結局 あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい。

コロナ騒乱の最中、ひとさまの助けの声に被せられたアイデアを一瞥するだけで済ませてしまうことが多い。
それは裏返すと自分にも降りかかっていることなのだと直感する。
なぜ厄除け花束はあまり感度がよくなかったのか。
それに限らず、Instagramでの発信力の弱さもそうである。

原因のひとつはコミュニケーション不足にあるのだろう。
ここ数年、イベント装飾や大型装飾の仕事にシフトしていく中で、最初期にedalab.を応援してくれていた方々とのコミュニケーションが疎かになっていた。
東京での仕事が増えるたびにマルシェなどで顔を覚えてくださったお客さんや同時期に開店したカフェや飲食店などへのアクセスが急減していった。

もともとの志向性として現在のポジションを目指していた。
けれど当初のファンやフォロワーの望むポジションではなかったのだろう。
彼らに直接的に花を届けられない花屋というのはおそらくSNSでフォローする程度の価値しかないのかもしれない。
きっとぼくが東京で浮かれている間に利用価値のある素敵な花屋を見つけてしまうのだろう。

そしてこの有事の際にぼくが今更ながら直接花を届けられる機会を設置してみたところで、耕されていない畑に急に種をまいても芽は出ない。
隣の畑は有用なコミュニケーションにより育まれた関係性が生い茂っているのを目撃する。

かつてポールマッカートニーがビートルズ最後の曲で「結局 あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい」と歌っているその真理をいまedalab.はまざまざと見せつけられているのだ。
前の記事の友情の減価償却も同じことなのだろう。

そう思うとまだまだぼくの愛は残っているから分配する手立てを考えようではないか。

#ポールマッカートニー #Paul McCartney #edalab . #雑感

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