見出し画像

星見純那は大学に進学した上で留学してる論 #劇場版スタァライトネタバレ

こんにちは。大腸菌デリバリーサービスと申します。
自分は劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライトを劇場で7回、家で2回の合計9回観劇しました。
その結果、劇中屈指の名レヴュー『狩りのレヴュー』の印象が180°変化してしまいタイトルの様な結論に至りました。
一体何故その様な結論に至ったのか、追って説明していきたいと思います。

希望進路と進学先

本題の狩りのレヴューに入る前に、純那が冒頭で出した希望進路とエンドロールで流れた実際の進路を比較してみましょう。

希望進路:大学進学
進学先:NYのミュージカルアカデミーへ留学

舞台の道へ進んでますね。
自分も最初観た時は「あぁ進学先変えたんだ。」と思った訳ですが、最近は大学に進学した上で留学をしているのではないか?と考える様になりました。

一見すれば「あのレヴューの後に逃げの理由を残しとく訳ないじゃん」と思うかもしれませんが長い目で見て頂けると幸いです。

狩りのレヴュー【大場映画株式会社】

「ケリをつけるって何に?」と戸惑いながら舞台に上がる純那。そんな彼女を待ち構えていたのは舞台を離れる為の言い訳を重ねる自分を映し出したスクリーン。そこにブチギレ介錯モードの大場ななが登場。
でもこのシーン、おかしな点があります。
スクリーンに映し出された純那のセリフ、該当シーンの電車内でのセリフと比較すると言ってないセリフが盛り込まれているんです。

こちらが電車内での会話内容

クロ「いいの?純那は新国立受けなくて。」
純那「敵わないもの、天堂さんやあなたには…」
クロ「え?」
純那「でも『今は』よ!」
純那「いつか主役を掴む為に…今は…」

そしてこちらが大場映画株式会社編集の会話内容

純那「今の私じゃ経験も練習してきた時間も足りない…」
純那「舞台に立つ為の覚悟だって全然…」
純那「でも『今は』よ!」
なな「今は今はと言い訳重ね、生き恥晒した醜い果実。」

かなりセリフを盛られてます。ディープフェイクか?
一体何故、大場映画株式会社のスクリーンに映し出された純那は言っていない言い訳をしているのか?
自分はこれを「大場ななには星見純那が言い訳をしている様に見えている」事を表したシーンだと思っています。
このおかしな点は後の逆転シーンへの重要な伏線になります。

狩りのレヴュー【敗北】

さて、シーンは進んで他人の言葉を重ねる純那。
しかし、他人の言葉では大場ななには響きません。文字通り純那の攻撃は一刀両断されていきます。
何故なら大場ななはあくまで「主役になれないのに愚かしくもがいていた、あの星見純那自身の言葉」に眩しさを感じていたからです。
他人の言葉を言い訳の為に並べている(様に見えている)変わってしまった純那に眩しさは感じない訳です。

「主役になれないのにもがく姿が眩しい」
一見するとななは正しい事を言っている様に見えます。
実際、私たち観客も「特別な才能が無くともがむしゃらに手を伸ばし続ける姿に共感出来るのが星見純那の魅力」とTVアニメ版を通して感じていると思います。
が、この大場ななの「星見純那観」は逆説的に考えると
「主役にならずにずっともがいていて欲しい」
と言う中々に残酷な価値観の押し付けに他ならないんです。
そう、大場ななは星見純那には変わらずにいて欲しいんです。

では何故、星見純那は変わってしまったのか?
何故、大場ななには舞台を諦めてしまった様に見えたのか?
それは大場ななが星見純那に望む事が「主役になれないのに頑張る役」に対して、星見純那自身の目標はTVアニメ版の時から変わらず「主役になる事」だからです。
星見純那は聖翔音楽学園で3年間、がむしゃらにもがき続ける中、真矢やクロディーヌにはある主役を張る才能が自分には無い事に気づきます。
このまま大場ななが望む様に愚かしく努力しても主役を勝ち取る事は出来ない。
そんな彼女が主役を勝ち取る為にした選択。

それが「舞台を客観的に見る」です。

生まれながらにして偉大な人もいれば、
努力して偉大になる人もいる。
真矢やクロディーヌを出し抜き主役になる為の彼女にしか出来ない選択、彼女にしかない強みを身に付ける為、大学進学を選択しているのです。
この選択が舞台から逃げる為の選択であるならば進路相談の際に元舞台女優でもある櫻木先生は必ず止めているはずです。
しかし、彼女は優しく純那の意志を肯定し、送り出しました。
何故なら、大学進学を良く思っていないのはあくまで「星見純那とは主役になれないのにがむしゃらに努力する眩しいキャラクター」だと思い込んでいる大場ななと観客だけだからです。
なので、レヴューが始まっても彼女は誰よりも客観的に舞台を捉えており、その結果、皆殺しのレヴューで大場ななに「私たち未成年じゃない」なんて客観視の極地みたいな返事をしてしまう訳です。

狩りのレヴュー【再演の終わり】

さぁ、そんな主役になる為に変化する星見純那は変化を受け入れられずずっと主役にならないでいて欲しい大場ななによりメッタメタに完全否定されます。
そりゃななからすれば自分の言葉で前へ進む後押しをしてくれた「あの純那ちゃん」以外の人間の言葉が響くはずがない。
でもあの時の純那はまさか自分の言葉にななが救われていたなんて気づきもしないニブチンなので他人の言葉を連ねていきます。
そんな言葉じゃ届かないと、眩しかったと言われてもなお他人の言葉で自分を奮い立たせようする純那ですが、あの時と同様、最終的に自分の言葉に辿り着きます。
差し出された切腹用のななの刀を自分のキラめきで上書きし口上を述べます。

