edalab.の前田

フリーランスの花屋 edalab.の前田です。所感を書きます。よろしくどうぞ。

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最近の記事

B'z『Hard Rain Love』-歌詞解釈

[Hard Rain Love] 久しぶりのB'zの新譜『Highway X』が発売されました。 コロナ禍の影響を感じる曲がいくつかある中で、この曲は所謂、禁断の愛の曲ですね。 一見単純な歌詞にも思えましたが、解読していくとダブルミーニングや歌詞の構造など面白い歌詞でした。 タイトルのHardRainとはそのまま激しい雨、土砂降りみたいな意味です。 ずっと書こうと思っている『ARIGATO』と『overture』でも雨について書こうと思っていたのですが、稲葉歌詞の【雨】と

    • B'z [FRIENDS III]についての所感と歌詞考察

      どうもまえだです。 B'zのミニアルバム[FRIENDS]シリーズとして25年ぶりに発売された[FRIENDS III]を毎日聴いております。 アルバム全体として前作、前々作と比べて明るく華やかな音作りもそうですが、歌詞も穏やかな印象です(ジャケットのアートワークも陽が射してる)。 [FRIENDS III]を考える 先日のYouTube配信で稲葉さんがFRIENDSの二人がどうなったかということもおっしゃっておられましたが、最後の2曲『こんな時だけあなたが恋しい』と『GR

      • B'z[きみをつれて]-関係の回復をめぐる考察-

        追記)なんとなんと25年振りに『FRIENDS III』が出ますね! ありがたや。 [FRIENDS III]の考察と感想はこちら (12/10 公開) B‘zもサブスクリプションが解禁されてこれまでよりも横断的に歌詞を考察することができるようになりました。 うれしいですね。 [別離]について考察するといっておりましたが、次回やります。 今回はミニアルバム[FRIENDS Ⅱ]に収録されている『きみをつれて』について考察します。 『きみをつれて』は個人的にはB’z屈指の

        • B'z『グローリーデイズ』から見る稲葉歌詞の別離について

          『この世に顔が向いてない]という高校生の哲学的恋愛漫画を読んだあとにB’zの『グローリーデイズ』が思い出され、改めて聞いてみると妙に感動した訳です。 それをきっかけに何度か繰り返し聴いているとこのグローリーデイズの歌詞を通じて、稲葉浩志の歌詞世界における[別れ]に対する考えが少し見えてきました。 B'z『グローリーデイズ』歌詞の考察 まずはこの記事ではグローリーデイズを読み解き、次回以降の記事で他の楽曲の歌詞をクロスオーバーさせて歌詞世界を探っていこうと思います。 このグ

        B'z『Hard Rain Love』-歌詞解釈

          観光、あるいは信仰と伝統について白熱するふたりの男

          乗り込んだタクシーの空調が7月の暑さを打ち消すように、静かな呼吸をしていた。 告げた行き先へ向かう道中、運転手が独り呟くように「砂は風に舞いますからねぇ…」と言い、続けて「それにこの地はねぇ、火山灰が降り積もってできた隆起の上に、舞った砂が降るもんで、あの起伏が生まれるんですよ」と言葉を並べた。  はあ…と頷きながらも次の言葉は出てこなかった。 「お客さん、観光ですか」 曖昧に返事をし、遠近法の果てのビル群を窓越し眺めていた。 平日の昼間ということもあり、人の数はさ

          観光、あるいは信仰と伝統について白熱するふたりの男

          日々の中で感じる機微みたいなものはその瞬間になんらかの方法で保存しておかないと全部忘れていく。 昨日、書きたいことってなんだっけな。

          日々の中で感じる機微みたいなものはその瞬間になんらかの方法で保存しておかないと全部忘れていく。 昨日、書きたいことってなんだっけな。

          標榜される丁寧な暮らしとは程遠いベッドメイキングの果てに。

          我が家の寝室には幼子2人と我々夫婦が寝るベッドが3台固めて設置してある。 全て無印良品のベッドで、掛け布団やシーツも無印のものである。 --------------- 無印良品の店舗では絶えずケルティッシュな音楽が流れており、素材にこだわってますなんて展示パネルはでかでかと丁寧な暮らしを掲げている。 また寝具エリアではいかにこのベッドや布団が快適な睡眠を約束してくれている。 その丁寧な暮らしみたいな概念に釣られた我が家には3台のベッドと掛け布団が寝室に設置されている

          標榜される丁寧な暮らしとは程遠いベッドメイキングの果てに。

          フレディマーキュリーがぼくにインストールされていたとしても、ぼくの関節がそれを許さない。

          暇すぎてフレディマーキュリーの動作を真似しようと思った。 しかし、ぼくの関節は急にそれを受け入れるほどやわではなかった。 いつの頃からだろうか。 妙に色気のあるフレディのポージングを真似したいと思った。 映画の『Bohemian Rhapsody』よりも前にそう感じていた。 とは言え、普段の生活でフレディを意識することは少ない。 けれど、このコロナで暇を持て余し、保育園の登園自粛のタイミングで子供が足を怪我して散歩にも行けず、家に流れる時間がひどく滞留しているから、子供とと

          フレディマーキュリーがぼくにインストールされていたとしても、ぼくの関節がそれを許さない。

          父と国とインターネッツ。

          先日、父親がパソコンを新調した。 けれど、Wi-Fiの設定やプリンターとの接続ができないと相談され、その設定接続を手伝った。 父親の困難に対して、こちらは何も難しいこともなく、ものの数分で完了したわけだけれど、これはもう世代間の隔たりであると理解している。 そう理解はしているけれど、よくよく考えると父親がパソコンを家に導入してからもう十数年は経過している。 その間に数台のパソコンを買い替えているにも関わらず、初期設定でさえまだ困難なのである。 現在65歳の我が父親が働き始め

          父と国とインターネッツ。

          結局 あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい。

          コロナ騒乱の最中、ひとさまの助けの声に被せられたアイデアを一瞥するだけで済ませてしまうことが多い。 それは裏返すと自分にも降りかかっていることなのだと直感する。 なぜ厄除け花束はあまり感度がよくなかったのか。 それに限らず、Instagramでの発信力の弱さもそうである。 原因のひとつはコミュニケーション不足にあるのだろう。 ここ数年、イベント装飾や大型装飾の仕事にシフトしていく中で、最初期にedalab.を応援してくれていた方々とのコミュニケーションが疎かになっていた。

          結局 あなたが受け取る愛はあなたが与える愛に等しい。

          友情喪失の減価償却

          気が付いたらA氏(10年近い付き合いがあり、その他の友人を交えグループで交流していた)との友情が失われていた。 A氏のインスタグラムにおいて、毎年参加していた周年パーティに呼ばれていなかった事実を発見したのである。 毎年、A氏主導で友人と連名の祝花を花屋の僕が作っていて送り届けていた。 しかし、今年のパーティの日、A氏はインスタグラムのストーリーに、製造元不明の友人たちの名を連ねた祝花を贈るシーンをアップしていた。 それを目撃した僕の寂寥感は想像できるだろう。 そして、氏が僕

          友情喪失の減価償却