欲を叶える美しさ

俺は特定の宗教を信仰しておらず、資本主義国家に生きているから、欲求は自らの力で公共の福祉に反しない限り自由に満たすものだと思っているんだよな。

だけど、宗教によっては禁欲を是として、それを遵守することで徳を積んだり審判に備えるなんて事がある訳だよな。

でもこの禁欲って考え方は、結構傲慢な考え方だと思うんだ。

極論を言ってしまえば、味覚がなければ食を楽しめない
両手がなければ自慰も出来ない。
睡眠障害なら満足に眠れやしない。
極端に言わなくても、金がないやつは清貧に甘んじるしかない訳だ。

まあ欲求を暴走させたり、些細な事で喜びを感じれるってのは禁欲のメリットだとは思うけど。

正直俺は何故禁欲を是とする宗教が禁欲させているのかは知らない。
俺の想像もしないような合理的な理由があるのかも分からない。

だけど俺は思うんだよな。

欲求を我慢するのが是であり美とされるなら、欲求を叶えようとするのもまた是であり美とされるべきだと。

金がないなら金を稼ぐ方法を模索し、
睡眠障害を患っても眠りにつく方法を見つけ、
両腕がなくても女を抱く方法を編み出し、
味覚がなくても例えば見た目の彩りで食を楽しむ。


これらの欲求を叶えるための努力は、十分俺の目には美しく見えるけどどうだろうか。

恐らく大抵の人間が行う努力は、ケンリックのピラミッドの内容物に収まると思う。

上から
子育て
配偶者の維持
配偶者の獲得
地位/尊重
所属
自己防衛
急を要する生理的欲求

出典
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3161123/

そして、これらのどの欲求を叶えるのにもそれ相応の努力を必要とする。

なら、欲求を叶えるその努力をこそ美徳とするべきだよな。

持ってる物を捨てるのと、持っていない物を手に入れるの、どちらが簡単かなんて自明なんだから。

だいたいそんな感じ。

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