ある日から、ある日まで。1

プロローグ

空の色は確か、水色。
そうであったはずだった。
時計の短針が左隣の数字に位置を変えると同時に、空の光が絞られていく。まるで誰かが世界を狭くしているかのように、空が黒く染まり始め、青空の中で雲と同色で存在していたはずの月も、暗闇を照らすライトのように光っていた。
月は1人の男を照らし、彼もまた、その月をじっと見つめている。右手に小さな銀色の懐中時計を握りしめながら。
「あと少し。」
男の脳内には、そんな言葉が浮かんでいる。あと3分で、この世界の1日は終わり、新たな1日がやって来る。この3分の残りの今日を終えた時、やっと彼の役目は果たされる。それは決して悲しい結末を迎えるという意味ではないが、その結末がどうあるかを彼自身、知ることはできない。ただ彼の心は一貫として1つの目的を果たすために動き、今、その目的が無事達成されるのを待っている。
男は懐中時計へと目を向け、そっと呟く。
「終了。」
彼の懐中時計が指した時刻は、今日と明日の境界線だった。もう戻ることも進むことも出来ない。そこに虚しさを感じつつ、この世界に明日が無事に訪れた幸福感を感じる。もう、これで終わりだ。
「さぁ、帰ろうか。あの人の為に。」
男は懐中時計から月へと目線を再び移し、左手を月へと伸ばす。どれだけ伸ばしても掴めないけれど、人はあそこに立つことが出来る。
彼の左手が月を隠す。その瞬間、
月は彼を照らすことが出来なくなった。

