誰が物語るのか/人称と視点

 プロットの作り方から話がちょっとそれるのですが、先にしておいたほうがいいかなと思うのが、人称と視点についてです。ある程度長い物語を書くようになると、わりとぶつかりがちな問題ではないでしょうか。
 まず基本的なところから。人称ってなに。視点ってなに。……というのを確認しておきましょう。

●人称……文の述語の表わす動作・状態の主体と,その文の話し手との関係にかかわるもので,話 者を含むものを一人称,対者を含むものを二人称,それ以外のものを三人称という。 (コトバンクより)

●視点……物語を「誰の視点で書くか」ということ。

 人称、ちょっと難しい説明なので補足しますね。
 小説で使われるのは主に一人称か三人称です。同じ場面を、ふたつの人称で書き分けてみましょう。

一人称……『僕はコーヒーを飲んだ。冷めていて悲しくなった。もちろん、僕が考え事をしていたから冷めてしまったんだけど……それでも、なんだかやりきれなかったのだ。』
三人称……『鈴木はコーヒーを飲んだ。冷めていたので、悲しくなった。コーヒーが冷めたのは、鈴木が物思いに耽っていたからだし、それを鈴木自身も理解していたものの、やれきれない思いは拭えなかった。』

 このようになります。三人称の方が客観的な雰囲気があるのがお分かりいただけるでしょうか。ちなみにに二人称小説(「あなたは~した」という形)というのもありますが、滅多にないのでここでは割愛させていただきます。

 さて、一人称は特定のキャラクターが自分の言葉で物語を語っていくという形です。わかりやすく、読みやすく、また、地の文(セリフ以外の文章)でもキャラクターの個性を出すことができます。
 ただし欠点もありまして、一人称小説では、そのキャラクターがいない場面は書けません。小説全編が主人公・タロウの一人称だとすると、タロウの登場していない場面は書けなくなってしまいます。だって語り手のタロウがいないんだから。またタロウがいる場面でも、タロウの視界に入っていないものは書けません。タロウがジローと喋っているあいだ、その背後で猫が可愛く伸びをしていても、タロウには見えていないので書けないのです。書いてはいけないのです。

 では三人称だとどうでしょう。三人称ならば、なんの制限もなく書けるのか……というと、それもまた違います。なぜなら通常、三人称でも視点は固定化するからです。つまり、特定のキャラの視点で物語を進めます。そのキャラがいない場面は書けないし、そのキャラが見ていない場面も書けません。書く場合は「~だったらしい」「~だったと、あとから聞いた」という形になります。

「なぜ視点は固定しなければならないの? 視点を自由にすれば、もっと小説も自由になるのに!」
 と思う方がいらっしゃるかもしれません。確かにそうなのです。ですから小説の中ではある程度の視点の移動はOKです。例えば章が変われば、視点を変えるのはまったく問題ありません。章が変わることで、読み手の中でもひと区切りついているからです。新しい章のなるべく早い段階で、今度は誰の視点で物語が進んでいるのかということを、読者さんにお知らせすればそれでいいのです。
 しかし同じ章の中でくるくる視点が変わるということはおすすめできません。というか読みにくいです。可能か不可能かという話で言えばできないわけではないです。いま、地の文で書かれた行為、事象、それらのすべてを誰が見たのかということをいちいち報告するのであればできなくはない。ただしやっぱり読みにくいです。……やってみようか(笑)


 
 タロウはジローを見据えて言った。
「犯人は田中先生だと思うんだよ。だって、先生の両手は血まみれだったじゃないか」
 ジローの顔色が変わる。
「田中先生は潔白だ」
 上擦った声でジローは言った。タロウの中に疑惑が生ずる。
「田中先生はそんなことをする人じゃない。あれはケチャップだよ。田中先生はオムライスを作っていたんだ」
 ジローはヒヤヒヤしながらそう主張した。
 なんとしても田中先生を守らなければならない。先生を守れるのはジローだけなのだ。そのためにはタロウの疑惑をほかの人物に向ければ……ジローはそう判断し、
「花子さんが怪しい。彼女はあの時、調理台の下に隠れてたんだぜ」
 と告げる。ジローの瞼が不自然にピクピク動いているのを見たタロウは、ジローが嘘をついて田中先生を庇っているのだと思った。ということは、ふたりは特別な関係にあるのだろうか。ますます怪しいし、なんだか面白くない。タロウは眉を寄せる。
「ちょっと待ってよ」
 花子は勢いよくドアを開けて「なんであたしを疑うの」と文句を言った。まったく身に覚えがないのに、犯人にされるなんてひどい話だ。あの時隠れていたのは、ジローと田中先生の雰囲気がおかしくて、ふたりがなにを話すのか気になったからであって、それ以外の理由なんてないのに。
「花子さん。きみは嘘つきだな」
 花子さんゴメン……と心の中で謝りながらジローは言う。誰かが犠牲になってくれなければ、田中先生は助けられない。
「ちょっと、タロウくん、なんとか言って。私はホントに関係ないの」
 花子はタロウを見てそう頼んだ。タロウならなんとかしてくれると信じていた。タロウは最初、花子を怪訝な顔でみていたが、やがて疑惑の眼差しは再びジローに向けられた。タロウにとって、ジローは親友だった。少なくともタロウはそう思っていたのに……ジローは田中先生を選ぶというのか。

