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カルビーが追求した3つの戦略

スナックフーズビジネスにおける
国際性 (グローバリゼーション) と地域性
― カルビーが追求する三つの戦略 ―

カルビー株式会社 代表取締役社長兼CEO 松尾 雅彦
「フードシステム研究」2003 年 10 巻 2 号 p. 24-39 より

著者の松尾雅彦さんは執筆当時、カルビー株式会社の代表取締役社長兼CEOでしたが、退職され、2018年2月にご逝去されています。ご冥福をお祈りいたします。

この論文で、松尾さんは国内向けに製造していたポテトチップ事業を国際化してゆく経過を、活き活きと報告されています。
そして、最後は北海道の馬鈴薯農家が生き残る道について、大な示唆に富む提言をされています。食料自給率の向上が最重要課題になった今日、改めて紐解きたいと思い、ご紹介します。

ポテトチップ

カルビーといえば、

  • 戦時中:カルシウムとビタミンB1の栄養食品「カルビー」

  • かっぱえびせん

  • サッポロポテト

  • ポテトチップ コンソメパンチ

スナックフーズの流通システム

  • 米国では:ダイレクト・ストアー・デリバリー(DSD)システム
    主力商品のポテトチップの鮮度を管理指標とし、
    メーカーのセールスドライバーが個店まで配送する。

  • 日本では当初、菓子卸流通のネットワーク

「カルビー3つの戦略」の①
 日本国内モデル

1967年、ニューヨークの展示会にかっぱえびせんを出品したときに、ポテトチップを見て、日本で事業化することを決めた。
売上高:13億円
工場:広島

1975年、ポテトチップ事業に参入当時。
売上高:230億円
工場:広島・宇都宮・千歳・鹿児島・名古屋(5工場)
商品アイテム:かっぱえびせん・サッポロポテト・サッポロポテトBQあじ
販売支所:東京・名古屋・大阪・広島・福岡・仙台・札幌

工場を増やした理由は、物流コスト

  • 原料産地との近さ:札幌工場・鹿児島工場
    馬鈴薯の主産地北海道と、端境期の馬鈴薯産地の南九州

  • 消費地との近さ:宇都宮工場
    広島工場から東京市場への運賃と、宇都宮工場からの運賃の差額は、工場経費とほぼ同額であった。

1976年、3つのプロセス改革で、ポテトチップ爆発が起きた。
① マーケティング戦略 4Pの革新
 プロダクト:鮮度を品質指標にして、営業が品質管理者になる。
 プライス:1パック150円を100円に値下げ。
 プレイス:流通政策で押し込み販売を止めた。
      スーパーマーケットでの乱売防止に奔走した。
 プロモーション:「100円で・・・」のTVCM
② 12か月の通年安定供給の実現
 5月から7月まで:鹿児島など産地を契約栽培で開発した。
 10月から翌年6月まで:北海道に越冬型長期貯蔵庫を建設した。
  長期貯蔵のノウハウを米国から技術導入した。
③ 品質
 品質システムを本場米国から技術導入した。
 油脂劣化対策として、フライ加工を直火型から還流型に変更した。

急激な売上増による弊害

初年度1975年度ポテトチップ事業売上14億円、1976年度80億円、1977年度180億円と急増した。
1978年、主力工場である宇都宮工場で労基法違反事件
1979年、労使紛争、産地ではホクレンとの関係悪化、市場ではダイエーの店頭からカルビーのポテトチップ全アイテムが消えた。
1980年、「55年の三重苦」からの脱却のため、問題を3点に整理した。
 ① 原料品質の不良:工場と馬鈴薯産地間の軋轢の克服
 ② 流通活動での混乱:メーカーと小売業との戦略の軋轢
 ③ マネジメントの未熟:ワンマン型中小企業経営からの脱皮
この整理に基づいて、対策が実施されました。

業務過多による時間外労働の過重問題

原料調達 馬鈴薯産地と工場の連携

原料ポテトの調達量
 1975年度: 7,000トン
 1990年度: 約20万トン
「農家は工場の苦労を知ろうとはせず、工場は農家の事情に理解を示さない」という関係を変えるため、「カルビーポテト株式会社」を創設して原料調達することにした。1997年から、工場ごとに産地を特定して深い連携をとることにした。
・ 産地-工場-商圏 で示す7つの地域カンパニー。

  • 北海道 智恵文 - 千歳工場 - 北海道

  • 北海道 美瑛 - 栃木工場 - 東日本

  • 北海道 士幌 - 埼玉工場 - 東京

  • 北海道 川西 - 岐阜工場 - 中部

  • 北海道 芽室 - 滋賀工場 - 近畿

  • 北海道 女満別 - 広島工場 - 中四国

  • 北海道 常呂 - 鹿児島工場 - 九州

この調達体制の改革で、
・ 経営管理組織もカンパニー制が取り入れられた
・ 商圏(消費者への販売地域)-小売点群-生産拠点-原料の生産地域が一連のものになった。
 また、トレーサビリティーの確立という今日の食品産業で最も重要な課題が整った。

産地圃場から店頭までのサプライチェーンマネジメント(SCM)の革新

 7つの地域カンパニーは、業務容量を標準化した。このベースは、「MSBS(モダン・スナック・ビジネス・システム)」と呼ばれた。
 その一つは、「10プロセス・品質マネジメントシステム」

