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【童話】ぽんぽこ

 定吉じいさんの家の玄関前にはたぬきの置き物がおいてありました。
 おじいさんの肩までもある大きなたぬきで笠をかぶって右手にとっくり、左手に帳面をもっています
 そうして少し首をかしげてまん丸い眼をいつも驚いたようにあけて立っていました
 このたぬきは定吉じいさんのおとうさんのそのまたお父さんのもので、昔からここに置いてあるのです
 たぬきの左の耳の先が少し欠けているのは おじいさんの孫が遊びに来た時あやまって倒してしまいその時できたものです
 おじいさんはこのたぬきの置物をとても大事にしていて毎朝タオルでふいてきれいしていました。
 ある夜のことです
 山からまんまるい月が登ってきて山の上にかかりました
 月の光で田んぼや川の水は銀色に輝き、木の葉の影の一枚一枚までくっきりしています。
 おじいさんの家の前も懐中電灯がいらないくらい明るくなりました

とその時です
 お月様お願いがありやす。
 玄関先のたぬきの置き物が頭を傾けたままお月様に向かっていいました。
 またあなたですか 
山の上のお月様はあきれたようにこたえます。
 なんどいってもだめなものはだめですよ。
 だめといってもひきさがれねえ。
 おねがいきいてくれるまでなんどでもいいやすーどうかあっしを歩けるようにしておくんなさい。一生のおねがいでさ。生まれてこの方こうずっと立ちっぱなしじゃつまんなくっていけねえ。ちょっとばかりそこらを歩いてみたいんでさあ。
 お月さまは困ってしまいました
 いつもならこんなお願いを聞くことはありません。こうしたお願いというのは一度かなえてあげるとキリがなくなることを知っていたからです。
 けれどたぬきの置物がそこにもうずっとあって立ちっぱなしというのは本当でしたし、何度もお願いしますお願いしますといいますのでお月様はとうとう根負けしました。
 やれやれ あなたには負けました。
 一度だけ歩けるようにしてあげましょう。
ああそいつはありがてえ
狸が飛び上がらんばかりの声でお礼を言いますと
 でも忘れないで、歩けるのは私の光があたってるときだけですよ
 光があたらなくなったらもとにもどってしまいます、いいですか陰にならないように気をつけて歩いて下さい
 はい はい たぬきはもううれしくてたまりません。
 おっしゃるとおり気をつけやす。
 決してご恩は忘れません。

 すると急に月のひかりが強くなりました。
まるで真昼のような明るさでたちまちたぬきのまんまるい目がぬれたようになってぱち、ぱち瞬きました
 傾いていたあたまもまっすぐになって、からだにくっついていた手足もとけました
 ツルツルだった体も今ではしっぽの先までふさふさです。

 こうしてたぬきは二本足で月明かりの中を歩き出しました。
 家の前の畑をすぎました。
 電柱の灯の下も通りました
 なにしろ歩くのは初めてなのでまだ慣れません、うっかりしてるところびそうです
 けれどたぬきはもうわくわくして、丸い目をいっそう丸くしてまわりをキョロキョロしながら歩いていきます
 いやこいつはすごい、歩くというのはすごい
 足をこうして、たがいちがいに出してくだけでいろんなものがやってくるぞ。
 ああ田んぼだ電信柱だ、おや何か飛び出してきたぞ なんだ蛙だ よく見るとそこらじゅうぴょんぴょんしてるな おいあまり出てくるんじゃねえ 踏み潰しちまうよ
ああ風だ、いい気持ち 草のにおいに花の花粉、いろんなものが混じってる、いやもうどこまでも歩いていけそうだ。 
 たぬきは小さな橋を渡りました。

 橋の近くの原っぱでは子だぬきたちが組み合ったり、バッタを追いかけたりして遊んでいました。あまりあたりが明るいので山から遊びにきていたのです
けれどそこへみたこともないような大きなたぬきが人間のように二本足でこっちへ歩いてきたものですからびっくり仰天、子たぬきたちは草むらに隠れました
 やれやれくたびれた やっぱりまだ歩くのにゃ慣れねえな ああちょうどいい岩があるな あそこでちょっくら休むとしよう 
 大たぬきは原っぱの中の大きな岩の上にどっかと腰を下ろすと、持っていた徳利からお酒をごくごく飲み始めました
 子だぬきたちはその様子を草むらの中からこわごわ見ていましたがやがて一匹また一匹と出てきました
 そうして岩の上の大たぬきの方をビクビクしながら見上げました
 うん? なんだ お前たちは 
 と大たぬきは酒臭い息でたずねます。

子だぬきの一匹が説明すると

 ふうん そこの山から遊びにきたのか
 ちげえねえ こんないい月だもんな 山ん中でじっとしてられねえやな
 おじさんは誰?どこからきたの?
 一匹が自分の背丈ほどもある大きなお腹を珍しそうに見ながら訪ねます
 俺か 俺は定吉じいさんのとこのたぬきさ 
 子狸たちはまたびっくりしました
 定吉じいさんといえば人間じゃないか ときどき鉄砲でどんどん撃ったりするあの人だ ひどいめに合わなかったの?
 ひどいめ?とんでもねえ。毎朝きれいにふいてくれたりしてな、おかげでこんな男っぷりよどうだいこの毛並みは
とまたお酒をゴクリ
 それなに? 
 もう一匹がききました。
 ん、これか これはとっくりといいってな さけがはいってるんだ
 ああ うめえうめえ 五臓六腑にしみわたる〜ッ
 ごぞうってなに?
 同じ子がまたたずねます。
 うん それはな ここの中にあるもんのことさ
 大たぬきは丸い腹をポンポン、叩きました
 どうだ おめえたちも一口いかねえか
 大たぬきがすすめるので一匹がおそるおそる
 とっくりに鼻を近づけました
 途端に
 うわくさい、くさい
 その子はひっくりかえると、突き出た鼻を前足でごしごし、こすりだしました。
 はははははは、そうかくさいか
 大たぬきは大笑いしました

