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母の急逝

クリニックの承継が決まり、「今年の年末は、家族でゆっくりとお正月を迎えることができるよ!」って電話で伝えた時、とても嬉しそうだった母。
その母が急逝しました。

脂質異常症と高血圧の持病があったものの、元気で人付き合いがよく、誰とでも仲良くなってしまう社交的な母。
宮崎から熱海に引っ越した後、「毎日温泉三昧よ〜」と言っていたけれど、実は環境の変化に適応しづらかったのではないかと思います。久しぶりに訪ねると、飲み忘れた薬が散乱しており、物忘れが多くなっていることに気づきました。これはまずいと本能的に感じ、熱海の地域包括支援センターに連絡してケアマネージャーにお願いしたばかりの出来事でした。

心配だったので仕事の合間にも時々電話をかけるようにしていました。
外来診療の合間、昼休みに電話したとき、母は少し鼻声だったので「鼻声だね」って言いました。「うん、風邪を引いたみたい」って言ってたけど、「今からケアマネが来るので、またね」と言われ、バタバタ電話を切ったのが、母との最後の会話になりました。

心筋梗塞で、ポックリ帰らぬ人となってしまいました。あんなに元気だったのに、年末の一家団欒をあんなに楽しみにしていたのに、コロナが落ち着いてきたので「また旅行に行きたい」と夢を語っていたのに。
母の遺品整理の際、お取り寄せするお節料理のメモ、博多雑煮のレシピの走り書きを見つけ、涙がじわっと込み上げてきました。

親孝行、したいときには親はなく…という格言を胸に、機会あるごとに自分にできる親孝行もどきをやってきたつもりなんです。遺影になるね、と笑いながら、たくさんの写真をスマホに撮ってきたんです。仲良しの母といつかは別れの時が来ると理解していたし、いつ死んでも後悔がないように、と思ってきたのですが、ダメでした。やっぱりたくさんの後悔があります。私にとって一番の応援団長であった母に、私は何をしてあげたのだろうか。臨床の現場に立ち続け、患者さんと真摯に向き合い、診療に全力を注いできました。ときに患者さんから、感謝され、ありがたい言葉をいただくようになりましたが、自分自身の母親を一人の患者として十分診ていれば、心筋梗塞を回避することができたのではないかと後悔の念が絶えません。結局は他人任せだったのです。医師としての私を最も必要とし、求めていたのは、私を心から信頼してくれる母だったのではないかと思います。

医療現場に愛がなくなりつつあります。ていたらくな医療体制、お金と引き換えにしか医療を考えず愛のないポンコツ、縦割りで規則通りにしか動けない融通の効かない組織。
自分自身に道徳と経済を問い直しつつ、医療業界の闇と向き合っていきたいと思います。

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