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都市のあらゆるスキマに/ゴードン・マッタ=クラーク展

東京国立近代美術館で9月17日まで開催中の「ゴードン・マッタ=クラーク展」を観てきました。

1970年代にニューヨークを中心に活躍し、35歳で夭折したアーティスト、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-78)。アート、建築、ストリートカルチャー、食など多くの分野でフォロワーを生み続ける先駆者の、アジア初回顧展です。
国立近代美術館公式サイト:http://www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/

特別展チケットを買えば、2〜4階まで大充実の常設展が見られるのが、近代美術館のいいところ。万一(結局そういうことは今までないんですが)特別展がイマイチでも、常設展で絶対取り返せるという保証がある。ということで、お名前は知らなかったものの、行ってみることに。

結果どうなったかーー1970年代、急速に変化するニューヨークを見つめた彼の視点は、想像をはるかに超えてジャンルレスで、多面的でした。
都市のすみずみまで行き渡る彼の目を通して感じたことを記録しておきます。

まずは彼が大学で学んだ<建築>
再開発や増改築で取り壊される前の建物をまっぷたつ、あるいは様々な形の枠で切断する「ビルディング・カット」。本当に断面からうしろの景色が見えます。想像以上にアナログな作業風景。家の土台を傾斜させて、明確な空白を作っていました。カットされた断面から突如露出するあたたかい光と日常の残像に気付くと、否が応でも真っ白に整備されたビル街に暮らすことの意味を考えてしまいます。

カットの対象となる建物は、社会から疎外されたことで、逆に皆に開かれたスペースとなっているーーと作者は指摘します。断面から差し込む光と、だれかの縄張りから解放された宙吊りの状態がもたらす心地よさがリンクしているように感じられる作品です。

「再開発と言う名のもとで、殆ど存在していないアメリカの過去を綺麗に拭き取り、歩道や駐車場で整備していってしまう、そんな衛生的な強迫観念に反発しているんだ。保存を呼びかけているというよりもね。」
作者インタビューより

<食>
レストランであり、ギャラリーでもある店「フード」。アーティストが働きながら作品を展示できます。ギャラリー、カフェ、ダイナー、雑貨屋を混ぜたような雰囲気でしょうか。彼のビルディング・カットなどの建築や都市に介入する作品は、このお店を改装するときに湧いてきたアイデアだといいます。アーティストとしての生活に、食という要素をかけあわせてここまで実践していた人を、初めて知ったような気がします。

<グラフィティ>

ゴードン・マッタ=クラークは、建築、食、彫刻に映像、写真まで、多様ななメディアを通じて作品が形作られていて、ざっと会場を通り過ぎると、合同展なんじゃないかと勘違いしてしまうこと請け合いです。先程は「食」という要素の掛け合わせに驚きましたが、ここに更にグラフィティが加わったことに、個人的には大変感銘を受けました。もともとBanksyのファンで、映画Exit through the gift shopを観て、最近はファイブ・ポインツ関連のニュース(※)を追っていたので、急に開けた空間に、長大な落書きされた電車の側面写真が現れたとき、彼の作品はここまでカバーするのか!と目を見開きました。

※参考記事「落書きアート消した開発業者に賠償命令7億円超、米NY」
http://www.afpbb.com/articles/-/3162403

この展示の最後には、落書きされた(グラフィティが施された、ともいえる)電車の側面のモノクロ写真がたくさん置かれています。老若男女が好きな色で塗りつぶし、ゴードン・マッタ=クラークと同じように作品を完成させます。横をみると、自分の身の回りの「ゴードン・マッタ=クラークっぽい」風景をInstagramで投稿する企画も。一見カンタンな作業に見えて、やり始めるとけっこう考え込んでしまうものです。ライトに気軽にアート体験ができる空間、素敵だと思いますし、作者の作品に通底する軽やかさを、展示の最後にあらためて思い出させてくれます。







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