うん……読めますよね。読めることは読める。なにが起きているかもわかる。でも、タロウ、ジロー、花子、誰の心情に沿って読んだらいいのか、なんか混乱しませんか? これが延々、ノベルスで250ページ続いたら、やっぱり疲れると思うのです。

 これはいわゆる神視点というものです。作者視点、と言ってもいいかもしれません。作者はキャラの事情や気持ちをすべてわかっているので、誰の視点にもなり得ます。なのでバンバン視点を変えて書くことが可能です。とても壮大なファンタジーや、スペースオペラなど、事象の変遷が激しくてエピソードが山盛り、いちいちキャラの心情を深く掘り下げていると物語が進まなくて困る……という場合は、この神視点が適している場合もあります。しかし一般的には、やはり視点は誰かに固定した方が読みやすいのです。
 
 ではさきほどの文章をタロウくん視点に固定してみましょう。


 タロウはジローを見据えて言った。
「犯人は田中先生だと思うんだよ。だって、先生の両手は血まみれだったじゃないか」
 ジローの顔色が変わるのを、タロウは見逃さなかった。
「田中先生は潔白だ」
 ジローの声は上擦っている。タロウの中に疑惑が生じた。
「田中先生はそんなことをする人じゃない。あれはケチャップだよ。田中先生はオムライスを作っていたんだ」
 ジローはそう主張したが、声にも顔色にも緊張が窺える。なんとしても田中先生を守らなければならない、先生を守れるのは自分だけなのだ……そんなジローの心の声が聞こえるようで、タロウの心がチクリと痛む。
「花子さんが怪しい。彼女はあの時、調理台の下に隠れてたんだぜ」
 唐突に、ジローはそんなことを言い出す。その瞼は不自然にピクピク動いていた。ジローは嘘をついてまで、田中先生を庇っているのだ。ふたりはなにか特別な関係にあるのだろうか……ますます怪しいし、なんだか面白くない。タロウは自分の眉根がキュッと集まるのを感じた。
「ちょっと待ってよ」
 勢いよくドアが開く。入ってきたのは花子だ。
「なんであたしを疑うの」
 まったく身に覚えがない、という顔で文句を言う。一瞬びっくりしたタロウだが、花子が怒るのはもっともだよなと思った。ジローは花子に罪をなすりつけようとしているが、いくらなんでも無理がある。
「花子さん。きみは嘘つきだな」
 ジローは必死に言うが、その必死さが、ジローの嘘を物語っていた。花子を犠牲にしてでも、田中先生を助けたいのか。
「ちょっと、タロウくん、なんとか言って。私はホントに関係ないの」
 花子に懇願され、タロウはジローを見つめた。もちろん、タロウは花子が犯人だとは思っていない。単に興味本位で、ジローと田中先生の話を盗み聞きしようとしていたのだろう。なのにジローは……タロウが親友だと思っていたジローは、滑稽なまでの必死さで、花子に濡れ衣を着せようとしているのだ。


 こんな感じになります。……こっちのほうが読みにくいという人がいたらどうしよう(笑) まあ、感覚的なものもあるので、そういう場合はしかたないですが、一般的には読みやすくなってると思います。
 これ、今、思いつくままに書いただけなんですが、やっぱり私自身がタロウに視点を固定すると書きやすくて、タロウの心情にも入っていきやすいんですよね。ずっとタロウの気持ちを追っていけばいいわけですから。つまり視点の固定は、読者さんのためでけではなく、書き手にとってもやりやすい方法だと思っています。……ところで田中先生は男なのか女なのか……(笑)

 さらに、視点を固定すると、地の文にそのキャラの個性が滲み出ます。一人称ほどはっきりとは出ませんが、ある程度のニュアンスが出てくる……というか、出して書くのがよいと思います。
 ひとつの例として、拙著の『夏の塩 魚住くんシリーズ1』から、文頭を抜粋してみます。これは三人称であり、久留米というキャラクターの視点です。


  
 どんな奴にでもひとつくらいの取り柄はあるものだな――魚住を見ながら、久留米はそう思った。
 起き抜けの魚住はいま、焦げ過ぎたトーストを半分眠っているような顔で食べている。さっき、いくらなんでも炭素化し過ぎたので捨てようと思ったのだが、ためしに魚住の皿に載せてみたら食べ始めたのだ。まるで機械じかけのように躊躇なく。

