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こうつうあんぜんきょうしつがやってきた!

先日、娘の幼稚園の交通安全教室に行ってきた。
私が住む町は熱心で保護者は毎回強制参加させられさせていただく。

そこで交通指導のおばさんが、右側通行や横断歩道の渡り方の約束を説いた。
その際、大判用紙に下に書いたような絵が描かれたものを見せながら、人型の人形を使って、「右はこっちです。こちら側を歩こう」「横断歩道の場所で道路は渡ること」、などと基本的な交通ルールを説明をしていた。
園児たちは元気よくハイと答える。

大判用紙のイメージ

ここで ひとつのぎもん をおぼえた

幼稚園児に地図の概念はあるのか?
そもそも、右ってなんなんだ。
右と言いつつおばさんは左手を挙げているぞ。
絵の上に向かって歩けば右だけど、下に向かって歩くのであれば逆じゃないのか?
というか、絵で上に向かうことと、実際に道路を歩く時の風景はリンクしているのか?
上に向かうと無条件で思っているこの会場の人たちは、どこでその前提を受け入れはじめているのだ?
それが幼稚園児の段階で獲得できることなのか?
でもこのおばさんが元気の良い返事に満足げにしているという様子を見ると、幼稚園児でも認識できているという何かしらの科学的根拠があるのだろう。
そんなことを考えている間に、ありがたいお話は終わった。

もしかすると、これはRPG(ロールプレイイングゲーム)の経験なのではないだろうか?
そもそもRPGの始まりといえば、日本ではドラゴンクエストで、主人公を真上から俯瞰して地図上を動かす(三人称視点)。
それに馴染みがあるから大人は突然地図を出されて説明しても対応できるのではないか。
でも、世界的なRPGの元祖といえばウィザードリィ(諸説あり)だ。


ドラクエよりもっと前に発売されたこのアメリカ生まれのゲームの視点は一人称だ。
自分を何かに移し替えて世界を表現する際には、その視点が普通の発想だったのに、ドラクエが三人称視点という革命を起こした。
この革命の歴史に当てはめるのであれば、人間の認識の順番としては、やはり一人称が先で、三人称は後になって獲得できる認識なのではないのか?
謎は深まるばかりだ。

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