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星空が見える場所に住みたい

いつの頃からか、星空を眺めることに関心をもつようになっていた。
とても幼い頃から。でも、実際に星空を眺めたことは、ひとつひとつ鮮明に覚えているほど、数少ない。

子供の頃、両親が共稼ぎだった私は、幼稚園から小学校を卒業するまで、夏・冬・春休みは母の郷里に預けられていた。中国山地の分水嶺の瀬戸内側、周囲を山に囲まれた村の夜空には、天の川がまさにミルクのようにくっきりと流れていた。

時が過ぎ、結婚が決まって、未来のパートナーをその村に案内した。私達は古風な考えを持っていたので、1階と2階に別れて寝床をとった。蒸し暑い夜、寝付けぬ私は田舎家を出て、田んぼのあぜで空を見上げた。そこには澄みきった満月が鎮座し、星星も負けじと輝いていた。同じ時、パートナーは2階から同じ星空を見つめていた。

時は流れ、北海道の札幌に住んでいた私達は、子供が出来て車を買い替えたのをきっかけに、ふと、満天の星を見に行こうと思い立った。星空を求めて車を走らせた。石狩平野は行けども行けども、150万都市、札幌の灯りに追いかけられて星は見えない。やっとたどり着いたのは留萌の海岸であった。うねるように切り立つ断崖に囲まれた、暗い道路の上空に、懐かしい星空はあった。150キロばかり走ってきたことになる。心が満たされた次の瞬間、エンジン音がして、1台のバイクのヘッドライトが星空をかき消した。星空のなんと儚いことか。

3人目の子供を授かって間もない頃、海外赴任が決まり、家族揃ってタイの田舎町に移住した。毎晩星が見られる!との期待に反して、気温の高さと埃っぽさのため、星は数も少なく弱々しかった。そんなある日、家族でエベレストのトレッキングをしようという話が持ち上がった。そして実現した。ルクラからナムチェまでの道中、パクディンの山小屋で夜をむかえる。期待して夜中に外に出ると案の定、暗くて足元もよく見えない。そして見上げた空。4000m級の名もない山に囲まれた隙間は、輝きに満たされていた。手が届きそうなほどに。

星空は自分を一瞬でちっぽけにし、次の瞬間、宇宙大にしてくれる。どこでも住めるとしたら、わたしは星空が見える場所に住みたい。

#どこでも住めるとしたら

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