ボカロ曲と「音と音の間」

先日、2023春ボカコレのTOP10を聞きました。 あえて動画は見ず、音楽だけ何回も。
好き/嫌いを抜きにすれば、どれも文句なしで素晴らしい出来。 自分には真似できないものがたくさんありました。
好き/嫌いで言えば、2位の「一千光年」と3位の「スターダストメドレー」以外はみんなダークでヒリヒリしていて、お腹いっぱいになってしまいました。
とにかくみんなガチャガチャ、トゲトゲしてて、明らかにボカロ曲には傾向があります。

今回は特に音価の部分について、ボカロ曲(おそらくプログラムでやる音楽全般)と、それ以外のオーガニックでやる音楽の違いについて考えたいです。

私が考えるに、演奏する人は「音と音の間」で音楽をやっているところが大きいと思っています。
きっとそれは、例えばそれは微妙なピッチの変化であったり、無音でもリズムやグルーヴなど、音楽家として鍛えた人間の身体から生まれるものだと思います。そうやって譜面以外の情報を追加してくのだと思います。

でもボカロ曲やDTM、つまりプログラムでやる音楽はそれを再現するのが難しいのでしょう。
なのでとにかく音で埋め尽くすのだと思います。とにかくハイテンポで音価を短くして連続して、ガチャガチャさせる。
「ボカロ曲」はそうやって情報量を追加する快楽の音楽だと思うのです。

ならば「音と音の間」の快楽をそこで提示しても意味ないな、と改めて思いました。
ボカコレのトップ10を聞く限り、ボカロファンはそれをを求めていないことは確かだと感じますので。

となると、私のような「音と音の間」のある音楽を愛する人が、ボカロ界隈で勝負するのは、魚が陸に上がるのと同じことです。
とはいえレイトスターターでは演奏の世界でも勝負になりません。
ではどこでどうやって戦うべきだろうか? とずっと考えているのですが、答えが出ません。


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