息子との長い散歩
季節も良いので、不登校の中学生息子と時々夜1〜2時間の散歩に出ています。息子は電車や自転車が好きではなく、自分でどこかに行くときは、歩いての移動が基本です。パソコンでの仕事がほとんどの私にとっては、1日の終わりに長い時間歩くのはなかなかの疲労感で「散歩に行かへん?」と言われると正直ムムム、と思うのですが、息子にとっては全く苦にならず、たぶん体を動かすことは自然な欲求なのではないかなと思います。若さと体の健康さがそこにあることはありがたいなと思います。 そして、母を誘うのは他に誘う人もいなくて消極的な選択ではあろうものの、中学生男子が一緒に散歩に行こうと言ってくれることも今だけの貴重なことだと思って(よいしょ!と気合いを入れ直し)散歩に出かけます。
歩きながら話をします。
息子が今興味を持って読んでいる漫画の話だったり、映画の話だったり。最近息子が連続して見ているのは「パルプ・フィクション」のタランティーノ監督や「ノーカントリー」のコーエン兄弟監督の映画だったりです。最初それを聞いたときは「中学生が見て面白いのかね?」と思ってちょっと驚きました。私は「ノーカントリー」は一部しか観ていないのですが、その映画の中で息子が気に入っているシーンは、映画の中のキーの一つである「コイントス」を店主の男性と主人公の殺人鬼でとつとつと交わされる会話の部分です。その時の表情が印象的だった、と語っています。
私にとってタランティーノやコーエン兄弟は「そんな視点があるんだ」と思わせてくれる監督たちですが、面白いか、と言われると悩みますし、誰かに薦めるかと言われるとほとんど薦めません。観た後のザラザラした違和感が気持ちいいわけでもないからです。ただ、シーンの一つ一つやセリフのかっこよさ、予想とは全く違う展開、役者たちが演じる唯一無二のキャラクターはとても心に残っていて、時間がたってからとふと心に蘇るシーンを反芻してまた考える楽しさがあるように思います。
10年とちょっとしか生きていない息子がそんな映画に興味を持つことはちょっと不思議ですし、面白いなと思います。
もし私が息子と同じ歳の同級生だったら、彼のことをどんなふうに見るのかな、と思います。静かで勉強が得意ではなくクラスに馴染まず、優しくしてあげなくちゃいけない、と傲慢に思ったかもしれません。 息子にとってはそういうウザい女子は嫌いなんだろうな、と想像したりします。
散歩しながら、私の方からは、学校に対して通常級に行くことを促すことはやめてもらうのはどうかな、と話しました。しかし、息子からは学校に対してどうこうというよりも、家のことで私がなんとかしないことを強く責められました。息子にとっては家が異常なほど騒がしく、苦痛であり、ずっとそう言い続けているのに、母である私が何にもしないことにイライラするのだ、と。
家族も私も、息子に対してはかなり譲歩し、できる限りのことをやってるんだと思っていたので、これにはびっくりでしたし、結構ショックでした。
一番身近な、一番言いやすいことに自分のモヤモヤをぶつけているのかもしれないなと思い、ちょっと理不尽では?という気もしました。
しかし一旦ここは息子の気持ちをちゃんと受け取って、私ができること(姉妹に家にいるときは声の音量をもう少し落としてほしいんだよね、と話すこと)をしました。書いてみると、私のしたことは、たいしたことではないですね。
こちらはこんなにやってるんだ、というマウントが私にあって、それが息子をイライラとさせているのかもしれません。いずれにしても、母親というものっていつでも息子をイライラさせるものなのかもしれないですね。(この前見た映画で、「彼女(娘)はあんた(父親)が近くに来ると、微妙にイラつくからな(だから彼女とあんたが父娘の関係だと分かったんだ、というシーン)」というセリフが私の個人的な名セリフ大賞でした。
長い散歩は、体の疲労感とともに割と心も疲労するのですが、それでもまた「散歩に行く?」と言われたら出かけていくつもりです。
暑くて虫がたくさん出てきて散歩に向かない季節が、できるだけ遅く来てくれるといいのにな、と思います。
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