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【現代語訳】幸田露伴の随筆「雲のいろいろ」より

1897年(明治30年)露伴30歳ごろの作。
好きなエッセイの一つなので少しずつですが訳しています。
さまざまな和名の雲たち。そして雲の紡ぐ想い。
よろしければ是非ご一読ください。
原文はこちら(青空文庫)

【私訳】

・夜の雲

 夏から秋にかけての夜、美しいこと限りない雲を見ることがあります。
都会の人の多くは気づかないでありましょう。
それは船に乗って灘を行く折のことです。
空は暗く水は黒く、月や星の光もなく、船べりを打つ波だけが青白く騒ぎ立って心細くなるような沖で、夜の丑三つ(午前2時〜2時半頃)と思われる頃、船上に一人立って海風が顔を吹くまま袖が湿って重くなるのも構わずに、寝られない旅情を詩などに吟じています時、稲妻が突然閃いて、海も空もいっせいに凄まじい色に明るくなり、幾重もの波頭が白銀のかんざしをしたかのように輝き立って見えて、怪しい岩のように獣のように山のように鬼のように空に聳えとぐろを巻いている雲がみな、黄金色の縁取りをつけて、大変おごそかに人の目を驚かせ、言いようもないほど美しいのであります。

・雨後の雲

雨後の雲の美しさは山でこそ見るべきです。
(しかしそうは言っても)低い山にいるとその美しさはわかリません。
名のある山々を目の前足の下に見るほど(高い)山にいて、夏の日の夕暮れなど風が少しある時、谷を望んであちらこちらの雲の行き来を観察しますと大変面白いものです。
前方にそびえる山の緑がひとしお増して裾野の風情も見どころ多く、一ヶ所に囲まれた山村にある寺なども見えているところへ、濃く白い雲が風に乗って空を飛び、みずからの形を、龍のように虎のように、ひるがえる布のように、張った傘のように様々に変えつつ、山をむしばみ、裾野を覆い、山村を呑んだり吐いたりし、前の雲は這うように去るかと見れば、後ろの雲が飛ぶように来たりなどして、その様子は見ていて飽きるということがありません。
小山の峰に立っている松の並木が、遠目には馬のたてがみのように見えるのですが、それが(雲のため)現れたり隠れたり、あるいは金字形をした山の頂が、ここら辺にあるだろうと見ていたのとは違う場所に突然ぽっかり現れたりするのは特に面白いです。

・坂東太郎

丹波太郎は西鶴の文に出てきたと覚えていますが、坂東太郎の方はまだ古人の文にはその風情を記されたものがないからか、雲にも知られたもの知られてないものがあるのが面白い。
坂東太郎というのは東京で夏の日などに見える恐ろしいような雲です。
夕立が今にも来そうという時、天の半分を一面に覆って、十万もの兵が野にひしめき合い動くこともできないように黒み渡って、しかもその中に風を含んだと見えて、今にも動き出そうとする風情は、一度敗れた兵が必死を期して静まりかえった中に抑えようのない殺気が沸き起こるかのようです。
この雲が天に広がると、やがて風がざわざわと吹き下ろし、雨がどっと落ちてくるのがいつものことで、嵐めく空にこの雲が出てくると、比類なく凄まじく、風情ある形の雲などとは違って秋の洪水が千里の彼方まで水で浸すかのような宏壮な趣きがあり、心弱い子女が愛せるようなものではありません。
東京の街中で目にするもので、この雲の風情などを除くと、壮快なものは大変少ないです。

・蝶々雲

 風の吹くとき、離れ離れになった大きくない雲で白いのあるいは黒いのが、蝶のようにひらひら、風下へ舞ったり飛んだりして行くことがあります。
これを蝶々雲とはうまく名づけたものです。

・いのこ雲

 蝶々雲は古い歌にあったか否かは知りませんが、いのこ(イノシシ)雲というのは仲正(源仲正・平安後期の武人、歌人)の歌にあります。
夏の夜秋の夜など、空が晴れている時にひとかたまりの雲のイノシシのように丸く太って見えるのが、月のあたりを走っていくのは人の知るところですが、これもまた風情のある雲です。
(仲正が)「空払ふ 月の光に おひにけり 走りちりぬる ゐのこ雲かな」と詠んだ歌は面白いとは思いませんが、いのこ雲という名を伝えた功績はこの歌にありましょう。

