李白、天才!黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る

子すずめは学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校の通学コース生(新入:中学卒業からダイレクトにN高入学したパターン)で現在高校1年生です。4月からN高オンリーです。

12月15日がN高最後のレポート提出〆切、その後1月に単位認定試験があるとのこと。最後のレポートをやっている所なのですが、先日の朝、唐突に相談されました。

子すずめ「親は、漢文、教えることができる人ですか?」

私「漢文の文法などの細かいルールは教えられないけれど、注釈見ながらならだったら鑑賞はできると思う」

ということで、教科書に出ていた漢文を見ていた所…苦戦していると子すずめが申告して来たのは李白の詩でした。詩仙、李白っすよ、李白。唐の時代の詩人!(私個人は中国の王朝の中では唐が一番好き。その大唐帝国の影響を受けた奈良時代とか平安時代が好きなんですよね~。おかざき真理先生の最澄と空海を描いたマンガ「阿・吽」の6巻7巻に出てきましたね、李白)

私が昭和末期というか平成初頭に高校生だった頃、漢文の授業の前には予習が必要でした。白文プラス返り点を書写し、その隣に書き下し文を書くことが予習として必要とされていました。…通信制高校で、映像授業を見て解答するだけだと、そういう「白文書写&書き下し文」をノートに書き出すこともしないのか…それって、本当に「学び」なのか?確かに「白文書写&書き下し文」をノートに書き出すことは面倒くさいし、時間もかかることだけれど、それを通じて白文を自分の中に落とし込み、解釈する時の土台とできたのではないか?と感じました。(書字障害や識字障害があるのでなければ、ですが)「学び」って、時間をある程度かけたものの中にしか宿らないと私は漠然と思っていまして。効率的に「学ぶ」って、それは「学び」なのか?広く浅くさらっただけの知識は、知識として使えるレベルに落とし込めてないんじゃないか?と思いました。別に漢文で身を立てるつもりがないのだから、そこはタイムパフォーマンスで、最速でおさらいする位の雑さでいいってことか?別の教科をみっちり学ぶ時間を作るためにも、それもアリなのかもしれないとは思うけれど…。吾子だけがそういう「雑な学び方」をしているだけの話なのかもしれませんが、文学青年だった自分としては、ちょっとモヤモヤしました。

解説してほしいと言われた漢詩は、「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」の詩。

Google Earthで調べたら黄鶴楼も広陵も揚州も、説明文と共にヒットするんじゃない?いいね、現代に生きる人たちは、四角い窓(タブレットやPCやスマホ)さえ持っていれば、図書館に爆速で20分自転車漕いで出かけて、中国の歴史本とか観光名所本とか探して、黄鶴楼や広陵や揚州を探して眺めることをせずとも、その写真なり深い解説なりが四角い窓の中にHitするんだから羨ましいよ。

起句の故人とあるけど、死人のことじゃないよ、教科書の注釈に「ふるい友人」とあるからね。詩作を磨き合った親友(と書いて「とも」と読むやつ)が辞する…去っていくんだよ。

承句の「煙花三月」、教科書の注釈にも「煙花」はあるけれど、3月でしょ?春でしょ?気温が上がってくるわけさ。そうしたら土中の水分が温められて蒸発して霞がかかったような季節なのよ、春だから。春という季節の描写だねえ、李白!春のうららかさの中で、詩作を磨き合った親友(と書いて「とも」と読むやつ)が揚州へ下向するんだよ。都から離れるから「下る」んだよ。何、このコントラスト!春なのにお別れですか?

転句の「孤帆」つまり一隻だけの舟で赴任先に行くんだよ、親友(とも)は。ここで「一」を使わずに「孤」を使ったのは、もしかして音声表現の制約上(発音がいい感じに韻を踏んでいるとかいないとか、そういう絡みなのかもしれないけれど…)なのかもしれないけれど、敢えて寂しさを出すために「孤」というワードをチョイスしたのかもよ、なんたって李白は詩仙だから!「遠影」遠い影…その親友(とも)が乗った船の帆が遠ざかっていく…そしてその船の影さえも碧空に尽きるの、地平線というか長江の水平線に親友を乗せた船が消えて青い空だけが見えている感じ。長江の上を孟浩然を乗せた一艘の帆船が視界から消えて、ただ青空だけが見えているんだよ。

