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穴を掘りながら思ったこと

昨日今日と何か描きたいと思うものはないかなと思って、近所を自転車で徘徊していた。小学生が安全に登下校できるように見守っているボランティアのおじさんたちに挨拶しながら、それらの自治会のボランティア活動に参加していない後ろめたさも感じつつ、しかしそういうのは自分が定年まで無事に生きながらえたらでいいやと開き直りつつ。

最近は変質者などがたくさん出るので、子どもたちも知らない人にみだりに話しかけたりしないように注意されているらしい。

長野県の木曽町では、基本的に小・中学生はすれ違う人には挨拶するように指導されている。所変わればである。

自分が長年住んでいると、いくら風光明媚と言われている場所でも、一体どこが魅力的なのかわからないことがある。

茅ヶ崎の良い所は基本的に空が広い所、風が吹いていることだと思う。海沿いに住んでてもサーフィンをしないのでそのくらいしか思い浮かばない。

普段の青山塾ではそれなりに課題とかテーマがあるんだけど、修了展に描く絵は特に縛りがないのでなんでも描いていいのだ。どうしようかな。修了展までそんなに時間がないのに、花粉症でダウンしてて生命活動の60%の効率が落ちていた。来年はこの時期はどっかに高飛びしようかな。

とりあえず絵のための額は頼んだ。木曽町に住んでいて、木工をやる知り合いがなんと額を作れるという。そこらへんにある木で。とにかく木曽町は杉と檜はいくらでもあるので、「その辺の杉と檜」で作ってくれと依頼した。

今回わざわざ額を頼んだのは、以前のギャラリー展で世界堂に駆け込む時間すらなくて、前日にニトリに行って864円の額を買ったからだ。

その時はすごく助かった。なぜならその日のうちに提出しなければいけなかったからだ。ニトリありがとう。お値段以上に助かった。しかし、その後流石に864円はやばいだろう、いろんな他の産業を潰しているかもしれないと思い、今回はちゃんと頼むことにした。

他の青山塾の人で個展などでたくさんの額が必要になった人も、時間がなくて止むを得ずテキトーな額を買って済ましたケースも聞いたが、まあ色々あるよね。

価格というのは本当に難しい。その額を作ってくれる人に、「いくらがいいですか?」と言われ、正直いくら払えばいいのかわからなかった。

自分のイラストなども、料金表をちゃんと作って載せないとと思っていたところで、相手にいくら払えばいいのか、というのもいざ「自由料金で」となると結構難しい。まあ決めてしまえばラクなんだろうな。

昨日は雨と曇りで、海沿いをうろついたけれども一面灰色の世界で、絵になりそうな風景が見つからなかった。小田原方面の山が曇りのおかげで綺麗な蒼色になるのだけど、遠景すぎてサマにならない。仕方なく帰りに行きつけの喫茶店に立ち寄ったら、花粉症に困った少年が面白い格好をしてたので激写して、絵に描いてもいいかお父様に確認してOKをもらった。これで絵を描いて杉の額に入れたらなんか現代アートの一環になりそうだなと思った。

今日は晴れていたので、再び海沿いをうろついて海辺の植物をひたすら移植しているおじいさんを探しに行った。一人で浜辺の植物をかれこれ20年移植して増やしているおじいさんなのだが、とにかくそのおじいさんの顔というか全身から味のあるオーラが出ているのだ。修了展用の絵は単純に描きたいものを描こうと思って、思いつくのがそのおじいさん位だったのでもう描くしかない。もう時間もないしね!

