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26での頸椎損傷「事実は小説よりも奇なり」❸

昨日の続きです。

あれ?これ意外に持ち堪えれるんじゃない?」と思っていっとき耐えていると。。。


目の前の世界がウルトラセブンのオープニングのようにぐるぐるぐる〜と回転し始めて、物凄い吐き気に襲われてきて、耐えられなくなりそのまま眠りに落ちたようです。(ウルトラセブンはリアルタイムでは見た事ありませんが幼稚園くらいの時にビデオデッキでよく見てました。笑)やはり、全身麻酔には勝てませんでした。

6時間程の手術を終え、無事タラちゃんとして生還しました。親は手術の間気が気ではなかった事と思います。親不孝もいいとこです。

術後いっときは麻酔が効いていたので平気でしたが麻酔の効力がなくなっていくにつれてこの世の痛みとは思えないくらいの激痛に襲われました。そりゃそうです。メスで首を3箇所切ってボルトを埋め込んでいたのですから。断トツで歴代1位の痛みです。

今までの痛さNo. 1は中学生の時に指を粉砕骨折して、とにかく注射嫌いなので手術の時に麻酔が嫌すぎて麻酔無しでゴキゴキ指を施術された時でしたがそれとは比べ物になりませんでした。

メスを入れた事がきっかけなのかその後1週間40度を超える高熱が出ましたが痛みでそれどころではありませんでした。

注射が極度に嫌いな私だったのですがその間の点滴や採血も全く苦ではない程の痛みでした。この地獄のような痛みはその後1ヶ月も続きました。

でもその意識朦朧としている間も当時の彼女と中身を見ないでね!と言いながら母親に腕を支えてもらいながら命がけで連絡をしていました。笑 やはり愛は偉大でした。笑

手術の時に頭のハローベストも外れ、首につける硬い固定具になりました。いっときは首の据わってない赤ちゃんのように不安定な気分で恐怖でした。

そのあと担当医が病室に訪れ、触診して頂きました。体に感覚があるかなどの検査だったのですが怪我前よりは微かに違和感があるものの幸い触られているという感覚はありました。しかし脚気の検査のように膝をコツンとすると足がピクンとする動きはありませんでした。そして痛みの感覚は言葉では言い表せられないのですが違和感だらけでした。ちなみに痛みの違和感は今現在もあまり変わりません。

後日談ですが、この時の検査で担当医はこれは体が動くようになるか分からないなと思ったそうです。

食事の面は1週間くらい点滴だけで過ごしましたがその後は介助食でした。母親に食べさせてもらっていましたが情けないのなんの。それもあってか食欲は全くありませんでした。ほぼ喉を通らなかったので10キロ近く体重も落ちました。

あ、今思い出したのですが、そういえば転院前の病院は怪我からの手術直後の朝ごはんはおにぎり等がポンと置かれていただけでした。自分で食べられるわけないし!!笑 なんか今更腹が立ってきました。笑 看護師呼んでも「ちょっと待ってください!」と言われてそのまま来なかった時もあったし。笑

話戻ります。

その後いっときして、部屋移動になったのですが、何とその部屋はお偉いさん用のVIP個室でした。家具家電完備のとても広い個室でした。重体でまだ若いからと言う理由でサービスしてくれたそうです。笑

この間もまだ術後間もなかったのでリハビリは始まっておらず、ずっと母親にマッサージをしてもらいながら体が動くようにと祈ってくれていました。よく考えれば親とこんなに長い間一緒にいて喋るのっていつぶりだろうかと考えていましたね。

ですが体はなかなか動きません。例えると夢の中で敵に襲われて周りの人は逃げているのに自分だけ逃げようとしても体が動かない状態に近いです。

そして怪我後初めてのお風呂の時間です。部屋の風呂はもちろん使えないのでベッドのまま介助浴用の部屋に運ばれて行きました。

そこでは人間の尊厳を失ったかのような気持ちになりました。

介助浴での様子はまた明日書いていきたいと思います。

こういうちゃんとした日記とかって久々すぎて疲れますね。中学とか高校の時に友達とやっていたデコログ以来です!あー懐かしい。笑 今あのサイトはどうなっていることやら。黒歴史です。笑 あの頃はモバゲーとか流行ってて、自分でキャラクター作ったり、怪盗ロワイヤル?とかやってましたね!あー懐かしすぎる笑

貴重なお時間を割き、最後まで読んで頂きありがとうございました。

んじゃ、また明日🌸🍀






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