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似ているようでぜんぜん違う「読書と読書感想文」

どうやら読書が好きみたいだ。読書というか、テキストが。ネットニュース、Twitter、note、新聞。電子書籍も軽率に買うし、今いちばんの推しは小説家(品田遊さん)だ。動画や音声のコンテンツより、ゲームより、はるかに多くの時間を使っている。

最近まで私は読書が苦手だと思っていた。以前後輩に「中野さんって語彙が独特ですけど昔から読書好きだったとかですか?」と聞かれたときも、「いや〜読書は嫌いだったよ」と答えたが全然うそだった。ごめん。
子供の頃は週末ごとに町の図書館に連れて行ってもらい、3冊ずつ借りては読んでいたのだから、嫌いなわけがない。私が嫌いなのは読書感想文だった。読書全部を嫌いだと思い込んでしまうほどに、読書感想文は苦手だった。

そもそも私は何を読んでいたのか。

かいけつゾロリシリーズ
手塚治虫のマンガ
海外の偉人の伝記
手品のトリックの解説
心臓や胃など人間の器官の役割が書かれた本
ゲームブック(謎解きしながらページを進めていくやつ)

このあたりが好きだった。あとは母からもらった、大人が書いたエッセイも好んで読んでいたように思う。紅茶は人数分+1杯分をポットに淹れると覚えておきましょう、空港をエナメルのハイヒールで歩いていたら内側同士がくっついて転んでしまったけど素敵な男性が助けてくれた、ハーブ入りバターの作りおき、など、嘘みたいにハイソなエピソードが書かれていてその現実離れ感に夢中だった。

読書感想文といえばフィクションの小説を読まなければならず(そんなことないけど当時はそう思っていた)、そっちはあまり興味が持てなかった。ファンタジーかそうでないかを意識して本選びができたらよかったのかもしれないが、私のことなので「この年齢で選ぶべき作品」などが気になってしまってそっちを選び、案の定筆が進まないという浅めの地獄の中にいた。星の王子さまとか、今読んだらそれなりに読めるんだけどやっぱりそんなに好きなほうではない。

何より嫌だったのは感想文に優劣がつくことだ。やれあらすじを書くな、〜と思いましたを連発するな、会話文で始めると意外性があって良い、云々。どうして感想にあれこれ言われなければならないのだ。正解を書かせたいならそう言えよと、小2くらいからイラついていた。ヤバい子供だ。
新聞の短いコラムでも、特段教訓もないエッセイでも、コレ好き、なんか良い、だけでも肯定してほしかったのに。

そんな私のための動画に最近出会った。

この怪しい見た目の人がダ・ヴィンチ・恐山さん、小説家としての名前は品田遊。オモコロチャンネルのほかの動画で見せる様子とは全然違う、いかにも先生らしい立ち振る舞いも必見の、私の大のお気に入りの動画だ。動画なのでやや面白めに、読書感想文なんて結局こうなんだから、と俯瞰して皮肉を言ってみせる。言い過ぎだよと笑いながら、幼い私の苦しかった気持ちが徐々に拡散してなくなっていくようだった。
テキストがいい人はこちらを読むといいです。
読書感想文の書き方(オモコロ:2017-08-28)

さらに「オモコロブロス」の2016年の記事にはもっと核心に迫ることが書かれていた。

本当は、ほとんどの子どもは本を読んでもなんにも感じてない。というか、大人だってそうだと思う。今の自分もそうだ。
(中略)子どもはそれを知らない。頭のなかに「感じたこと」がそのまま隠されていると思い込んで、必死に探そうとして疲弊してしまう。「なにもなさ」に愕然として、密かに自分を恥じる子もいるかもしれない。

読書感想文は人生最初の自己啓発【恐山の自己非啓発セミナー】(オモコロブロス)

ウン十年の時を経て、やっと「読書」と「読書感想文」を切り離すことができた私はもう嘘をつく必要はなさそうだ。
文字を読み、意味を知り、正体不明だった苦手が成仏する。読書が好きだ。

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