 山の上にかかっていたおつきさまはだんだん空高くのぼって、田んぼから聞こえてくる蛙の声もだんだん大きくなりました
 子たぬきたちはこういう明るく丸いお月様が大好きなのでいてもたってもいられなくなってぽんぽこ、腹づつみを打ち出しました
 すると大たぬきは岩から下りて、腹づつみにあわせて踊りだしました
 ♬ぽんぽん、ぽこぽん
酒でいっぱい太鼓腹
ぽん、ぽん ぽこ ぽん
 腹も丸なら月も丸
みんな丸ならよかんべえ
さのよい、よい
 狸はかぶっていた笠をとって上下にふったりくるくる回したりして楽しそうに踊っています

あんまり楽しそうなので見ていた子たぬきたちも踊ろうとしましたがすぐに前にパタリと倒れてしまいます

 ああ面白かった
 大たぬきは踊り疲れるとべったりお尻をつきました
 それから子だぬきたちといっしょに月を見上げていましたが急にぽろぽろ泣き出しました
 おじさん どうしたの なぜ泣いてるの
 ポンポン腹を鳴らしていた一匹の子たぬきがたずねました
 ああ、おじさんはな

ずっとこんなふうに踊ったりしたかったんでえ、ようやくそれがかなってなあ、ちきしょうめ、やっぱり仲間がいると楽しくっていけねえや
 おじさん さびしかったんだねえ
 それから大たぬきはまた岩の上にのぼって子たぬきたちが遊んだり腹づつみを打ったりするのを見ておりました 
 夜は更けてお月様にだんだん雲がかかってきました
けれど大たぬきは気づきません
その時にはもう月の言ったことをすっかり忘れていたのです
ついに月は雲に隠れてしまい、たちまちあたりは暗くなりました
 ごとん。
 大たぬきは急に大きな音を立てて草の上に転げ落ちました
運よく柔らかい草の上に落ちたのでどこも割れたりはしませんでしたが子だぬきたちはびっくりして駆け寄りました
 おじさん どうしたの おじさん 
 たいへんだ つめたくなってる おまけに石みたいにかちかちだ どうしよう
 子たぬきたちは大騒ぎ、大たぬきのあちこちをさすったりこすったりしましたが
 大たぬきはかたくつめたくなったまま、ピクリとも動きません。
しまいにはそこらの葉っぱを集めて体にかけたりしましたがやはり効果はありません
 どうしたらいいだろう
 子だぬきたちが相談しているうちにあたりは明るくなって朝になりました。
 あれだけ大きかった蛙の合唱もすっかり聞こえなくなり、代わって鳥たちがあちこちで鳴き始め、近くの道を車がごとごと、音を立てて通りすぎました。
 子たぬきたちは仕方なく大たぬきをそのままにして山に帰っていきました。

その朝おじいさんが玄関の戸をあけると、どうしたことかたぬきの置物がなくなっています。
 おかしいな、どこにいったのだろう
 誰かが盗んだのだろうか
 おばあさんにいうと、おばあさんは首をかしげて
 あんなものを盗む泥棒がいるとは思えないけど・・・ずっと立ちっぱなしだからちょっと散歩したくなったんじゃないかしら
 馬鹿を言え、置き物が散歩なんぞするものか、ともかく探そうとおじいさん
 お前は家のまわりを探してくれ わしは向こうの道の方へ出てみるから
 そうしておじいさんは急いで道路の方に出てみました
道にはありません
田んぼや畑にもありません
 一体どこにいったのだろう、先祖代々ずっと大事にしていたのに
 心配しながら橋を渡ると
 おや、あれはなんだろう。
 おじいさんは立ち止まりました
 向こうの原っぱの真ん中に何か変なものがあります
 急いで行ってみると落ち葉が小山のようにたくさん集まってそこからたぬきの顔がのぞいています
 これはもしかして
 おじいさんは葉をどけますとはたしてたぬきの置物です。
 ふうむ、耳の先っぽがこんな風に欠けてるからうちのたぬきのようだ。
 でも変だな、あぐらをかいてるし、それに顔も赤くなってるぞ
 それに誰がこんなところに持ってきて葉っぱをかけたりなんぞしたのだろう
 いくら考えてもわかりません
 まあいい、とりあえずうちへもって帰ろう
 お爺さんはいったん家へもどると車でたぬきを家まで運びました

そうしてたぬきをタオルできれいに拭いて、今度はなくならないように玄関を入ったすぐ正面の廊下に置きました
 それからというもの、定吉じいさんの家のお客は玄関で赤い顔をした笑顔のたぬきの置物を見るようになったのです
 おわり

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