🎦『ユダヤ人の私』を観ました

2021年11月29日　
岩波ホール　にて

ドキュメンタリー

ドキュメンタリー映画が持つ意義というものを改めて考えてしまいました。私にとっての映画はとっておきの楽しみではありますが、
決してそれだけのものではないな…ということです。

「ブラックボックス・フィルム＆メディア」というドキュメンタリー映画の製作プロダクションがチームで作った映画。
なので、監督の名前も連名で紹介されています。

代表のクリスティアン・クレーネス監督と、
2006年にプロダクションを共に立ち上げたフロリアン・ヴァイゲンザマー監督。

彼らは“戦争で起こったこと”が忘却の彼方に追いやられないよう、
その目撃者たちの物語を記録として残すべく活動をしています。
しかし、多方向からの事実を検証するために取材をするには、
証言者たちの年齢は高齢になりつつあり、
映像に残すために残された時間は少ないと考えています。

まさに今回の主人公マルコ・ファインゴルドさんは取材を受けた年の
2019年9月19日にその生涯を閉じられました。

マルコ・ファインゴルドさん

オーストリア　ウィーンのユダヤ人街に住んでいたファインゴルトさん。1938年、反ユダヤ主義が急速に早まったオーストリアで
ゲシュタポに逮捕され暴行の末、国外追放処分を受ける。

ポーランドからチェコスロバキアへ移り、そこプラハの警察に逮捕され、
その後6年間もの間、4つの強制収容所を転々とすることに。
数奇な運命の末、生き残れたことについては、
「何か全能の力があったのではないかと思う。私が生き延びることができたのは、信じられないような奇跡の連続だったから」と語っています。

しかし、運命に抵抗し続けたファインゴルトさんの生き残りをかけた執念のようなものが、彼の語りの中にいくつもありました。
私はどんな状況でも、あがきにあがき続けたファインゴルトさんの
たぐいまれな精神力も彼を生還させた大きな一因だったと感じます。
そして、それはその後の彼の活動につながるのです。

戦後はユダヤ人難民の支援や語り部として生を全うしたファインゴルトさん。
彼への取材は2018年と2019年に分けて行われ、
合計45時間の映像が記録できたとのこと。
取材を受けた時、彼は105歳という“偉大”な年齢でした。

しかし、画面に映るファインゴルトさんの表情は実に雄弁で、
深く刻まれた皺や、窪んだ眼の奥の光からは、
言葉以上のメッセージが伝わってきます。

驚くことに、彼はこの取材を受けている年にも学校やイベントでの講演活動で多忙という身で、生涯で50万人の人に自分の見たこと、体験したことを話してきたと言います。

危機感

そこまで彼を駆り立てたものとは何なのか？
ホロコーストでは、600万人のユダヤ人が殺害されたという。
あれだけの犠牲がありながら、現在の多くの人々はそれを検証することなく、忘れ去り、何も知らないまま、過去に葬り去ろうとしている。
それは将来、同じことが繰り返される可能性につながります。

この映画の製作者たちも同様な思いから、世界のあちこちに見られる、
再び戦争を助長させるような動き・他者への不寛容な考え方に対して、
真摯な議論を提唱しようと考えています。

怖いと思ったのは、「ドイツでは迫害は1日ずつ徐々に進んだが、オーストリアでは24時間でユダヤ人から権利が剥奪された」と語っている部分です。私たちが意識していなければ、世界はアッという間にひっくり返る可能性があるということ。
「Never Forget」決して忘れてはならない、
あのような犯罪が二度と起こらないようにするために・・・
ファインゴルトさんからの強いメッセージと共にこの映画が残されました。

反ユダヤ主義オーストリア

ファインゴルトさんは地獄からの生還の後、
70年以上もどんな思いで生きてきたのだろうか。
自国オーストリアは、収容所から解放された人々を唯一迎えに来なかった国だった。

オーストリア政府は、党を支えるナチ党員票への配慮からユダヤ人が国に戻ることを拒み、ユダヤ人から奪った建物や財産を返還することも、国に対する賠償要求を求められることも警戒したという。
ファインゴルトさんたちの不遇は、実は戦後も続いたわけです。

結局、ウィーンに戻ることは許されず、ザルツブルグが終の棲家となる。
方や、元親衛隊などは花束で迎えられ、優遇されたという。
ファインゴルトさんは、ザルツブルグのユダヤ人協会の会長に任命され、
住む場所を失った同胞ユダヤ人10万人以上をイタリア経由でパレスチナへ半ば非合法的に送ることに尽力しました。
そして、ナチスに加担したオーストリア政府にその責任を追求し続けました。
多くの誹謗中傷、ヘイトの言葉を投げつけられながらも。

悪夢

「収容所での6年間は“飢え”との戦いだった」

「人は死ぬと顔は安らかになるというが、飢えで死ぬ人々の顔には苦しみが現れている。苦しんだ顔の無数の死体がトラックいっぱいに積まれて運ばれるのを見た。」

「赤ん坊が引き離され、母親の目の前で壁にたたきつけられた。その母親はじきガス室に送られ、その苦しみは長引かずにすんだ」

「1年に数回、汗びっしょりになって目が覚める」
「まだ強制収容所にいると思ってしまう」

「人はすぐには死なない。自分が死ぬのを見ながらゆっくり死ぬんだ。」・・・彼らの経験したことを思うと、その後の人生でも、心は何度も恐怖や絶望にかき乱されたことだろう。

「自分の経験を語る機会がなかったら、私は生きていられなかったと思う。多分、怒りが私を生かしてくれたのだろう。」
せめて、彼の後年に少しでも彼の心に平安をもたらしてくれるひと時があってほしいと思う。

彼は1948年から30年ほどザルツブルグで大好きなファッションビジネスを営んだそうだ。
もともと経営の才覚のある方らしい。
若いときからおしゃれで後年はダンディな方であったことは映像からも伺われます。

そして、ユーモア。
生き様が作り上げた表情には、その人の人生がしっかりと刻まれるものだということをこの映画の映像で改めて感じました。
彼の表情やしぐさからそのユーモラスな部分も感じ取れましたし、
彼の旧知の人もそれを伝えています。
ユーモアは、人が生きる上で欠かせないエッセンス。

彼の妻、ハンナさんは後日、残された映像から彼との楽しい想い出でも、
哀しい思い出も同時に想起されたと述べています。
彼は両親、兄二人、妹一人という身内と死別してしまいましたが、
後年作り上げた人生での家族の存在と、彼を愛し、
彼の活動を支持する多くの人々によって、戦後の不当な扱いとの戦いが支えられたに違いないと思いたいのです。

マルコ・ファインゴルト小橋

2021年5月、ザルツブルク市はザルツァッハ川にかかる「マカルト小橋」を
「マルコ・ファインゴルト小橋」に改名して、
ファインゴルトさんの功績を称えたそうです。

その橋のたもとには、ファインゴルト小橋の由来を示す石碑があります。
もともと、この橋は恋人たちが幸せを願って南京錠をかけるので有名な橋。

今現在もファインゴルトさんの悲願は道半ばのままです。
オーストリアだけに限ったことではなく、各自が自分事として、
この映画が鳴らす警鐘に耳を澄まし続けることが大切なんだと思います。