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50才、身体の変化、心の変化。

40代は、まだまだ。いろんなことが、セーフだった。
それが、50才になったとたん、一気にどどどどどっとやってきた。


まず、自分の体の変化。老化の加速が倍速になった。これには、ショックが大きい。夫はどうかと夫に目が行く。夫の方がかなりヤバいと感じた。20代のころの面影もなく悲しくなる程、全くの別人になっている。その変化に何も動じていないところが凄い。自然のままに髪の毛は枯れて、お腹には二段も三段も肉がついているが、何も抗わない。

同じ世代の芸能人も若いピチピチの頃の面影は無く、見てられないくらい変化している。若い頃はあんなに輝いていたアイドルも年には、勝てない。人間は、みんな平等に枯れていくのだと思った。

ところが。それよりも、そんな身体の変化よりも深刻な事が起こるのだ。身近な人たちが次々と病気に倒れていく。親、親戚の叔父、叔母…
まるで、連鎖反応の様に次々倒れていく。

いつか、こういう日がくるのは予想していたが、50才になった途端に周りの状況がこんなにも一変すると、気持ちが追いつかない。
しかも、母親のアルツハイマーにショックを受けていた頃、親友の突然の死を経験した。流石に立ち直るのに時間がかかる。

女性として、結婚、出産、子育てと人生の変化には、慣れていたつもりだった。どれも、大変なイベントだったが幸せなイメージがある分、頑張れた。
50才のこれは、今までとは全く違う。1つづつ受け入れていくのに時間がかかる。

50才、やっと自分の時間ができる時。第二の人生をどう過ごそうかと考える。子供が巣立ち、その後の人生を想像する。

そんな時、自分の親たち世代は人生の終わりを迎えようとしてしているのだった。忘れていた。そうだった。もうちょっと待ってよと思っても、時は止まってくれないのだった。


父親は、数年前に亡くなっているが、母親は、アルツハイマー型認知症になり最近、施設に入ったばかり。
義父は数年前に亡くなっており、義母は、大病と戦ったばかり。
叔父、叔母は急に亡くなった人もいれば、体調不良、痴ほう症、難病で治療中だったり施設に入ったり。普段会わない分、急な変わりように驚くばかりだ。

ママ友の中には、旦那様が亡くなった人もいる。そういう事もあり得る年齢だと実感する。
また、あるママ友は、母親と義母が同時に末期癌になり、入院し。父親も病気。犬も癌で先日亡くなったらしい。同時に歳を取っている分、不幸は、重なるのだ。

ママ友の話を聞いていると、同じ世代、他人事とは思えない。同じ様な経験をしているだけに、お互いの状況が、痛いほどわかる。

ここまでくると、周りの人たちが次々といなくなっていくことをつい想像してしまう。最後は、一人になっちゃうのかなと。人間とは、こういうものなのだと実感させられる。自然のままに変化していく。蕾が出来て、花が咲いて、やがて枯れて散っていく。人間の致死率は、100%なのだ。
人以外の生き物の殆どは、子孫を残して子育てをしたら、死んでいく。人だけは、子育てが終わっても孫やひ孫の顔を、見て生きている。と、聞いたことがある。

そう、思うと第二の人生がある事が有り難いし、おまけみたいな感じもするので、これは人生の最後まで楽しまないとと思う。何があっても幸せな気分で最後まで生きてみよう。

最近は、以前より物も大事に使うようになった。物が壊れると、まだ使えるだろうと直したくなる。花瓶のお花も長く保つように、観葉植物も元気に育つ様、丁寧にお世話するようになった。

家族への見方も変わってきた。夫の直してほしい所もまぁ、、いいやと。気に入らないところもこういう人なのだと思うようになった。目を瞑る術を身につけた。
夫も私に我慢してるところがきっとあると思うようになった。お互い様なんだと気にしない様になった。それで、ケンカは、なくなった。

50才を機に考え方が明らかに変わってきた。変わったら、こんなに楽に生きられるんだとも思った。心が軽くなった気さえもする。

朝焼けを見ると得した気分になる。昼は、日の暖かさが穏やかで気持ち良い。夜は、月明かりが綺麗で神秘的な事も前より感じるようになった。

自然にも感謝。親やお世話になった方に感謝。人生の後半は、色んなものに感謝する時間なのかもしれないと思った。
たまに、年配の方で「ありがとう。」と、挨拶のように言う人がいる。見ていても気分がいい。私もあんなふうに軽く「ありがとう。」と言える人になりたいと思った。





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