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幸せと思うこと。

マツコ・デラックスがテレビ番組の中で「生まれてから一度も幸せって思ったことがない」と言っていた。

一瞬、えっ!と思った。
あーそうなんだ。とも思った。
人それぞれ幸せの感じ方は違うし、実際に本当に幸せを感じない人もいるだろうし。

人が突拍子もないことを言うと。。。自分はどうだろうとつい考えてしまう。

自分の人生を振り返ってみた。
若いときは、楽しいことはたくさんあっても、その気持ちが幸せという言葉につながったことは、なかったかなと思う。

しかし、一度だけ、今までに感じたことのない幸福感を経験したことがある。結婚して二回目のお産をした時である。翌日、目が覚めて隣に寝ている我が子をふと見たときに、信じられないくらいの幸福感を初めて感じた。あの時の満足感、充実感は過去に経験したことのないものだったし、これからもないだろうなとその時に確信したほどであった。
なぜ、二回目のお産なのかというと、初産の時は何もかも初めての経験であり、いつも不安を持ち合わせていたから、うれしい気持ちはあっても幸せを感じるどころではなかったのだと思う。
そして、三回目のお産もそれなりに幸福感はあったが、まさか男の子が生まれると思っていなくて、自分と違う異性を受け入れるのに、少々慌てていた。

二回目のお産は、なにしろ余裕があった。生命の誕生をわが身をもって感じ、その不思議な感覚を冷静に受け止められていた。自分の身体から、もう一つの命が誕生した感覚は、言葉で言い表せないほどの神秘的な感動だった。我が子の顔を見ると前日の苦しい陣痛なんか何も覚えていないほどであった。この幸せの感覚を味わえるのは女性としての特権だとも思い、旦那のことを勝手にかわいそうだなと決めつけていた。それだけ、興奮していたのかもしれない。

また、同時に自分がこれから守らなければいけないものができた幸せもあった。守らなければいけないと考えると、責任を背負い大変なイメージがあるが、我が子は別物である。私が守ってあげなければいけないという喜びが生きる力となり、これからの人生を満たすであろうという感覚があった。

そんな幸福感もつかの間、すぐに地獄の育児が待っていたのだが。
それは、しょうがない。

しかし、後にも先にもあの時の幸福感はもうないと思う。

その経験以外に幸福感を感じているかというとどうだろう。

常日頃は、不満があったり、心配事があったり、忙しかったりで、ゆっくり幸せを感じることができないでいるのかなとも思う。

それでも、近頃、子育ても終わりに近づき、過去を振り返ることが多くなってきて、我が子の幼少の時、また、自分の両親の生前の笑顔など。そんなことを思い出しているとついあの頃は、幸せだったなと思い出に浸っている時は多々ある。

また、何も予定がない日は、特別感があり。自由に解放された気持ちになり、その日一日を幸せに過ごしているように感じるときもある。

これからも、少しの幸せでも感じられる心の余裕を持っていたい。


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