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イマジナリー猫「いつも心にネコチャンを」

うちでは架空の猫を飼っている。床にハサミを置きっぱなしにしたりすると、「猫が踏んだら危ないから」と言って片付ける。魚を食べた後は、「猫がいたずらしちゃうから早く片付けよう」と言って骨を袋に密閉する。猫はいない。いつかは飼いたい。夫が猫派であることを強めに確認してから結婚したのだから。

昔、実家で猫を飼っていた。家族以外には懐かない猫だった。
姉の友人のところで生まれた子猫をもらってきたのだが、きょうだい猫の中でもひときわ元気がよくて、子猫の頃からツンツンな性格は成猫になっても変わらずで抱っこも嫌がるし、首輪もしない。外に出てはたまに怪我をして帰ってくるヤンチャだった。

ヤンチャ猫のわりに結構ドジをする。水を飲もうと蛇口の下に頭を出したら上から水流をもろに被ってしまったり、板の間を猛スピードで走り回っていたら足が空転して転んだり。ドライフードを食べるのもヘタクソで、粒を口に入れたそばからポロポロとこぼしてしまう。思わず私が笑ったらしばらくスネてしまった。そういう人間っぽいところがある変わった猫だった。

猫、ちいさい頭でいろんなことを考えて、ここにいようと決めてくれたんだなと思うとしみじみと嬉しかった。子供(私)が難しい年齢になって家族の関係がぎくしゃくすることがあっても、猫はいつも真ん中で、家にいる人間たちを見ていた。猫に向ける顔はみんな笑顔だった。どうにもままならない家族は猫によってようやく形を保つことができていたように思う。結果的にではあるが、滅多なことを押し付けてしまったような気はしている。無口であまり甘えない、我慢強い猫だったから。

私が大学生になり実家を離れてからも、年に1回やそこらしか姿を現さない私のことをちゃんと認識してくれていた。来客があると逃げるから、姿を見せてくれるということはすなわち家族扱いなのだ。
猫にとっては食べ物をくれるでもなく、ブラッシングをしてくれるでもなく、時々現れてはまっすぐ近くにやって来て、色々話しかけてくるだけの人間。猫は人には懐かず家に懐くと言うが、私のことはしっかり覚えているようだった。歳をとりニャアと鳴くことはほとんどなくなっても、来たよ、と言うと、こたつから出てきたばかりのホカホカの毛皮で足を揃えて座り、眠そうな目で私を見上げてグルルと喉を鳴らした。

その子は最近の家猫ではさほど珍しくない程度の長寿だった。最期は食べ物も水も受け付けなくなり、いよいよだと親から連絡を受けたのは社会人になってしばらく経った真夏の平日だった。
さすがに猫の危篤で仕事は休めず、週末に急いで実家に駆けつけたときにはすっかり弱った猫がいた。1番大きいときで6キロはあったBIGねこだったのに、冷たい洗面所の床に寝そべる姿は毛皮だけがそこにあるようで質量を感じなかった。私が現れると一瞬目を丸くして、枝みたいになった前脚を少しだけ上げた。

猫は痛みをこらえるように小さく早い呼吸をしていた。私はぼろぼろ泣きながら、思いつく限りの思い出話を猫に聞かせた。いつか必ずこの日が来るとわかっていたのに、何をしたらいいのか分からなくてざあざあに泣いた。猫は浅い呼吸でまん丸の目を私に向けたまま、いつものように私の話を聞くでもなくそこにいた。
寝るときに洗い立ての布団カバーをかけて客用布団を敷いたら、いつの間にか猫が陣取っていて大笑いしながらまた泣いた。昔から洗い立ての洗濯物を目ざとく見つけては、真っ先に乗って毛だらけにするのが好きな子だったから。布団は猫に譲り、その日は畳の上で寝た。

猫は私が東京に戻ってまもなく亡くなった。きっと私の帰りを待っていたのだと母は言った。

猫は案外表情があって、顔もそれぞれ個性がある。この世の猫はみんなかわいいが、実家にいたあいつに似た顔はなかなかいない。猫と人間、これだけ寿命が違うのだから猫側が生まれ変わってきてもいいのにな、と思う。普段はオカルトなんか全く信じていないのに。

いつかあいつに似た猫が現れたら、いつでもうちに来ていいように備えている。引き出しを開けっぱなしにしたらネコチャンが入っちゃうから閉めよう。部屋に飾るグリーンは、猫がいても大丈夫かどうか調べよう。夫は猫を飼ったことがないが、架空猫がいることにして家のことを回してくれている。この顔を見たら教えてくれと、実家猫の写真もありったけ共有してある。

あいつはきっと、なんでもないような顔をして突然現れる。

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