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俺が元気な時に喧嘩しようぜ

 怪我をした。今まで傷一つ作ったことのない肌に、赤黒い線が走った。特段美しい身体ではないが、自分なりに大切にしてきたものだったから、かなり落ち込んだ。怪我は肉体のものだが、精神的にも傷がつく。昔、保健の授業で教師が「心と身体は繋がっている」と言っていたことを思い出した。

 それから1週間が過ぎた。傷は塞がった。薄茶色の跡が残った。心はさらに深く傷ついた。薬を塗りながら、もとに戻りますようにと願った。


 変化には順応していく必要がある。例えば、結婚。確実に「個」が消える通過儀礼だ。今まで独りで歩んできた人生が、他者と共有するものになる。自分のペースで歩いてきていたが、相手の歩幅や体調に合わせて歩くことが求められる。相手が苦しんでいるときに、慮り手を繋げれば相手は喜び、今までのように進めば頬を張られる。


 昨日の自分と今日の自分は明確に違う。食べたものも違えば、見てきた景色も違う。紡いだ言葉も、聞いた音楽もだ。ただ、それらを馴染ませるには時間が要る。おろしたてのスポンジが硬いように、上手く要素を吸収できない。何度も何度も触れて、やっと自分の中に取り込むことができるのだ。


 クレヨンしんちゃんの映画、オトナ帝国の逆襲では、ひろしが子供のように泣きじゃくるシーンがある。不可逆な世界で、なんとか折り合いをつけて今を生きようとしている。ちっぽけで儚い、人間そのものの清らかな部分がおぞましいほどに出ていてとても良い。誰しもが必ず持つが、誰とも共有できない孤独を抱えながら生きる人は、とてもいじらしい。


 突然、この世界で自分が独りぼっちになるような感覚に陥るときがある。自分の人生は完全に誰かと交わり切ることはなく、自分の考えは100%正確に理解されることはない。そんな当たり前のことがたまらなく恐ろしくなる。暗闇に放り出されたようで、動けなくなる。そんなときは、大好きなあの頃に戻ろうと試みる。

 お前が初恋だったと幼馴染に打ち明けられたとき。運動場で親友と殴り合いの喧嘩をしたとき。大嫌いな父に優しく頭を撫でられたとき。そんな、戻りたくて仕方がない過去をなぞる。しかし、今の自分ですら、当時の自分にはなれない。時折思い出して、優しく慰めてやるほかないのだ。


 今までは、白い肌が美しいと思っていた。傷を得て、それが呪いに変わった。多少は苦しめられるだろうが、負けるわけにはいかない。解くためには、一つずつ、着実に積み重ねていく。のろい状態は「不撓不屈」で回復できる。諦めなければ何度でもなるだろうきっと。

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