・みづまさ雲

 慈鎭和尚(慈円・鎌倉時代の天台僧で『愚管抄』の著者)の歌に、「まだ晴れぬ 水まさ雲に もる月を 空しく雨の 夜はやおもはん」というのがあります。
水まさ雲とはどんな雲を指すのだろうとずっと思っていたのですが、全流の兵書に、「雨雲の一種で離れ離れに魚の鱗の並べるように空に敷いたものである。」とありまして、さては水増雲の意味かなどと思いました。
古の歌人は侮りがたいです。
なかなか今の人などより森羅万象に歌心を寄せることまめやかで、私たちが思いもよらないようなものをも歌の材料として用いております。

・望雲楼 

蘇東坡の「望雲楼」という詩に「陰晴朝暮幾回新、已向虚空付此身、出本無心帰亦好、白雲還似望雲人」とあるのはやはり興がありますが、なお深く思っていることがあるようで白雲も納得するかしないかおぼつかない。

・寂蓮の雲の歌

「風にちる ありなし雲の 大空に たゞよふほどや 此世なるらん」という寂蓮法師(平安後期・鎌倉初期の歌人)の歌は実に味わいがあります。
 雲のはかなさ、この世の頼りなさは知れ渡っていることですが、こんなふうに美しく歌い出すのを二度三度と吟じて見れば、今さらのように雲のはかなさ、この世の頼りなさが身に染みて感じられます。
「風に散る」といい起こした時点で既に大変あわれなのに、次に「ありなし雲」と珍しくて穏やかな、しかも人の心を幽玄境に引き込むような言葉を用い、さてその後に「大空に」と広大なるものを捻出し「たゞよふほどや此世なるらん」とあはれに悲しき長嘆の想いの上に結び留めている、この歌を一体誰が何も感じないと言って罵ることができるものでしょうか。
心を静かにして三度も唱えれば、紛々たる名利を求める境地を捨て、涅槃の境地に向かおうと願う厭離穢土欣求浄土の思いがふつふつと湧いてくるのを感じます。

・いわし雲

 いわし雲というのは、イワシなどが群れるように互いに連なって空を渡るものを言います。
 晴れた日の夕暮れなどに多く見ますが、雨気を含むものでしょうか。
水まさ雲(水増雲)と同じかもしれません。
「芝浦の 漁人も 網を打忘れ 月には厭ふ いわし雲かな」という狂歌を天明の頃、人が詠んでいます。
青空の半分ほどをこの雲が白く連なって渡っているのは、風情があって美しいものです。
子供がよくこの雲を指差して、イワシの取れる兆しだというのもまた趣深いです。

・とよはた雲

とよはた雲というのは、意味のはっきりした雲の名ではないようです。
信実(藤原信実。鎌倉中期の宮廷画家、歌人)の歌では、夕立の時のいかめしい雲を言っているようですが、後鳥羽院の御歌では、ただ美しい夕方の雲を指していらっしゃるようです。
「わだつみの とよはた雲に 入日さし こよひの月夜 あきらけくこそ」という天智天皇の御歌に見えるのが最初で、御歌では、旗の形になったような夕方の雲を仰っているだけです。
雲が旗のように見えることは多いですが、旗雲という語は今はないようです。

・ほそまひ雲
 布を引いたように白くおだやかに空に渡る雲があります。
この雲が見える時はたいてい、空が青く澄んで色美しく凪ぎ渡った際でありまして、刷毛で引いたように淡く白く天に横たわっております。
これはなんという名の雲ですか、と時々老人などに問うてみても教えてくれる人もなく、この雲が現れるのは天気の良くなる兆しですよと言ったのを聞いたことがあるだけでしたが、海賊衆の一つである能島家の兵書で、ほそまひ雲というものだと知りました。
名前もゆかしいので歌などにも使えるでしょう。

・翻雲覆雨

 翻手為雲覆手雨とはよく知られた(杜甫の)「貧交行」の中の句ですが、句意は「叛服常無し」ということを言っただけなのに、支那の悪小説には怪しからぬことを形容する決まり文句として用いられてるのが多い。
元の意味は義人の美を形容したのではない沈魚落雁などという語が美を形容する決まり文句になっているのと同様、大変おかしな誤りであります。