「彼は、世界から姿を消した。」

1、はじまりのはじまり

あぁ、唐揚げが無性に食べたいなぁ。と、飛び立つハトを見ながら思い、マグロ食べたいなぁ。と、水族館のマグロを見て思っている事なんて、いまここで言えやしない。ましてや朝食を食べ損ね、がっつりご飯が食べたいことなど今は言えない。きっと嫌われる。
「このパンケーキのクリームの色やばーい!青いんだけどーぉ」
どうしてだろうね。食べたいとは思わない。
「1000円だってさー、高いけど食べたーい」
「デザートに1000円なんか出せるわけないだろ。っていうか、青いクリームのより普通のパンケーキ食べたいんだけど。もっと言うなら、お好み焼き食べたいんだけど。」
「えぇーっ、お好み焼きとか、形しか同じじゃないじゃん。丸いとこしか類似点ないじゃん。」
「似たようなもんだろ。どっちも粉だし。」
「陽ちゃん、全然違うって!だってパンケーキのほうがかわいいじゃん。」
「パンケーキにかわいいも可愛くないもへったくりも無いだろ。可愛くないパンケーキってどんな状態になった時に言うんだよ。」
「お好み焼きってごっついじゃん。」
「いや、あれはごっつくなきゃ、お好み焼きじゃないんだよ。ペラペラなお好み焼きが出てきたらそれは詐欺だ。おやつとして出す、夜ご飯には本格参入しないくらいのやつだ。」
 私が口を挟まぬ間にパンケーキからお好み焼きについての論争へと発展しているのだが、なんとなく2人の論争はややおかしい。朝ご飯と同様に昼ごはんを食べ損ねようとしているこの状況をとにかく打破し、最高潮の空腹をどうにかしなければ、この空腹はやがて吐き気へと変わる事を、私は知っている。そんなイリュージョン起こしてたまるか。早くなんでもいいから口に入れなければ。そんな使命感に駆られつつ、腕時計の時間が午後4時を指しているのを見てしまった。あぁ、どんどん昼が過ぎていく。もうどこだっていいでしょ、食べられれば!水族館のフードコートがガラガラだったのに、二人がここで食べたくないっていうから色々と探しているけど、全然探す気ないじゃんか!粉もの同士で争ってどうする!
 そう、思ってから10分後、今、私は大量の汗をかき、1人、立ち尽くしている。さらに付け加えると、私は今、迷子だ。
 さて、なぜ、こうなったか説明すると、お好み焼き派だった陽ちゃんが突然、「トイレに行きたい」と言い出し、突如走り出し、それを追うように走ろうとしたら、パンケーキ派のハルちゃんが「のど乾いたぁ~」と言いながら、急に自販機で飲み物を買い、ベンチに座るという静と動が同時に起こるカオスな状況が繰り広げられ、どちらと一緒に居ればよいのか悩んでいる最中、トイレへと直行しようと走る陽ちゃんが、明らかにトイレとは逆方向に激走しているのが目に入り、これはついていかなくてはいけない!っていうか、そっちじゃない!と言いに行くために陽ちゃんの方へと向かったら、俊敏な、と言うよりも生理現象で追い詰められた、見たこともない速さで走る陽ちゃんに追いつけず、見失い、さらに、自分自身の位置が把握できなくなり、結果、私は立派な迷子になったのだ。
 ゆったり、炭酸を飲みベンチに座って休むハルちゃん。トイレを求め激走する陽ちゃん。ただただ、知らぬ場所に立っているだけの私。という三者三様な状況が只今絶賛現在進行中。さらに私の空腹も現在進行中。あぁ、そろそろ空腹が限界を超えるぞ。もう、パンケーキでもお好み焼きでもなんでもいいから口に入れたい。この辺に何か店はないだろうかと見回すが、何もない。あぁ、どうしたものか。すると遠くの方から見覚えのある人が手を振ってこっちに向かってくる。先程まで全速力で走っていたのに、こちらに向かう足取りはとても軽やかだ。途中からスキップしている。
「いやぁ、助けられた。すっごい形相で走ってたら、そこのばあちゃんが声かけてくれてさ。トイレに行きたい!って言ったら、あっちだよぉ!ってさ、大声で教えてくれてさ、そんな我慢するもんじゃないよって笑われたわ。」私に会うなりそう言う陽ちゃんの左手には、なぜか1本のキュウリが握られている。
「ねぇ、なにそれ、どこから持ってきたの?」
「あぁ、これ?そこで拾った。」
なぜキュウリがそこに落ちてるんだよ。しかもなんで拾って持ってきちゃうのさ、陽ちゃん。
「あれ?ハルはどうした?なんでいないの?」
「ハルちゃんはベンチで休憩中。私は陽ちゃんが方向間違えてたから付いて来たんだよ。全然違うところに行くんだもん陽ちゃん。焦ったよ。」
「ははっ。やっぱり、違ったかぁ。どうりで見当たらないなぁって思ったんだよ。こんな緊迫した状況なのに嘘つかれたと思って一瞬だけどキレそうになったわ。まぁ優しいばあちゃんに会えてよかったけど。あのばあちゃんマジ天使だわ。」
「天使って、行きたいなら早く言ってよ。もうそれ我慢の域を超えてるよ。あと、もうそろそろハルちゃんのとこ戻ろ。ハルちゃん今1人だし。」
「そうだな。戻ってやるか。」
あっ、その前に一応ハルちゃんに連絡しないとハルちゃん心配してるかもしれないから連絡、連絡。えぇーと、携帯…。あれ?携帯どこだろ?あれっ、んんっ!けっ、携帯が無い!!全身を叩きまくり、さらに斜めがけのお気に入りバックの中も捜索するがどこにも携帯が無い。もしかして、どこかで落としたのだろうか。でもどこで落としたのか、走る陽ちゃんを追うのに必死で何も覚えてない。おぉ、焦るな自分、焦るとろくな事ない。ふぅーっ。深呼吸、深呼吸。
「どうした?なんか慌ててるみたいだけど。あっ、キュウリ食う?」
キュウリは食いたい。お腹すいてるし。いやいや、出所不明のキュウリは食えない、食いたくない。
