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かつての志高きサムライの様な、自分自身を鍛える道徳教育をする必要性について!

私は一庶民ですが、二十代後半に陽明学者の安岡正篤の本を読んで深い感銘を受けました。
それから昔から日本で1500年以上学び続けられてきた、孔子の始めた儒教による論語の教えを指針にしています。
孔子は、
仁(人に思いやりを持つこと)
義(正しいなすべきことを行うこと)
礼(礼儀を大切にすること)
智(真実から是非を判断すること)
信(人から信用される様な人間になること)
の大切さを説き実践しました。

要約すると孔子は弟子の子路に「志とは、老人には安心されるように、友達には信じられるように、若者には慕われるようになること。」と伝えた教えに表れていると思います。

そして江戸時代の晩期に後の幕末の志士を大勢育てた、朱子学や陽明学の儒学者の佐藤一斎の本の言志四録の名言にあります。
「長い人生のうちには、暗い夜道を歩くようなこともあるが、一つの提灯(みずからの強い志)を掲げていけば、いかに暗くても心配することはない。その一灯を信じて歩め。」

私は佐藤一斎のいう志は、己の人間性を磨き君子(徳が才よりも優る人)になることや、朱子学の主君への忠誠の心以外にもあると思います。
それは「高い志を持った人、または国家や社会のために自分の身をかえりみず力をつくそうとする人」を意味している面も大きいと考えます。

また私は佐藤一斎の弟子の陽明学者で幕末の志士の佐久間象山がいった「東洋の道徳、西洋の芸術(技術)の一致」が必要と考えます。

私は現代社会の惨状は、明治時代からの技術の知識の偏差値教育ばかりをして、戦後教育が人文科学の倫理教育を軽視して実質ほとんどしてこなかった結果と思います。
私は仁の思いやりや志を忘れて、自然科学や社会科学の近代合理主義ばかりの、エゴイズムの強い競争社会になって、こんなに生きづらい社会になってしまったと憂慮します。

私は和魂洋才で、道徳の東洋哲学と近代合理主義的な技術や才能の西洋哲学を両方を、なるべくしっかり両立させて持ち生きたいと思います。

[現代語抄訳]言志四録
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