・雲の行くかた

「雲東に行けば車馬通じ、雲西に行けば馬泥を濺ぎ、雲南に行けば水潭に漲り、雲北に行けば麦を晒すに好し」と中国ではよく言いますが、(わが国では)雲が北に行けば雨が降ると歌う和歌があるのは面白い。
(鎌倉時代の歌人、藤原光俊が)「雨ふれば北にたなびく天雲を君によそへてながめつるかな」、「北へ行く夕の雲の大空にかさなるみれば雨はふりつゝ」と歌っておりまして、場所も時代も違うのですから(前の中国の諺と)くい違いがあるのは当然としても、いざ比べてみるといかにもどちらかが間違っているように浅はかにも思ってしまいます。
(中国には)「雲南に向へば雨漂漂、雲北に向へば老鸛河を尋ねて哭し、雲西に向へば雨犁を没し、雲東へ向へば塵埃老翁を没す」という諺もあるそうですから、前の諺とこの諺にくい違いはありません。
(それに対し)我が国の本に「朝に西北の方に黒雲見ゆるは雨なり」「青き雲北斗を蔽へば大雨なり」と書いてあるのを見ますと、押し並べてわが国では「麦を晒すに好し」だの「老鸛河を尋ねて哭す」といったことは当てはまらないのではないでしょうか。
翻訳するのは簡単ですが、その言わんとするところを伝えるのが難しいのはこうしたことが多いからです。
前にあげた光俊の歌を訳して中国の村の者に見せたらおそらく嘲笑されるでしょう。

・南へ行く雲 

東京では雲が南に行く時火事が多い。
明暦三年から明治十四年までの間に大火事は九十三度あって、そのうち二十二、三度の他は、雲は南に走り、あるいは南東南東西の方角へ走りました。
冬は北風がよく吹き、火の過ちは冬に多いから、怪しむこともないですが、東京での大火を記そうと思い、うっかり「北へ行く雲に火の色が映って天は紅い霞がかかったようであった」などと特に理由もなく文を飾って記せば、いかにも見苦しいことだと老人などは思うでしょう。そこは注意して記さねばなりません。

・たじろぐ雲

風の力が衰え、雲の行く速度も少し遅くなって、天がまだ暗い中に星がきらきらと見えることが、雨の降った後にはあります。
そんな折に雲が行きもせず、止りもせず、たゆとうて、月や星の光に圧倒されたかのように見えるのを、ただ、いざよう雲というも面白くないし、漂う雲、立ち迷う雲、行き迷う雲などというのも興がありません。
「はれぬるか たぢろぐ雲の絶間より 星見えそむる 村雲の空」という歌に、「たじろぐ雲」と言っているのはとても面白い。
似非歌人ならこうした言葉の効果的な働きより、古い言葉の無価値な価値を尊ぶと思います。
言葉が平易であるのはとても良いことです。
言葉がしっかり実際と一致しているのは特に良いことです。

・雲を駆る

中国の言葉遣いには、我が国とは違った面白みがあります。
「灼然として雲を駆って白日を見るごとし」という語の「駆雲」の二字のようなのは、私どもの国の歌の中にはなかなか見ないものであります。
(雲を)「払う」というのは「駆る」というより弱く面白くありません。

・あだ雲

 「月の前に 時雨過ぎたる あだ雲を はらふならひは 秋の山風」という歌は慈鎭和尚の作にしては拙いです。
しかし「あだ雲」という言葉には趣があります。
あだは、あだ人あだ花などのあだでしょう。
使い方によっては、風情ある歌を詠むに足りる言葉です。