人には運命の星あれど
届かぬ足りぬはもう飽きた
足掻いて 藻掻いて 主役を喰らう
99代生徒会長 星見純那
殺してみせろよ 大場なな

運命の星、つまり才能によって与えられる役。
それを手に入れる事が出来ない現状を打破し、主役を喰らう。
純那の主役への渇望が表れています。
99代生徒会長 星見純那。如何にもなってそうって感じですが、もう99期生と名乗っていた頃の純那ではない事を示した変化でもあります。
私はまだ、舞台少女として死んでいない。
主役を掴むまでは死ねない。殺してみせろ。

自分の想いを自分の言葉に乗せ大場ななに斬りかかります。何度弾かれても立ち上がり、また大場ななへ挑み続ける。
その姿にななは苛立ちを隠せず片手であしらっていたのを両手でしっかりと刀を握って斬り返し始めます。
でも、この時大場ななは今の純那に魅せられつつあるのです。
ななはTVアニメ版の時からずっと「自分の価値観が上書きされそうになると極端に否定的になる癖」があるので今、ここにキラめいている星見純那を認められず否定的になります。

私の純那ちゃんはそんな役じゃない!

もう完全に価値観の押し付けですよね。
「私の純那ちゃんが主役になるのは解釈違い!」とかぬかし始める訳です。公式が解釈違いとか言うタイプのオタク。

当然、こんな事を言われて黙っている純那ではありません。
彼女の歩みは遂にポジションゼロへ到達し、舞台は大場ななの支配する黄色いライトに覆われた舞台から、翡翠色のライトに満たされた星見純那が主役の舞台へと変わります。

あなたに与えられた役なんかいらない
あなたが用意した舞台なんて全部斬り捨てる

主役になれない役も、
そんな人間としてもがく舞台も、
そんなものは私には必要ない、と。
私は主役になる、と。

目が眩んでいるのはあなたの方よ

大学進学が逃げの言い訳?
星の遠きに望みを絶たれて舞台少女として死んだ?
その程度で私が諦める?

伊達に何度も見上げてないわ
あなた今まで何 見てたの?

レヴュー曲である『ペン:力:刀』
『:』は『すなわち』と言う意味です。
訳すと「ペンは力、すなわち刀。」
「勉学は私の力であり武器だ。」と言う意味になります。

だってこの舞台の私は
今この舞台の私が
眩しい主役 星見純那だ

遂に星見純那は「主役になれない星見純那」から
主役を掴む星見純那」へと再生産されます。

この映画ではそれぞれのキャラクターとしての存在意義、コンセプトがTVアニメ版からワイルドスクリーンバロックを通して再生産されています。

華恋とひかりは「運命の2人」から「負けたくないライバル」へ、
まひるは「怖くて依存するしかなかった舞台少女」から「怖くても舞台で生きていくと決めた舞台女優」へ、
双葉と香子はそれぞれ「待つ方」と「待たせる方」を交換し、
真矢とクロディーヌは「追われる者」と「追う者」から真に「競い合うライバル」へ。

そして、星見純那は上述の通り。
では、大場ななは?

再演の果てに純那の言葉で99回聖翔祭から解放され前に進んだ彼女ですが、結局、彼女は「主役になれなくても手を伸ばす」あの時の星見純那に魅せられ囚われていた訳です。
しかし、狩りのレヴューで純那は更にそれを「主役を掴む星見純那」のキラめきで上書きし、また大場ななを解放しました。
だからレヴューが終わった後、ななは「終わったのかもしれない。私の再演が、今。」と感じたのです。
ある意味、大場ななが一番次の舞台へ向かえてなかったのかもしれません。

まとめ

長々と書き、自分の言いたい内容からフォーカスがちょっとずつズレてる点があるので最後に箇条書きして結論を述べます。

・大学進学は逃げの選択ではない。
・聖翔で3年間がむしゃらに努力しただけでは主役は掴めなかった。
・『舞台を客観的に見る』と言う彼女だけの強みを持つ為の選択。
・大場ななには「星見純那とは主役になれないのに手を伸ばす姿が眩しい存在」と言う固定観念があり、囚われている。
・それにより大場ななは主役になる為に変わる星見純那を受け入れられない。
・あらゆる場面で純那が情けなく描かれているのはワイルドスクリーンバロックを取り仕切る大場ななの主観が影響しているから。
・純那は「主役を掴む星見純那」の可能性とキラめきをななに示して「あの時の純那ちゃん」からななを解放し、自分の道へ進んだ。

以上の内容を踏まえた上で私の結論を述べますと、

レヴュー曲の題名や歌詞からして純那は自身の武器は「勉学」であると認識しており、自分だけの強みを持って主役を掴む為に決断した『大学進学』を取り消して留学したとは考え難い。
彼女は自分の道を進み主役になる為、大学に進学した上で留学し
勉強も舞台も両立している。

となります。

正直、粗削りな文章なので共感出来かねる部分も多々あると思われます。
皆さんには皆さんの狩りのレヴューに対する解釈があると思いますので無理にこの「星見純那は大学に進学した上で留学してる論」に共感して頂きたいとは思っていません。
むしろこの発想に対になる様な論拠があるとすれば、それは自分にとって非常に興味深い存在です。是非、意見交換願いたいです。
この解釈に共感したという方も是非「このシーンのこのセリフがこの説の補強になるよ!」であったり「ここは制作側がこれぐらい深い意味を込めてると思う」などアドバイスを頂けると幸いです。

最後に、こんな長々とした感情任せの粗い文にお付き合い頂きありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?