「いやっ、けっ、携帯落としたかもぉ・・。」
「あぁ、携帯?これでしょ?」
彼女のバックからなぜか自分の携帯が出てきた。しかも何食わぬ顔をしている。なんであんたが持ってんだ!
「なんで陽ちゃん持ってんの!私の携帯!」
「落としてたから拾ったんだよ。マグロ見に行った時、お前、ずーっとマグロを目で追ってるから、どんだけマグロ好きなんだよって思って、渡すの後でいいやって思ったら忘れてたんだよ。そしたらトイレ行きたくなって、で、今に至る。」
「ウゥッ、忘れないでよぉ!あの時はお腹空いてたの!あと陽ちゃん、私のことお前って呼ばないで!」
まぁ私も心の中であんたって言ったけど。
「あぁごめん、ごめん。不意に言っちまった。本意じゃないから許して。ってかマグロ見て,食いたいってどんだけ腹減ってんの。言えばよかったじゃん。」
「いっ、言いたかったけど、言えなかったの! もぉーっ…。まぁ、拾ってくれてありがとう。助かりましたっ!」
感謝を忘れるほど、私は悪い人じゃない。
陽ちゃんから携帯を受け取り、電源をいれると大量のメッセージが届いていた。ハルちゃんからだ。内容は「大至急集合」「早く来て!」「速攻で!」というなんとも急がされてる内容だった。なにかあったのだろうか。「どうしたの?」と返信するとすぐに、「言葉では言えない。」と返ってきたが、言葉に出来ない状況に私たちを近づかせようとしているのが恐ろしい。ただその本音を言うと、きっと怒られるので言わない事にするが、とにかく、ハルちゃんのところまで急いで戻らないといけないらしい。
「ハルちゃん、何かあったみたいだから、急いで戻ろう。」
「何があったんだ?」
「知らない。言葉じゃ言えないんだって。」
「そんなよく分からないとこに集めるのか、私たちを。」
陽ちゃんは、口に出してしまうタイプらしい。
「仕方ないじゃん、呼ばれてるんだから。行ってあげないとかわいそうだよ。」
私たちは駆け足で携帯の地図のアプリを見ながらハルちゃんがいるところまで戻った。すると、ハルちゃんはベンチの後ろに身を潜めていた。まるでドラマで見た刑事のようにベンチの隙間から何か見ながら炭酸を飲んでいる。
「どうしたの?ハルちゃん、なにしてるの?」
「ほら、あそこ見て、あの黒い服の男の人。」
彼女が言った方向を見ると、黒いスーツを着た男の人が立っていた。彼の手には光に反射する何かが握られているようだったがよく見えない。だが、何度も彼はその光る物を見ては、空を見てを繰り返し、歩き回っている。とても怪しい。明らかに不審者だ。
「ずーっと、あんな感じなんだよね。あの人。年齢的には若そうだし、ルックスは十分なんだけどなぁ。動きが怪しいんだよね。私がここで座って炭酸飲んでる間ずっといるし、もしかして、私に声かけたいのかな?恥ずかしいのかなぁ!」
「ハル、現実を見ろ。こんなとこで2本も炭酸ガブガブ飲んでる女子高生に誰が声掛けたいと思うんだよ。あと、ここからハルが見えてるわけないだろう。隠れてんだから。」
「えぇーっ、そうかなぁ?キュウリ持ってる陽ちゃんに言われたくなーい。」
キュウリいつまで持ってるんだ陽ちゃん。んんっ?ちょっと食べてあるじゃん!どこぞで拾ってきたか分からないのに食べちゃダメだってば!
「おい、なんかあいつ動き出したぞ。」
陽ちゃんが言ったので、男をみると、男は空と向かい合わせになるように左手を挙げていた。その先には、まだ夜ではないけれど、薄っすらと白く見える月がある。
「なぁ、あいつ何しようとしてんだ?」
「交信してんじゃない?宇宙と。でもなんでスーツなんだろ。ごくっ。」
「炭酸飲みながらつっこんでいるけど、ハルちゃん、つっこむところそこだけじゃないと思うよ。」
ふと、彼をもう一度見ると、彼の口が動いたが、何と言ったのかは分からなかった。ただ、彼が口角を上げ一瞬だが笑顔になったような気がする。次の瞬間、目の前が白い閃光に包まれ、男が視界からフェードアウトした。眩しい。一瞬だけ目をつぶったがその明るさは目を閉じてもまぶたを通過する。眩しさを我慢して目を開けると、その白い光の中に緑色の棒状のようなものが回転しながら横切って行き、白く染まる世界へと消えようとしていた。見た事のあるものだった。外側がトゲトゲし、中はみずみずしく、味噌やマヨネーズを付けると最高に美味しい物体。あれは・・・。すぐさま横を見ると、陽ちゃんが仁王立ちをしながらその緑色の物体の行く末を見つめていた。その手には先程まで手に握られていたものは消えている。
白く光る閃光はそれを飲み込んだ途端、電源を切ったかのように収まり、同時に何かが地面に強く叩きつけられる音をこの世界に残していった。
はっと空を見上げると、さっきまで白く空の中に存在していた月はいつの間にか黄色く染まり、あたりを見回すと私たち以外誰もいなかった。閉園してしまったのだろうか、申し訳なさげに一台の自動販売機が光っているだけだった。
「ねぇ、今何が起こったの?」
ハルちゃんはまだ目を閉じて、手に炭酸を握りしめて言ったが、隣では陽ちゃんが目を輝かせながら、ずっと正面を見つめている。
その視界にはさっきの男は映っていない。あるのは銀色に輝く小さな物だけで、それ以外何もなかった・・・。ん?あれは?
そう思ったすぐ後、陽ちゃんは思いがけない事を口にした。
あの時、彼女の手は、震えていた。

「今の、見たことある。

ずっと前、みんなで見てた。」

開けられなかったパンドラの箱は、その言葉で
今、開いた。








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