・雲のわざ

 雲がすることは多いですが、中でも大変面白いのは、冬の日の朝早く、平らに渡る雲が、谷に広がり麓を覆い、世の何物も山上の者に見せないことです。
太陽がまだ出ておらず、月は落ちて星の光も薄れながらも、空がまだ暗い頃、山の高いところに宿って何もかも目に新鮮なところへ、いつになく早起きして、戸なども自分で開けて、心が引き締まるような寒さを我慢しつつ見渡せば、昨日は足の下に麓の村も絵のように小さく見え、川の流れの白いのが糸のように細く、深い谷を隔ててあれこれと名のある山々が数多く連なっているのが目に入っていたのに、今はもう、自分の立っているところからいくらもあらぬ下から向こうの方の果てもないあたりまで、平らに大河の水のような白雲がたなびき渡っており、村も隠し川も隠し山々や谷まで隠し果てて、下界を海の底に沈め尽くしたかのように見せており、いくら雲の仕業とは知ってはいても、見慣れない目で見れば流石に驚いてしまうものです。
 開門忽怪山為海、万畳雲濤露一峰と詩に詠われていますが、誠によく言いえたものであります。

・雲中の夢

 前述したような白雲の中に眠っても、人の夢はなお俗世に迷い、愚かなことだけを見るものです。
「白雲の 中に寐ても 山をいでゝ 塵のちまたに 通ふ夢かな」というのは私がある時実際に見た夢を詠んだ歌です。

・雲のさま

「韓雲は布の如く、趙雲は牛の如く、楚雲は日の如く、宋雲は車の如く、衛雲は犬の如く、周雲は輪の如く、秦雲は行人の如く、魏雲は鼠の如く、斉雲は絳衣の如く、越雲は龍の如く、蜀雲は囷の如し」というのはとても面白い。
地には定まった雲があるが、雲に定まった形はあるでしょうか。
大体は定まったものもあるでしょうが、細かいところまではどうでしょう。
江戸の坂東太郎、浪花の丹波太郎、九州の比古太郎、近江あたりの信濃太郎、これらは雲のでる方角から名付けた名ですから、おかしくはありません。
加賀の鼬雲、安房の岸雲、播磨の岩雲などはその土地の人々が雲の形をそんな風に思って呼んだのですから「魏雲鼠の如く斉雲絳衣の如し」などというのも魏や斉で鼠雲・絳衣雲などの俗称があって後にそう言い出したのでしょう。
単に一人の人間が好き勝手に、あそこの雲はどこそこの形に似ているなどと言ったからというのはあまりに馬鹿げたことです。

・かさほこ雲

 南の方の点に手傘を開いたように立つ雲を、かさほこ雲と言うとのことです。
その雲がやがて破れて、その破れた方より風が吹くと聞いたけれど、街中に住んでいる身なので、まだよく見知る機会がないのが悔しいです。

・かなとこ雲

 東の方に築地をつくように立つ白雲をかなとこ雲ということです。
かなとこは「鉄床」で、その形が鉄床に似ているからです。
この雲が退けば西風が強く吹き、立ち上がると足をおろして雨になると伝わっています。
東に白雲の築地のように見えたのは目にしたことがありますが、まだ鉄床雲の風情というものは知りません。

・卿雲

景雲といい、卿雲といい、慶雲と言ってもこうした雲だとしっかり定義された雲ではありません。
「卿雲爛たり糺縵々たり」「煙にあらず雲にあらず紫を曳き光を流す」「大人作矣、五色氤氳」「金柯初めて繞繚、玉葉漸く氤氳」「還つて九霄に入りて沆瀣を成し、夕嵐生ずる処鶴松に帰る」と言った詩句からすると、結局美しい雲というだけのことです。
一年の中には目に鮮やかな雲の見えることが何度かあるものです。
それがあまりに美しい雲の場合は、大気が尋常でない場合なので、喜ぶようなことではありません。
五色の雲などどこがいいのか、天は青いのがめでたく雲は白いのが優美なのです。
「八雲たつ〜」という神(スサノオノミコト)の歌を解釈して「その時立った雲は天地の御霊の現れた吉兆で、大変霊妙な雲です」などと橘守部(1781―1849江戸後期の国学者)が言ったのは当を得ているのかいないのか存じません。
霊妙な雲とはどんな雲なのか尋ねてみたい。
「八雲立ちとおっしゃらないで八雲立つと言い切りなさったのも珍しい瑞雲に驚かれなさった語勢である」などといっているのもことに不思議です。
(日本書紀の)崇神紀の歌に「八雲立つ出雲梟師が」云々と歌っているのも八雲立ちとは言わず八雲立つと言っているから驚いた語勢なのでありましょうか。
大変不思議なことを言っております。



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