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サイモン・レン=ルイス「2021年~23年のインフレバブルから(これまでに)得られた教訓」(2023年12月23日)

いったんインフレ率は上がったものの,また下がってきている.イギリスにかぎらず,ほぼあらゆるところでインフレ率が下がってきている.このことから,マクロ経済学はどんな教訓を学べるだろうか.そして,どんな問いがなおも残るだろう? けっきょく,〔インフレは供給の混乱からくる一過性のものだと主張した〕「チーム一過性」の言い分は正しかったのだろうか?各国の中央銀行の利上げは遅すぎたのだろうか? また,いざ利上げを始めたときには,急速に引き上げすぎたのだろうか?

本論の前に準備段階でとりあげるべき論点は,生活コストの問題ではない.ある期間にインフレ率が上がって再び下がるとき,その期間の起点に比べて終点の物価はずっと高くなる.自分たちが味わったインフレに見合うだけの所得増加がなかった人たちは,以前よりも悪い状態になってしまう.それも,おそらくは大幅に悪化する.〔パンデミック以前から〕すでに生活の収支を合わせるのが困難になっていた人たちにとって,これはきわめて深刻な問題だ.インフレ率が下がったからといって,その問題は消え去ってはいない.

いまやよく理解されていてしかるべき点を挙げると,この高インフレ期間はたんにエネルギー価格と食料品価格が高くなっていただけではなかった.物価を押し上げた供給の問題は他にもさまざまなものがあった.だが,それよりもっと重要なのは,主要な経済〔先進国〕の大半で,労働市場が逼迫していたという点だ.ほぼ例外なく,合衆国・ドイツ・フランス・イギリスにおいて,2022年の失業率はこの一世紀のどの時点よりも低くなっていた

これにともなって,エネルギー価格や食料品価格のどれがいかほどか上昇しても,賃金インフレもいくらか上昇することにつながりやすくなっていた.すると,それが今度はエネルギー価格や食料品価格の上昇に起因するインフレ促進ショックをいっそう長引かせることになる.なぜなら,エネルギーや食料品を算出していない企業は,労働コストの上昇分の多くを〔自分たちの製品の価格に〕転嫁するだろうからだ.これがインフレ率の永続的な上昇になってしまうのを避けるため,イギリス・アメリカ・ユーロ圏で各国の中央銀行は金利を引き上げた.

そうした中央銀行による利上げは緩慢すぎたのだろうか? ここで次の点の理解が欠かせない.中央銀行はつねに実際のインフレ率をインフレ目標に維持できるわけでもなく,また,そうすべきでもないのだ.さまざまな商品の相対価格が上がったとき,他のあらゆるモノの価格を下げて全体のインフレ率上昇を抑え込もうとすると,非常に打撃が大きくなる.そのため,2021年~23年のインフレバブルは起こるべくして起こったのだ.そこで問題となるのは,中央銀行にはこれをもっとうまく終息できるやり方があったのかどうかという点だ.

また,次の点もぜひ覚えておきたい.2021年に主に懸念されていたのは――そして懸念されてしかるべきだったのは――確実にパンデミックから完全回復できるかどうかという点だった.インフレショックの規模を予見していた人はほぼいなかった(つまり,ロシアがウクライナに侵略するだろうと予見したり,供給側にあれほど多くのボトルネックが生じるだろうと予見していた人は,ほとんどいなかった).また,パンデミックによって労働市場の状態が読みにくくなった.私じしんの見解を言うと,様々なお偉方も含めて多くの人たちの考えと対照的で,各国の中央銀行が2022年まで利上げを遅らせたのは正しかったと見ている.パンデミックからの回復は堅調で,その結果として労働市場が逼迫していることを理解するや,中央銀行はかなり迅速に利上げを行って対応した.

いまインフレ率がこれほど急速に下がってきていることから,エネルギー価格や食料品価格の上昇が永続的な高インフレにつながるのを阻止するのに十分なことを各国の中央銀行は行ったことがうかがえる.まだ私たちにはわかっていないのは,中央銀行がやりすぎてしまったのかどうかという点だ.というのも,名目金利の上昇と経済活動の減少の間には遅延があり,これがかなり長くなる場合があるからだ.[1] だが,それでも,ひとつ重要な論点が言える.

インフレ率がピーク近傍にあったとき,経済学者のなかにはこう主張する人たちがいた(彼らを「インフレ悲観論者」と呼ぼう)――「インフレ率を中央銀行の 2% 目標にまで下げ戻すには経済活動がかなり長い期間にわたって落ち込む必要がある.」 彼らの考えでは,今日の私たちが実際に見ている数字よりも顕著に高い失業率に達しないかぎり,賃金インフレは 2% 目標と整合する水準にまで下げ戻らないと予想されていた.

いまや,この主張がほぼ確実に間違っていることはわかっている.賃金インフレ率はアメリカでも他の国々でも下がった一方で,失業率は大して上がらなかった.もちろん,金利引き上げから遅延して影響が生じて失業率が上がるかもしれない.だが,いまアメリカで賃金インフレ率が下がってきているのはトレンドを上回る失業率が予想されていることからの反応だと考えるのは,いささか創造力をはたらかせすぎだ.

