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母との面会

施設の玄関に母が出てきた。
何とも言えない表情。うつむいたままである。車イスに乗せられて、車イスの右側の肘乗せに肘をつき頬杖をしたまま、うつむいている。

先月、施設の廊下で転んで、また最近転んで右側の大腿部が痛いのだそうだ。歩くと痛いので、車イスに乗っているらしい。

自分からは一切話さない。話しかけると一言返ってくるだけ。表情は暗い。「つまらない。」「痛いのよ~。」「知らない。」「食べてない。」「大丈夫よ~。」

唯一「大丈夫よ~。」の言葉だけがほっとする。救いだ。他の言葉は、全て心配な言葉だらけ。

心配しても今は何もやってあげられない。

どうしようもない気持ちを持ちながら、15分間と決められた玄関での面会のリミットを気にしながら、思い付いたことを話しかけ続ける。
しかし、その会話の中に意味のある会話は何もない。話しかけても母は、どうせわからないし理解できないし多分、夢の中で声を聞いている感じなのかなと思うと段々、空しくなってくる。

それでも、必死に手や足を摩って、肩を優しく摩って、少しでも家族の温もりを感じてほしいと願う。

「そろそろ、時間なので~。」と聞こえる。若い施設長が近づいてくる。「ちょっとお話が~。」と、後ろで見守っていた姉の側に行って母についての状況を話している。(えっ、私も話を聞きたいのに…。近寄って聞こうとしても、私には目も合わせてくれない。)

姉は、母とずっと同居していて施設に入る前までずっと面倒をみてくれていた。母のキーパーソンだ。
それにしても、私も一応、娘なのだ。少し位目を向けて話の内容を教えてくれてもいいようなものを…。
ちょっと配慮がないな~。と思いながら、悲しくなり必死で話を盗み聞きする。
姉は、若いのにとても出きる人なのよ~。と施設長の事をいつもを絶賛している。
私は、腑に落ちない気持ちになる。
滅多に面会に来ない人には、こういう態度なのかと思いながら、母の足を摩り続ける。
私は病院や老人施設でも働いていた経験上、やはり患者のキーパーソンとは親密にやり取りするが、他の家族の関係なども細かく把握していくし、心配そうに話を聞こうとしている家族に対しては、日頃の状況を話してあげたり、もっと配慮をしてたつもりだ。
まぁ、色んな意味でしょうがないのかも。

コロナ禍での面会というのは、ホントに味気ないものだ。狭い玄関での面会でゆっくり出きるわけがない。でも、顔が見れただけで有りがたいと思うしかないのかもと思い直す。最後に母と写メをとる。撮ってくれている姉が「笑って!」と声をかけると母が大きな口を開けておどけた振りをする。
母は、たまにこういう事をする。そのクセが残っているのだ。とちょっと嬉しくなる。

また、会えるのはいつになるかな…と思いながら、手を振る。母の表情は変わらない。手も振らない。それでもいい。母と会えて良かった。

65歳以上の認知症は、6人に1人という。その中でアルツハイマーは、6割以上。不治の病と言われていた肺結核の様に、この先の未来には、アルツハイマーも治る病気になるのかな…。


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