少しは復活した。父のいびきを疎みつつ二人でダラダラしながら飼い猫を愛でつつテレビを観ていた。番組は原付で旅するもので、奇しくもその舞台は知多をロケ地としていた。

 母は、翌朝散歩に行くからと言って、また疲れもあったのだろう早々に眠った。残された僕は向日葵を見た。向日葵はさして好きな花ではないが、なぜだかその向日葵は美しく見えた。見ているうち悲しくなった。花弁に触れた。力強く無邪気で元気で明るく、美しかった。母に似ていると思った。そう思ったら堰を切ったようにさまざまな感情と思念が湧き起こってきた。

 風呂に入りながら考える。どうして、なにかプレゼントのひとつも贈ってやらなかったんだろうか。それに今日は誕生日だったのだから、変に澄ましてなんていないで普通に楽しむ態度を僕は表すべきだったのではないか(まさしく母のように無邪気に、父のように考え無しに)
 僕は、再び膝下を離れて父母を安心させてあげなくてはならない。精神の病に侵されて東京の会社を辞め、実家に戻ってきてすでに一年半が経つ。少しは回復はしたが、心も体も思うように動かない。今日の遠出にしたって僕にはハードな活動なのだ。こんなことでは自信など持てない。怖い。情けないのは分かっている。親不孝なことも承知だ。

 今、風呂から上がってこれを書いている。僕の目の前には向日葵がある。この向日葵は母なのだ。母は向日葵のように明るく無邪気で美しく、愛らしい。畏敬さえ覚えたかもしれない。そんな母に少しの祝いもできなかった自分を本当に恥じた。
 母は今日、還暦を迎えたのだ。そうは思えないほど若々しいのは心が若いからだろう。どこまでも無邪気な母。だが、年齢は年齢だ。あと二十年三十年と決まっているわけではない。十年や五年、いやもっと短くたっておかしくはない。六十歳とはそういう年齢だ。
 なぜ僕は素直におめでとうと言えないのか。なぜ素直に、体に気をつけろよ、の一言も言ってあげられないのか。

 僕は今日を境にして変わらねばならない。病気だなんだ、プライドがなんだ、理想はこうだなんて考えてばかりで甘ったれている自分を殺すのだ。君がすべきは孝行である。結婚して孝行だとか大金を稼いで孝行だとか、そういうことではない。どん底の今から、自分一人で生きていけるような状況を自らの手で掴みにいかねばならない。それが僕なりの孝行だ。そうすれば、父母の誕生日をちゃんと祝ってあげられる。それだけで良いのだ。君はそれだけのために頑張ればいい。

 鬱になって帰ってきて、確かに余計者には違いないが、こうして今日という日を過ごせたのはよいことだった。病気になっていなければ、東京で忙しなく働いて、二人が老いていくのを(まあ二人は楽しく老いていくのだろうが)ただ遠くから見届けるだけになっていたはずだ。

 僕はやらなければならない。立ち上がらなければならない。理屈もクソもないのだ。病がなんだというんだ。やるしかない。尊厳とかプライドとかそんなチャチなもののためではなく、愛のためにただやるのだ。
 このところずっと、いや鬱病になってからというもの僕は毎日死にたいと考えてきた。だが僕は絶対に生きなくてはならない。何があろうとも生きなくてはならない。迷妄を起こしたら今日の気持ちを思い出すことだ。

 翌日、神社へ散歩へ行った。これも治療の一環だ。手を合わせ目を瞑る。心を空にしようとするも、僕の胸底から不思議な声が聞こえた。
 自分のことを神に祈る前に、身近な人を大切にし、その人たちのために祈りなさい。そうして初めて、自己本位が成り立つと知りなさい――。

 *

 あの夏から半年後、僕は五年ぶり二度目の就活の末、社会復帰を果たした。あの向日葵が、つまり母の化身が、僕をここまで奮い立たせたなどとは、よもや母は思うまい。

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