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勇者と魔王の志望理由書を書いてみた

志望理由書のお手本となる実績を持っているのは勇者ではなく魔王


世界を滅ぼそうとする悪魔と、それを阻止する勇者の攻防。
よくある話だ。
ここに、勇者と魔王を志望してきた者の志望理由書をあげてみよう。

勇者の志望理由書

 私の故郷は昔、魔王に破壊されました。この日を機に魔王の恐怖に怯える人々を救うために勇者になることを決意しました。私が勇者に向いている理由は2つあります。ひとつ目は、私の故郷の村に祀られている剣を偶然抜いた事があげられます。古来より勇者に相応しい者にしか抜く事ができないと伝えられている剣なので、私こそが本物の勇者であるといえます。ふたつ目は人を惹きつける能力があることが挙げられます。はいかいいえでしか会話をせずとも、はじめて会った人とでも仲良くなることができ、強い呪文を唱える魔導士や、強力な正拳突きを繰り出す武闘家などともすぐに仲間になることができました。私が魔王の手から世界を救いたいと言う気持ちは誰にも負けません。以上のことより、私は勇者となり魔王を滅ぼし、世界平和を築くべく勇者となることを志望いたします。

魔王の志望理由書

 私が魔王志望のきっかけは人間に絶望したからです。利己的に行動し、人間同士の争いを止めることができない人間に対していつの頃からか憎しみを抱くようになりました。それ以降、人間をこの世界から排除すべく活動をしてきました。具体的には、まず同じような悩みを抱いている者同士で集まり、組織を形成し、効率的に支配できる仕組みづくりを行いました。また、同志の個々の能力に応じて中ボスとして相応しい地域を担当させて支配するようにしました。その結果、都市部だけでなく、地方都市を戦略的かつスムーズに支配することができたと自負しています。これらの実績から、私には魔王となるに相応しいリーダーシップがあるといえます。私が魔王になるべき存在であることは、人間たちが私に対して怯えていることが何よりの証拠です。行動力は誰にも負けません。近い将来、私が魔王としてこの世界を支配することを約束いたします。

どちらが優れた志望理由書か

 勇者の志望理由は、誰かからの依頼や偶然による動機がメインである上に、これから魔王を倒すことができる理由を明示するだけの活動を過去にしていないことが多い。
ピンチの時に「ここで負けてはならない!」と意気込むことはよくあるものの、その気持ちは理解できるが、倒せる根拠をあげることは少ない(お前の魔法に対して私の勇者に鎧はダメージを受けることはない、よって私が負けることはない的な説明をしない)。
 対して、魔王の場合は動機がそもそも歪んでいるものの、魔王になると決めてから具体的な行動をすでに起こしており、実行力や可能性を十分に示すだけの実績を挙げている。そのプロセスも世界を緻密に分析したうえで計画的に行なっている場合が多く、誰がどう見てもこの人物が魔王にふさわしいと感じざるを得ないことが多い。
そして何より、勇者の動機付けは少なからず外発的であり、魔王は内発的であることから、わざわざ意気込みを書かなくともその熱量が伝わるだろう。

え?
私の書き方の問題?

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