結句の「唯見」ただ「何か」だけが見えるんだ。何かってのが、長江の天の際に流れていく様子。際だよ、果てだよ。長江の空の果てへと親友(とも)は去って行ってしまった…という。

私は中国を旅行したことがないから、その広大さはわからないんだけど、とにかく、中国ってのはだだっ広い土地ってイメージなの。そのだだっ広い中国の、大河である長江を、船で下っていく友人が消えるまで、周りの自然や時候を織り交ぜながら表現しているんだよ、李白天才!

「孤帆」の「孤」も寂しさを感じさせるし、その後に残る「碧空」も広大すぎて寂しい感じが出てるし、船が視界から消えるまでお見送りしているってことは結構な時間をずっと船を見ていたってことで時間軸としても長めで、その長い時間別れを惜しんでいたわけじゃない。「寂しい」と書いたわけではないけれど、「寂しい気配」を李白さまは醸し出している訳よ。李白天才!

この詩って七言絶句でしょ?7文字×4行、28文字で、こうも詩情を醸し出すところが、詩仙李白さまの凄みなんだよ。半世紀生きてきて、また李白の詩と再会して、マジ、震えたよ。私の読解の解像度は低かったけど、それでも低パフォーマンスではあってもズキューンと貫いてくる詩仙の筆力よ!

と、李白のすごさを讃えた後に、こんな鑑賞程度の感想よりも、まともで理路整然とした解説はないものかとネットの海を探したら…NHK高校講座(NHK学園高校の授業動画)の中の国語の「言語文化」の中に、2学期(9月初旬放送)に「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」の詩の解説がありました。

NHK高校講座 | 言語文化 | 第36回 [漢文] 漢詩 漢詩を味わう 漢詩 「黄鶴楼送孟浩然之広陵」 (李白)/「涼州詞」 (王翰)

さすが、NHK学園の先生!解説が簡潔で過不足ない!困った時のNHK高校講座頼み!解説の先生は、「当時は交通手段も整っていないから、一度遠くへ行ってしまったら二度と会えないかもしれない、そういう時代背景も感じつつこの詩を味わってください」というようなことを言っていました。私はその辺りを失念していたので、(単に李白のすごさをブラボーしていただけ)プロの先生の解説はさすがだなと感じました。

しかしながら、N高では12月中旬に1年分のレポートを提出することになっているので、NHK高校講座で3学期の単元として放送される予定の分は12月時点では授業音源や授業動画が掲載されておらず…。レポートの中の設問の三国志の白馬の戦いの部分は、NHK高校講座「言語文化」の解説では3学期の学習単元だったので、聞くことができませんでした…三国志は歴史漫画とか歴史小説とか歴史を踏まえたゲームとかでやっているなら理解が早いのだろうけれど、私自身、日本の戦国時代はまあまあ興味あって読んだことはあったけど、三国志はイマイチわかってないんだよねえ…(人名多すぎて覚えきれないパターン)

何とか、書き下し文にして、味わい方を説明してみたものの…すごいね、私が受けた高校教育って!半世紀ほど生きて、漢文とはその後ほとんど交わらない人生だった私であっても、いまだに「ぼんやりと味わう」程度ならなんとかなってるよ。ぼんやりと味わうだけでも、李白のすごさはビリビリ来ました。

ただし、学問っていうのは「精度が命!」なので、正確に読めるか?解像度高く読めるか?ってのが肝なので、たぶん私の読みはあんまり正確ではない気がします。というか、後で他の解説をググったら、ダメダメでした…。私としては、生徒のうちは、学生のうちは、もっと「正確に読む」ってことに時間を使って、突き詰めたほうがいいと思ってます。そのためには、わが子には昭和メソッドで「白文+書き下し文」を書写することをお勧めしたいです。(しないと思うけれど…)

ということで、NHKラジオの「漢詩を読む」という番組を、らじるらじる聞き逃しなどで、聞いてみようかなあ…なんて「リ・スタディ」してみたくなった、中年のたわごとでした。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?