 大学時代からの友人である魚住真澄が、久留米のアパートに転がり込んできて三日が経つ。その間に魚住が食べ物に関して不平不満を言うことは一切なかった。出されたものを嫌いだと拒否することもなく、それ以前に空腹を訴えたことすら皆無だった。二十五歳の健康な成人男子とは思えないほど食べ物に執着のない奴である。
 久留米は金もないし、料理のセンスはもっとないので、ろくでもない食事が続いている。だが、伸びたラーメンの中に冷や飯をぶち込もうと、サンドイッチの具がマヨネーズだけだろうと、そのパンに若干の青黴が付着していようと、魚住はなんのコメントもなく口に運ぶ。その姿は修行中の雲水が粥でも食しているかのようだ。レストランのショーケースの中に飾ってあるロウ細工でも、こいつなら食べるかもしれない……と久留米は思った。

「おまえ、それ、苦くない?」
「べつに」
「ジャムぬれば? ほれ、イチゴジャム」
「いい」
 珍しい久留米の世話焼きに、魚住はうるさげに眉間に皺を寄せた。


                    角川書店『夏の塩』より抜粋


それでは、仮にこれを魚住視点にして書くと、どうなるかと言うと……


 
 パンだな、と魚住は思った。
 四角いパンだ。焼いてある。つまりトーストだ。トーストといえば『こんがりとキツネ色に焼けた』などという表現をよく聞くが、いま魚住の目の前にあるトーストとはかなり黒ずんでいる。きつね色どころではないと思いかけて、でもキツネ色って結局どんな色なんだろうと考え直す。魚住はキツネに会ったことがないからよくわからない。

 このトーストは久留米が焼いてくれた。久留米充は大学の頃からの友人だ。唐突に転がり込んできた魚住を、わりとはっきり「迷惑な奴だよな、おまえって」と言いながらも居候させてくれている。サラリーマンなので、背広を着てネクタイを締めて毎朝会社に行くわけだ。すごいよなと思う。久留米が会社でなにをしているのかまったく知らない魚住だが、あの殺人的な満員電車に毎朝乗れるだけでも、たいしたものだと思う。魚住も避けられない所用で、通勤ラッシュの電車に乗ったことがあるが、ほとんど拷問に近かった。でなければ修行だ。パーソナルスペースを激しく侵してくる車内で、人々はどんな心持ちでいるのだろうか。みんな心の中で色即是空、空即是色……とか考えているのだろうか。
 かくも過酷な満員電車に乗れる久留米だが、トーストは焦がす。

「おまえ、それ、苦くない?」
 久留米に聞かれて「べつに」と答えた。
 多少焦げていても食べられないわけではない。アミノ酸の一部は、焦げると発癌性物質に変成するが、相当な量の焦げを食べなければ人体にさしたる影響は出ない。
「ジャムぬれば? ほれ、イチゴジャム」
「いい」
 なんの気まぐれか、珍しく世話を焼いてくる。でもジャムはいらない。本当に、たいして苦さは感じなかったのだ。こんなに黒いのになあと、自分でもちょっと不思議だった。


 こんなところでしょうか。
 魚住というキャラクターは、一見ボーッとした青年ですが理系の大学院生です。地の文で使われる語彙に、そういう雰囲気が出てきます。一方で、その上の久留米視点では、久留米というキャラの大雑把な雰囲気が地の文に出るわけです。まったく同じシーンを書いていても、視点が変わるとこのように変化します。

 ではなぜ、私は久留米の視点で書いたのか。それは、この小説の魚住真澄という人物を、読者さんに紹介するためです。
 1巻の冒頭は、なにはともあれキャラを紹介しなければなりません。ですが魚住はボーッとした青年で、自分のことにあまり興味がないタイプです。そういうキャラを視点にすると、自分のことをあまり語りたがりません。まったく関係ないことをツラツラ語ってしまったりします。それでは困るので、久留米という紹介者を登場させ、彼の視点で『顔はいいけど、どこか変わり者の魚住』を語らせるわたです。……というか、たぶん無意識にそうしたんだと思います。じつは、当時はなにも考えていなかった(笑)

 『どんなエピソードを書くか』というのは、同時に『それを、どのキャラに語らせるか』という問題でもあります。それによって、物語の雰囲気や展開は大きく変わるので、私はプロットの段階で、誰の視点なのかを決めてしまいます。プロット作りがいまいちうまくいかない方は、視点を意識してみると、やりやすくなるかもしれません。とくに、事件モノやミステリ仕立ての場合は、適した方法だと思います。
 とはいえ、この方法がベストというわけではないです。プロットで視点を決めてしまうと、ある意味、視点の縛りができるので、書きにくくなるケースもありえます。作風にもよりますし、結局はケースバイケースなので、色々と試してみて、自分にとってやりやすい方法を見つけて下さい。

 人称と視点について、少しはお役に立てそうでしょうか。
 ご質問、ご意見はお気軽にコメントしてください(^^)


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