おじいさんは天気が良い日は10時ー16時位の間、ずっとハマゴウとか、コウボウムギを植えているのである。コウボウムギは5-6月に穂が出て、心臓に良いお茶にもできるらしい。

おじいさんの存在を認識したのは去年の秋あたりからで、海沿いを走っていて、絵本の「木を植えた男」に出てくるようなオーラを放っている人がいるなあと思ったので思わず話しかけたら、そのようなことをやっているということだった。名前はまだ知らない。今後もよっぽどのことがない限り尋ねることはない気がする。

今日はなんとそのおじいさん一人ではなく、もう一人若めのおじさんもいて、二人でハマゴウの移植作業を行なっていた。もう一人の人は初対面なので、私がおじいさんの写真や動画を撮り始めたのを不審に思って「ちゃんと許可取ったの?」と聞いてきた。本人には常に許可を取っているのだけど、作業を手伝わずに写真だけ撮っているのがどうも気に食わないらしい。仕方がないので、ハマゴウの移植作業も少し手伝った。しばらく無心にハマゴウをシャベルで掘り、移植できそうな長さの根を掘り起こしてハサミで切る。私が掘り、おじいさんがハサミで切る作業を1時間程度行なった。若めのおじさんも始めは警戒していたが、最後の方は「なかなか手つきが慣れてるね」と褒め始め、態度を軟化させていた。家庭菜園で畳一畳分の広さの土を深さ40-50cm掘ったりするので、割と穴を掘るのには慣れていたが、久しぶりなので手のひらにライトなマメができて潰れた。

無心に穴を掘っていると結構爽快な気分になった。最近は花粉のせいでずっと家に引きこもりがちだったのでやっぱり体を動かすのはいいことだなと思った。デスクワークの人はデスクワークだけ、肉体労働の人は肉体労働だけになりがちだけど、やはり両方やった方が心身の健康には良いのだろう。なんとかそういう暮らしを組み立てていきたい。

おじいさん達がなぜこんなに必死になって穴を掘っているかというと、掘っている場所に下水道が通る計画があり、その経路になる予定の砂浜に埋まっているハマゴウというのが割と絶滅危惧種に近い珍しい植物なので、移植しているのだそうだ。私も確定申告とかお金の細かい作業をするよりも、この様な単純作業をするのが結構すきなのだけど、例えばベーシックインカムなどで生活に基本的なお金が支給されるのであれば、この様なボランティア活動をするのはアリかもな。と思った。植物を保存したいという希望は人間の勝手なのだけれども、たとえ自己満足でも誰に言われた訳でもなく、必要だと思うことを主体的に何かのために貢献する、というのは心身を健全にするには有効な気がする。大まかな方向性さえ間違えなければ。

あるいは税金を払うのがめんどくさい人が、困った人とかを助けるボランティアをしたら税金払うの免除とかにならないだろうか。計算がめんどくさいのだとにかく税金は。何に使われてるかよくわからないし。私の様に細かい計算ができない人用にボランティア枠を設けてはもらえないだろうか。肉体労働であれば運動になるし、健康にもなるから結果的に医療費の削減になっていいと思うんだけどな。まあボランティアはマッチングが大変だけど、、、

そんなことを思いながら穴を掘っていた。人間は基本的に感謝をされることをするのが好きなので、ボランティアの効用はそういう意味もあると思う。でも、「給料は我慢料」という様に、お金を稼ぐこととバーターで「嫌なこと」を我慢しないといけないという現代社会の形態は難儀なことだなと思う。みんなが生きる為に必死こいてお金を稼いだ結果、共働き世帯が増え、資源は浪費され、スギ林は放置され、海にプラスチックが増え、鯨のお腹はプラスチックでいっぱいになり、子どもたちはアレルギーだらけになっている現状も難儀なことだと感じる。本当はみんな感謝されることだけをして暮らした方が自分も周りもハッピーだと思うんだけど、なかなか全員に感謝されることというのは難しいのかな。私の描く絵も一体誰のためかと言われると自分の為の様な気がするし。とか考えててぐるぐるしてしまったのだが、基本的に穴を掘ると強面のおじさんの態度が軟化するという現象を目の当たりにしたので、今後も何かしらの場面で労働とお金と関係資本については考察していくことになると思う。           おしまい(絵を描け)











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