他方,次の点はあまり論じられていない.現行のマクロ経済理論からは,賃金インフレ率を下げるためには一定期間にわたって失業率が顕著に高くなる必要があるという考えは出てこないのだ.この点で,インフレ悲観論者たちが時代遅れのそしりを受ける余地はある.「痛くないなら効いていない」式の考え方は,伝統的なフィリップス曲線から来ている.従来のフィリップス曲線では,価格や賃金を設定する人々は過去のインフレ率だけに着目して将来のインフレ率についての予想を形成する.中央銀行がインフレ目標達成に取り組む際に重要なのは次の点だ.価格や賃金を設定する人々は,予想を形成するにあたって中央銀行の行動を考慮に入れる.

中央銀行に信認があるなら(「信認」という単語は使われすぎているが,ここではたんに中央銀行が首尾よくインフレ目標を達成する〔と見込まれている〕ことを意味する),それによって,将来インフレ率に関する予想はインフレ目標に「錨を下ろす」.ひとたびインフレ促進ショックが消え去ったり超過需要がなくなったりすればインフレ率は 2% にまで戻ってくると賃金や価格を設定する人々は承知しているので,それに合わせて自分たちの予想を形成する.この状況では,インフレ率を下げるために労働力超過〔多くの人が失業すること〕や供給超過〔商品の在庫が余ってしまうこと〕の期間は必要ない.これも多用されすぎたマクロ経済の定番文句を使うなら,ソフトランディングは大いに可能であり,中央銀行はこれを目指すべきだ.

もちろん,中央銀行が対応を誤る余地はある.超過需要をなくすのに十分な手を打たないかもしれない.その場合には実際のインフレ率が目標値を長らく超えてしまう.また,需要をへらす手を打ちすぎてしまって,供給超過がしばらく続く結果になるかもしれない.その場合,実際のインフレ率が目標を下回ることになるかもしれない.アメリカではそうでもないが,イギリスとヨーロッパでは,この2つ目の可能性がいまなお非常に現実味を帯びている.

De Grauwe と Yi が示しているように,1970年代〔の高インフレ〕とちがって,2020年代のインフレを下げるのはずっとたやすい.なぜかと言えば,ひとつには,インフレ促進ショックがもっと短命だったことが挙げられる(食料品価格こそいまだに高いままだが,ガスの価格は下がっているし,パンデミック後の供給の混乱も終わっている).そのため,永続的に供給を縮小させる必要がなかった.だが,それだけでなく,インフレ目標をもつ独立した中央銀行が存在していて,さらに,インフレ率が目標近傍にあり続けた近年の歴史があること(そのために中央銀行に信認があること)も,理由のひとつだ.

「インフレ率を下げるには失業率の上昇と供給超過がしばらく続く必要があると考えたインフレ悲観論者たちが間違っていたと証明されたのだとしたら,「チーム一過性」が正しかったと証明されわけだね?」 いや,それは「チーム一過性」がどんなことを考えて発言していたかによってちがってくる.解説の便宜上,ここでは「チーム一過性」をこう定義しよう.「現になされた大幅な利上げがなくともインフレ率は目標値にまで下げ戻る」と考えた人たち,これを「チーム一過性」と呼ぶ.

〔「大幅な利上げがなくともインフレ率は下がってきたはずだ」という考えは正しかったのか〕上記の問いは判断しにくい.なぜなら,かりに中央銀行があれほどの利上げをしなかった場合にインフレ率の推移がどうなっていたか私たちは知らないからだ.当初,あの利上げの規模と速度に反対していた者としては,「そうとも,私は正しかった」と言いたいところではある.2024年あたりの経済活動やインフレ率がどうなるかによって,答えは大きく変わってくる.いまのところ,ありうる事態は2つあるように思える.そして,主要な経済ではその両方が実現するかもしれない.

ありうる事態の一つ目は,経済がソフトランディングを達成する場合だ:すなわち,インフレ率は目標値の近くにまで下がりつつもトレンドに比べて経済活動が落ち込んだりはしない.こうなった場合,金利引き上げは必要だったことがうかがえる.その点で,チーム一過性は間違っていたことになる.[2] ありうる事態の二つ目は,経済活動が落ち込んでインフレ率が目標を下回ってしまう場合だ.この場合には,中央銀行は金融引き締めをやりすぎてしまっていたことになり,チーム一過性はおそらく正しかったと言える.

あらゆる指標から,アメリカに関してはソフトランディングの見込みの方が大きい.そうなった場合には,インフレ悲観論者たちもチーム一過性も間違っていたことになり,FRB(アメリカの中央銀行)はとてもうまくやっていたことになる.イギリスに関してもユーロ圏に関しても,ソフトランディングか否かを語るのはまだ早すぎる.ただ,少なくともアメリカでは,現時点で,多くの外野の評論家たちよりも中央銀行の専門家たちの方がずっとうまくインフレを管理している.世間で好まれる結論ではないが,べつに意外な結論でもないだろう.

原註 [1]: その理由の一端は次の点にある.経済活動は実質金利(名目金利-予想インフレ率)に影響されるのだ.いま,インフレ率が下がってきてようやく,実質金利はプラスに転じつつある.

原註 [2]: ここでは,金利が上がると総需要が減少すると仮定している.ここで論じたように,現にそうであるという非常に強い証拠がある.


[Simon Wren-Lewis, "Lessons (so far) from the inflation bubble of 2021-3," Mainly Macro, Tuesday 12 December 2023]

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