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水のない川と、青くない空

きょうのnoteはとくに目的もなくひっそり更新。

ここ最近、自分でもびっくりする位のスピードで、毎日が過ぎていく。
私はいつもひとりぼっちで、同じように教室の隅っこでギター弾いてるひとりぼっちの男の子としか喋ったことのないオタクだった。成人になって、女の子の友達を増やそうと努力してはみたけれど、どこもかしこも華やかに見えて、ずっと居場所がないなぁと思ってた。

そんな私が、ここ最近はちょっと、ずっと手の届かなかったような世界で呼吸をしている気がする。
今まで振り向いてくれなかった世界が急に振り返って、「こっちにおいで」と手招きしてくれている感覚。でも、怖い。その手をとったらそのまま反対側の奈落にぽいっと捨てられそうで。長年大切に育ててきてしまった劣等感は、いつまで経っても私を蝕みつづけてる。

「つかれたなぁ、のどが渇いたなぁ」

楽しいのに、途方もなく飢えていた。

昨日、久々に何も考えずに道を歩いた。
ほんの少しだけ遠出。といっても徒歩なので、歩いたことない道を歩くまでに留まった。
空は曇天。それなのにむしむしと暑くて、長袖のパーカーの腕をまくりながら歩いた。マスク越しの呼吸が苦しくて、早く楽になりたいな、って考えていた。
しばらくすると、水の流れていない川に、橋がかかっている場所に差し掛かる。荒涼とした景色ではあったけれど、なんだか妙に美しく感じた。
橋の少し先には、鯉のぼりが泳いでいた。子供の日はもう一週間前に終わったのに、しまわれないままの鯉のぼりは、何匹か水のない川に落っこちて、弱い風を受けながらそよそよとやさしく空を舞っていた。

今この鯉が泳いでるのを見ているのは、正真正銘私しかいなかった。
一体誰がどんな目的でここに鯉のぼりをかけたのか、全くわからない。
そのくらい荒んだ光景なのに、なんだか心が洗われるような感覚になった。
まるで、私の好きな、青くない、無色透明の水だ。
春が終わった直後の、みずみずしくて儚くて淡い期間。水のない川も、灰色の空も、霞んだ空気に泳ぐ鯉のぼりも、何一つ映えるものなんてないのに、疲れて不安になったわたしの心にすとんと落ちるように、安心をくれた。
だから、閉じこめたくてシャッターをきった。

この世に沢山ある写真。
出来が良いものばかりじゃない。意味がわからなかったり、汚く霞んだ光景もある。
でも、その一つ一つは、必ず人がシャッターを落としている。どんな光景も、何かが心に触れた瞬間なんだ。なんとなくそう思った。
綺麗なものばかり集めようとか、失敗を見せようとしないようにとか、最近のわたしはそればかりを考えて、常に心臓を早回しで動かしていた。
でも、少しだけ力が抜けた。
私が海だと思って見ているのは、曇天の空なのかもしれない。生き生きと泳いでるような気がしている川は、水が流れてないのかもしれない。
わたしの価値なんて、地に落ちて泳げなくなった鯉のぼりなのかもしれない。
そんな想像が心を豊かにするなんて、変なの。でも、不思議と心地良い。だからわたしが得意なことって、多分綺麗なもの集めじゃないよ。
泥水を掬って、透明に還すのが好き。

線路の横を通り過ぎながら、夏に変わっていく酸素を大きく吸い込んだ。

「いきるさいのう」

つぶやきは色もなく、透明になって消えてった。

こちらのサポートは全額プロテインに変換され、私の血となり肉となります。