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ほんとうに好きなことを思い出す「好きは作れるものだけど」

本がずっと好きだったかもしれない。読書感想文が嫌いすぎて本のこともまとめて嫌いになっていた。

身体を動かすことは苦手じゃなかったかもしれない。10代で膝を怪我して以降は、運動なんて全部嫌いだと思っていた。もっと子供の頃は、アスレチックやクロスカントリースキーが好きだった。

お菓子を作るのが好きなのかもしれない。作ったら食べなきゃいけないし、お金がかかる割に食事にはならないからって興味なくなったフリをしていた。けれど、集めたカヌレ型とパウンド型はどうしても手放せなかった。

自然の中で胸いっぱいに空気を吸うことは、特上の癒しなのかもしれない。生まれが田舎すぎて、都会に憧れる気持ちから反発していた。
小学生の私は、呆れるほど田舎の親の実家で、よく農作業の手伝いをした。ヒグラシが鳴き始める季節の夕方に、神社の横の坂道をぺたぺた歩いて下った。湿った土の匂いと川の音。
ついこの前、奥多摩で外岩に向かう途中、匂いと音が記憶の中でリンクした。私は都会が好きだ。でも、覚えている。あの頃と同じように、大きく息を吸い込んだ。

ハートとかピンクとか、花のモチーフが好きかもしれない。キャラじゃないから遠ざけてきた。周りもきっと私の好みはシンプルでユニセックスなものだと思っていたと思う。
最近、小さい頃好きだった服によく似た、くすみピンクのスカートを度々はいている。サンダルも、ハンカチも、私の持ち物にはピンクが多い。
年齢的にももういいかなって思って楽な髪型ばかりしてきたけど、インナーカラーにピンクを入れたら、なんだかなんでもできそうな気がしてきた。憧れだった胸下ロングに、一度でいいからチャレンジしたい。


からかわれそうだから。怪我をしたから。キャラじゃないから。歳だから。
本当は好きだったことを、私は一体どれだけ遠ざけてきたんだろう。

好きなものを好きと言える大人になったつもりだった。実際たくさんの好きを作って集めてきた。それでも、好きだったのに言えなかったことを思い出すと、言えなかった理由も一緒に溢れ出して泣いてしまう。怪我なんてしたくなかった。女の子らしさをからかわないでくれ。

noteのテーマを好きと苦手にしたときは、こんなことになるとは思わなかった。ただのオタクの脳内の文章化にすぎない日記にするつもりだった。
言葉にして、文章をつくり、何度も読むことで、私は確実に自分を癒し、忘れていた好きを思い出す。

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