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私には、彼女が必要で。

プロローグ

「紗希ちゃん!五十嵐さんが呼んでるって!」
1日のノルマを達成し終えた安堵に包まれた教室の中、緩んだ意識の延長でさまざまな音程が混ざり合う会話が至る所から聞こえる。芝野紗希は、机の引き出しから教科書を取り出しリュックに入れている手を止めた。ふと、自分の名前が呼ばれた方を見ると、制服の下に黒のパーカーを着込み、両手をパーカーの真ん中のポケットに入れながら上下に踵を上げ下げしている人が待っている。あっ、もう3組終わったんだ。紗希は急いで、リュックのチャックを閉め、入り口へ駆け出す。
「真ちゃん、今日は早いね。いつも私が迎えに行くのに。」
「今日は急に担任が休みになったから、放課後のホームルームなかった。」
突然、五十嵐真は紗希の後ろを指差す。
「ん?何?」
「あれ、忘れたらやばいよ。」
真が指さした先には、机の横に掛けていた弁当箱の袋があった。明日は土曜日だ。確かにあれを二日放置するのはやばい。学校で雑菌を繁殖し、ついには新たな菌を生み出す可能性もなくは無い。かも。
「あ、ごめん忘れてた。取ってくる。」
小走りで、机を避けながら忘れられた弁当箱を右手で掴む。何だか、忘れられていたことを自覚すると弁当箱がしょんぼりして見えた。気のせいかな?そんなことを脳内で呟きながら再び入り口へ戻ると、そこにはさっきまで待っていたはずの真の姿がない。どこに行ったんだろ?廊下へ出て、左右を確認しても見当たらない。先、行っちゃったかな?優しくないなぁ。ちょっとした寂しさと我儘が心に積もり、ため息をつきながら下を向くと、右手に下げていた弁当箱の袋が視線に入った。忘れられてはいないけど、もうちょっと、待ってくれたらよかったな。これだけのことなのに、何をへこんでいるのだろう。
そんな、沈んだ思考回路を巡らす頭の上に、ポンと何かが載せられた気がした。
ちょっと硬めな、でも中は空洞みたいな、そんな何か。
「紗希、私も忘れてたみたい。あと、これ、おいしかったよ。」
顔を上げると、ニヤッと口角を上げながら、若干汗をかきながら息をあげている真が両手を沙希の頭に乗せていた。きっと、私の頭上には空の弁当箱が添えられている。
「沙希が取りに戻ったの見て、リュックを叩いたら、全然パンパンじゃなかったからやばって。」
「走って取ってきたの?」
「うん。」
「一緒に行けばよかったのに。」
「え?だって、机の引き出し今ぐちゃぐちゃで色んなもの飛び出してるから、それ見られたくなくて。すぐに取りに戻れるからいいかなって。」
「ふーん。先帰っちゃったと思ったよ。」
「そんなことしないよ。先帰るほど、せっかちじゃないから安心して。さっ、帰ろ。」
「うん。」
響き合っていた会話の数が少なくなっていく教室を後に、2人は共に廊下を歩き出す。2人分のローファーの駆け出す音を廊下に響せ、夕日が窓から溢れる階段に差し掛かった時、3段先に真が降る。
「はい。どうぞ。」
今、紗希の視線の先には、こちらの瞳を真っ直ぐ見つめ、右手を差し出す真が見える。
華奢で、美しい手。
触れた時に感じた若干の汗をぎゅっと握った。
握られた手は、いつ離せばいいのか迷ってしまうことが殆どだ。
でも、私は、そんなことを考えないでいられたらと思う。
これから、私が話すのは、そんなことだ。
私は、彼女が必要。
これは、そのお話。





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