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お金を稼ぐため、ではない動機を大事にする

コテンラジオの愛聴者の私なのですが
ベッドリネンをコインランドリーで
ワシワシと洗ったり
古い衣類を片付けたりしながら
番外編#102〜104を聴いていました。

福岡県田川市にある廃校を活用して
「なんでもできる場所」
を提供している「いいかねパレット」の
青柳社長をゲストに迎えてのトークだったのですが
コテンレギュラーメンバー含めて4人の親密な会話に
笑いをこらえつつも、ついニヤニヤして
周りの人からご機嫌な人と思われてたかと思います。

#104回で、経済合理性は否定しないけど
そればっかりでは社会は良い方向に動かないし
人は幸せになれない、
だからいいかねパレットのような場を作って
経済合理性に縛られずに、
人が自然とこうしたい、という
エネルギーを解放させていきたいのだ
とお話しをされていました。

そんな想いから社会にインパクトを持って
働きかけている人たちがいるってことに
希望を感じます。
今の社会は「お金を稼げるか稼げないのか」軸が
真ん中にあり、なにもかもに強く影響するけれど、
その流れに抗い脱していく方向に、私も微力ながらでも力になりたいです。

とはいえやっぱりお金も大事と感じて
どこが距離の置き方なのか悩みます。
それに対して稲垣えみ子さんの
『家事か地獄か』という本は
ユニークな価値転換の方法を教えてくれます。
私たちの生活のサイズをはいつの間にか必要以上に大きくなっていて、
お金がいくらあっても足りないと不安になるのは
実は思い込みにすぎなかった
と目からうろこ読書体験ができる本です。


著書の稲垣えみ子さんが
長年勤めた新聞社を退職後、
冷蔵庫も(!)洗濯機も持たない
そこまでミニマムにできるのか、という
かなりシンプルに削ぎ落とした暮らしへ切り替え
その中でご自身が気づいたことを
綴っておられます。

私が衝撃だったのは
家事を減らしたい、便利に暮らしたい、
豊かな生活をしたいと思って
身の回りに置いている便利家電やストック品などが
実は家事を増やしており、
生活をあわただしく痩せたものにしているという指摘です。

確かに、私は買った後のピカピカの家電が
きちんと手入れできずに汚れたり
不具合が起きたりすることにうっすらとした
ストレスを感じます。
そのうち新しく入った別の一軍家電に活躍の場を奪われ
使えるんだけど、処分するということに
またじんわりとストレスがたまっていました。

ものの多さもそうです。
食事のバリエーションも衣類の種類の多さも
生活を豊かに彩るために、と揃えているものが
結局使う頻度の少ないものが増え
収納の工夫や管理に時間とエネルギーを使う結果になっています。
いくらでも手に入れることができる
「可能性」をあれもこれもとふところに入れて
本当に自分が良いと思うこと、やりたいこと
やりたくないことが見えなくなるほど
ほんとは必要のない可能性の管理に追われてしまうんですよね。

世間やマーケットが必要だと主張したり
思わせているものの中から
自分にとってはたいして重要ではないものを捨てていき、生活をシンプルにしていくと
たいしてお金は要らず、それはみじめなことでもなく
なんならむしろ気づかなかった豊かさを味わって
生きることができるんだいう力強いメッセージを投げかけてくれます。
それは呪いが解かれるような感覚でした。

目指したいのはお金をたくさん稼ぎ出す社会ではなくて人のつながりとか、その人らしさが磨かれやすい社会であって
その結果お金が稼げますよ、という社会なのかなと思います。
ということで
お金を稼ぎ出せるかどうかとは関係なく
人のポテンシャルをのびのび発揮できる場を作り出すいいかねパレットの取り組みの素晴らしさにもどります。

なんでもお金の価値に変えられると
思い込んでしまい、値段がつかない
家事とか人とのつながりとか
たんに面白そうとだから、という動機とかについ
ポテンシャルへの評価ぎ低くなりがちな社会になってしまっているんだなということに
自覚的でいようと思います。
逆にお金に縛られがちということも。

子育てで自分だけの都合で動けなかったり
自分を含めて家族が不調になる経験を重ねていくと人ってパーフェクトに健康で問題なく働いたり
ほとんどのことが一人、あるいは家族だけで解決できる期間は
そんなに多くはないよね、と思います。

病や怪我や心の傷を抱えながら
どうにかこうにかやっていることって多いので
お金を出して、ではなく
人の支えや手を貸してもらえる仕組み無くして
生きていくのはとても難しいなと感じます。

私自身が日本の企業で働いていますが
日本の企業が存在価値を出していくための近道は
実は創業者の想いとか地域への貢献とかで
「ビジョン」って言われてしまうような他所から持ってきたような形でなく
もっとベタなもの、今までダサいとか
効率化とかでないがしろにされがちだったものではないのかなと
考えつつあります。

子どものように「面白そうって思えること」
を何より大事にできる
余裕のある社会にしたいですね。

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