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お盆にお墓参りに京都に その1

行ってきました。旅の記憶は忘れがちなので早めに記録。

今回は、京都御所で大地の再生をするというので、行ってみたいと思い行きました。真夏の京都にそれも夜行バスで行くという普段なら絶対にやらない自殺行為なのですが、コロナウィルスが流行り始めてから、人と交流しなくなったので、自然と大地の再生になぜか誘われて関わり始め、その流れで京都に行くことになりました。

京都に興味があったのは、昔神社や仏閣の僧侶の人などは、念仏を唱えるだけではなくて、地勢学に長けており、治水や土木作業など、土の中の空気と水の流れを通して暮らしを整える役目を司っていたとのことを、誰かから聞いたのです。誰だっけ。それで、北鎌倉の東慶寺というところの大地の再生事業に参加したのですが、やっぱり雨が降った時に水が流れる水路を昔の人はちゃんと確保してて、それを戦後世代の住職さんたちはコンクリートで埋めてしまって、植物達が元気がなくなってきたところ、新しい世代の住職さんがまた大地の再生の人たちに頼んでコンクリートを壊すという作業をしていたので、鎌倉よりさらに古い京都の神社仏閣はどうなんだろうと気になった次第です。

父方の祖父母は長野出身なのですが、祖父の家に広隆寺の弥勒菩薩像の写真が掲げられていて、いつか行ってみたいと思っていました。まだ本物は見たことなかったので。あとは、祖父が生前に物部氏の本などを持っていて、それは読んでいなかったのですが、母方の祖母のいえに天皇家とユダヤ人というこれまた30年くらい前の本があって、面白かったのですが、それに木嶋神社のことが書いてあったので行きたいと思ったのでした。あとはお盆なので京都にあるお墓参りです。

普段なら観光地だからすごい混んでそうで嫌なのですが、今ならきっとあんまり人がいないだろうと思ってついGo To キャンペーンを応援してしまった。コロナが流行ったらごめんなさい。でもあんまり人に会わないけどね。

それで、夜行バスが京都に着いたのは5時すぎたくらい。早すぎる。早すぎてお寺とかやってないよ、、、どうしよう、またマックで時間を潰すのかと思ったけどマックすらコロナの影響で開いてない。京都の地図を見て、松尾大社というところが秦氏が建てた神社とネットで書いてあったので、そこに行こうと思い立ちました。お寺は9時ー17時だけど、神社は24時間営業なんだよね。コンビニみたいだね。

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桂を経由する阪急電鉄を利用して松尾大社に向かいました。この時点で当初計画していたルートからは大幅にずれるのですが、結果としては桂川の風景が見れてよかったです。桂川の堰とかも秦氏が作ったみたいだし。

月読神社⇨松尾大社⇨天龍寺(庭のみ)⇨竹の道(野宮神社)⇨御髪神社⇨常寂光寺⇨二尊院

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という感じで徒歩で進んで行きました。この時点で結構疲れてた。11時くらいかな??暑さがもうピーク。危ない。外を歩いていたら危ない。

松尾大社は神社としてはこれと言って感慨深くはなかったのですが、神社のある場所が桂川のS字カーブのところにあり、矢野さんが「水が溢れて洪水になるところは、川のS字カーブ。一番水圧のかかる場所。昔の人はここに家は建てず、鎮守の森を作り、神社を建てた。」という言葉が思い出されました。おそらく当初松尾大社を建てた秦氏の人達はこれらのことをわかっていたのだと思われます。

二尊院は、どちらかというと伊藤仁斎さんの長男、伊藤東涯さんが母方の祖母の遠い遠いご先祖様だということで、念入りにお墓参りして行った。なんかよくわからないけど、長子の呪いみたいなのが家系的にあるのを察していて、おそらくこのあたりの血筋から来ているものと思われる。

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その後、お待ちかねの太秦地域に行きたかったのですが、既に駅のある嵐山から結構離れてしまったので、バスで東に向かいました。映画村の北のあたりのバス停で降りて、そこから映画村の脇を南下して、木嶋神社に行きました。この時が一番暑くて、生命の危機を感じた。二度と真夏の京都には行かない。

なんとか辿り着いた木嶋坐天照御魂神社は、とてもよかったです。今まで行った神社の中で一番好きかも。鳥居も木でできてるし。建築も素敵。目当ての三つの鳥居を見ることができました。水は出てなかった。北にある双ヶ丘の山の大地の再生をしたらまた水が湧くようになるのかな??神社の敷地の石組みもコンクリで固めてないし(古いから当たり前か)秦氏はやっぱり大地の再生も得意だったのだろうと思います。木、石、漆喰(有機物)だけの建築なのも素敵だ、、、、好みでした。おいなりさんの狐もカッコ良かった。

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その後、広隆寺の近くの嵐山電気軌道の駅の中にあるお蕎麦屋さんでお蕎麦を食べました。京都の人は夏ははも天そばを食べるようです。ここのが美味しかったのでその後も続けてはも天そばを2回食べました。京都に来てそばしか食べなかった。

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広隆寺の建築も、先ほどの木嶋神社と似てて、朱塗りや金ピカの装飾はなくて、とても好みでした。本堂ぽいところの寄付した人たちの看板のグラフィックがカッコよかった。やたらと。差し金がトレードマークなのがフリーメーソンぽいなと思った。フリーメーソンも本来は建築家など技術を持った人たちの集まりだったっぽいし。

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その後にお目当ての木造弥勒菩薩半跏思惟像の本物を見ました。いやーやっぱりすごかった。本物は。写真とか撮れなかったけど、本物はよかったぞ。やっぱり木っていいんだなあ細かいところまで描写できて。図らずも終戦の日に広隆寺に行けたけど、京都が爆撃されなかったのはひとえにこの像の存在があったからじゃないかなあ。それくらい、芸術の果たす役割って大きいのかも。これで大体目的は果たしたのだけど、見つからなかった大酒神社にも参りました。


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次は、京福電鉄に乗って北野白梅町まで行って、平野神社に行きました。去年の台風で本堂が壊れてしまったそうなので、ここも遠いご先祖様が平野神社の三男坊だったのもあって、ちょっとだけ寄付をしました。

最後にお墓参りをしないといけなかったのだけど、15時半位で、やっぱり生命の危機を感じたので、途中で黒豆コーヒーの喫茶店に入りました。お店の女の人と、スピリチュアル系女子二人がお茶をしていた。スピリチュアル系女性二人からはなぜかパンを恵んでもらった。私が暑さで死にかけの体に見えたからであろう。

お店の主人の女性に今回京都に来た目的を話したら、結構大地の再生とか木嶋神社と秦氏の関係の話に食いついてきて、やっぱり京都の人も興味あるんだなと思った。話を続けたかったけど、お墓参りをしないといけなかったので店をお暇して、北に向かった。ちょうど大きな通りに出たところの花屋で花を買い、16:45ごろにお寺の売店でお香と持ってなかったので数珠をなんとなく買ってしまった。これ、今後ちゃんと使わないとなあ。肝心のマッチとかライター持ってなかったんだけど、もう17時まで時間がないから歩いて行ったら、守衛の人がお墓参りの人は17時過ぎても居れるから大丈夫ですよ、ゆっくりしていってくださいね。と言ってくれた。優しい!京都の人優しいよ!誰だよ京都人怖いって言ってたの。母だよ。

お墓参りはつつがなく終わって、ゲストハウス錺屋に辿り着いて1日目はおしまいです。2日目はまた今度。

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