  1.  種子:品種改良

  2.  圃場:府県産地の開発(製品の通年生産)、肥培管理改善

  3.  原料流通:ポテト貯蔵庫建設、管理ノウハウ導入

  4.  前処理:原料の皮取り等調製作業

  5.  加工:間接加熱式フライヤーへの転換

  6.  調味:味替わりバラエティー

  7.  包装:業界初の製造年月日表示、アルミ蒸着フィルム採用、窒素充填

  8.  配送センター:実需用生産体制による在庫圧縮

  9.  製品流通:シンプル・ウェイの提案

  10.  店頭:鮮度管理システム、プロモーション活動

もう一つは、製品のロジスティックシステムで、小売の販売活動をスタートとして、加工生産するプロセスで、鮮度を保証する業務システムです。賞味期限120日の製品では、製造日後80日を超えると不良品となるが、その不良率を2000年8月2.2%あったものを2003年4月には0.3%に減らしたという。

消費者へのアプローチ 52週ビジネスダイヤグラム

コンソメパンチや、湖池屋のカラムーチョなどの味替わり商品は、消費者の好みの多様化を促進したが、一方で、商品の短命化をも促進した。売れ残り発生で、鮮度管理上の問題を起こさない解決策は、販売ペースが落ちる前に終売して別の新製品を導入することである。その組み合わせの業務要領として「52週ビジネスダイヤグラム」が開発された。

以上が、日本国内モデルである。アメリカ産のDSDに日本の食文化を取り入れ、DSDにかわった菓子卸流通を組み込んだシステムである。

東京アメ横の菓子問屋街

「カルビー3つの戦略」の②
 アジア展開

香港にスナック工場を建てたい

1985年プラザ合意で猛烈な円高が始まった。これにより日本国内での競争優位性が揺らぎ始めた。
・ 社会主義圏の消滅によるグローバル経済の進行
・ 円高の状況に対応し、海外からの攻勢に、国内市場での優位性の確保
・ アジアと中国主要都市でのスナック市場の形成
香港工場を、スナック製品のフルライン工場として建設した。

中国 青島を拠点とするかっぱえびせん原料調達

① 主原料の小麦粉の調達
日本では食管会計により国際標準的な価格の2倍以上だが、青島では米国産・日本産・中国産のいずれも自由に選択できて、価格は日本国内の40%程度である。
② もう一つの主原料の冷凍えびの調達
日本の消費者の厳しい異物混入に対応できるのが中国山東半島周辺地域である。原料の冷凍えびの青島工場着価格は、広島工場の60%程度である。
③ 労働力の優位性

青島での原料調達拠点を活用した広域スナック事業戦略

 各国の経済が発展し、一人当たりGDPが5千USドルを超えるとスナックフーズ市場が形になり、1万USドルを超えるとポテトチップ市場が爆発する。
 想定されるスナック菓子市場は、中国主要都市に形成されることを想定し、かっぱえびせん工場を台湾、広州市、北京市などに進出して、青島工場から原料供給をする構想を立てている。

「カルビー3つの戦略」の③
  シンプル・ウェイ

 海外に移転した生産拠点(青島工場)と国内に定住する生産拠点(広島工場)をもつことで分かった、21世紀に国内での生産活動が優位性を持ちうる2つの条件がある。

 ひとつは、個性や独自性が認められて他の追従を許さぬこと
 他のひとつは、売場と工場間の時間距離を短縮して、商品の鮮度やサービス面の細やかさを戦略軸に据えること

戦略的オペレーションシステムとしてのシンプル・ウェイ

 第一の特徴:
 従来のスーパー本部の見込み発注や工場の計画生産から脱却し、個店の「リスクを負った発注」を起点とした受注生産への転換。
 大量生産方式からトヨタのカンバン方式のような受注生産方式への転換は、日本のものづくり発展史でのダイナミックな転換でり、世界中の標準になっている。

 第二の特徴:
 個店と工場の間をIT化して、EDI(エレクトリック・データ・インターチェンジ)取引で、接点コストを大幅に削減。
 売場とメーカーの間を結ぶ卸問屋の存在について、大きな懸念が叫ばれている。しかし、IT化をはじめ中間物流機能の合理化が卸問屋の消滅につながるというのは幻想である。

 第三の特徴:
 個店ごとの固定客に継続的なサービスを実現。
 この特徴の実現のために、卸問屋の本来の機能が認められる。

北海道農業の生きる道

結論として、3つの提言をしている。

政府管掌の施策の失敗と変革

 国産馬鈴薯よりも輸入馬鈴薯を使用した製品が著しく増加しているのは、行政行動(馬鈴薯に関する規制や種子開発)の結果である。自給率の低下という紛れもない実績として、現在の諸制度が海外への生産地移動を促進していることを認めなければならない。
 変化に対応できず、技術革新や種子改良の競争についていけなかった。農民対策ではなく、産業政策と社会システムの改革が必要であった。

十勝に、一本物のポテト産業政策を持とう

 実効のある産学連携を実行し、目標を世界1位もしくは2位のレベルにおくこと。モデルとして、米国カリフォルニア北部ナパバレーのワイン産業の例を挙げている。成功のキーファクタ(KFS)として3つを挙げている。
1. ブドウづくりの技術革新のために大学と産学連携したこと
2. ブランドを目標として、ボルドーの銘醸と連携したこと
3. 地域の人々の文化レベルを一段引き上げたこと
 文化性を持たない地域主義は、コモディティ化に伴う単なる価格競争の波にさらされるだけである。どんなに規制の防波堤を作っても、それによって将来明るい社会が訪れるわけではない。

世界中の人々を北海道に惹きつける

 北海道テイストを確立して、都市の人を呼び寄せるほどの誇りのある村を作るべき。町村合併などしてはいけない。


【編集後記 槌田博】
松尾雅彦さんの熱いメッセージがこの論文に込められたのは、2003年のことです。20年たった今もその輝きを失っていませんでした。
今の2022年になって、ウクライナ戦争で改めて食料の国産化、自給率の向上の必要性を再認識した国民が増えているのではないでしょうか。

食料自給を一番の政策目標に据えなくてはなりません。

馬鈴薯




 





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