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存在していたかもしれないコミュ障の子

コミュ障と言われてどんな人がまず思い浮かぶかといえば、重度の双極性障害だった父だ。いやあれはコミュ障ではない。ぶっ飛んでる時は何をしでかすか分からないという意味では狂人に近い。

私が出会った中でもう一人いた。これから書くことはフィクションだ。あんまり覚えてないしプライバシーの関係もあるのでフィクションが随所に織り混ざっていることをご了承いただきたい。あるいは存在していたかもしれないもう一つの世界線の話として読んでもらいたい。

その子はおそらく推定中学生くらいの歳だった。学校には小学校低学年あたりから行っていない。兄弟と二人暮らし。兄弟の人は知的障害を持っているが一応福祉施設で働いている。親はいない。親は一体どこに行ってしまったのか分からないが、とにかくいない。詳しいことは忘れたが、その当時子どもの相手をする仕事についていた私ともう一人の同僚の男の子は、とにかくその子とコミュニケーションをとる必要があった。

その子はいつも同じパーカーを着ていて、パーカーの帽子を目深にかぶっていた。髪も切ってないから長髪。背も高めだったので、犯罪者と間違われてもおかしくない風貌だった。そんな感じなので顔は見えない。どんな顔をしてるんだろう。気になる。なんせ学校に行っておらず家族以外の人と誰とも話しておらず、いつもパーカーをかぶっているので、これでは就職するのも社会性の観点から難しかろうということで、とにかく、「家族以外の人とコミュニケーションを取れるようになる(あわよくばパーカーも脱げるようになる)。」というのが困難を抱える家庭の子どもの相手をする私の職場の目標だった。

私ともう一人の同僚はまだ二十代で、その子と年も近かったので、なんとかとっかかりを作ろうとしていた。私の同僚の子は自身も幼少期に多感なあまり鉛筆を自分の膝に突き刺した経験があるせいか、困難を抱える家庭に育つ少年少女と付き合うのが非常にうまかった。子どもに話題を合わせるためにモンハン(モンスターハンター)というゲームや、その当時流行っていた子どもが見そうなアニメやボーカロイドの曲を網羅していた。時々パチンコに出かけるギャンブル癖さえ除けば、全くの好青年であった(彼曰く、パチンコ店に入るのは深い森に瞑想に行くようなものなのだそうです)。そんな彼も今は社会福祉士の資格をとり、結婚もし、立派にやっているそうである。

話がそれた。

その学校に行ってなかった子(Aと仮称)は、とにかく学校に行ってないで何をしているかというと、どうやら深夜のアニメを見ているそうだった。ノイタミナという枠でわりとクオリティの高いアニメを深夜にやっているそうだ。まあやることないと昼夜逆転しがちよね。コロナ禍の影響で多くの人が経験してることと思う。

Aはいわば小学校低学年からずっとコロナ禍の引きこもりのような状態だった。文字が読み書きできるのかも謎、会話はできるので一応日本語はできる。知的障害はないように思えた。パーカーをずっとかぶってる以外は。家に行ったことないから(多分行っても出て来てもらえないだろう)、絵のない活字の本とかが果たしてあるのかどうか分からないが、兄弟が知的障害なのでおそらく文字だけの本はおろか下手したら漫画などもないのでは?と推察される。

Aは時々自転車でフラッと私たちの職場だった平屋に現れ、またフラッと消えていくレアキャラだった。他のスタッフや子どもがいるとこないこともある。短い時間の中でコミュニケーションをとる必要があった。

家庭に困難を抱える子どもの特徴として、DVやネグレクトなど子どもにとって望ましくないストレスに晒されている場合は、自分が安全な状況になった時、そのストレスをまず転嫁できそうな相手にぶつける傾向がある(私たちスタッフの間ではそれを「毒出し」と言っていた)。犬が自分より弱そうな犬を威嚇するのに似てる。

子どもの場合はしかしそれがずっと続くわけではなくて、ある程度毒を吐いたら後はその年の子どもらしい様相になり、おやつを作るのに参加したり、鬼ごっこしたりして遊べる。Aの場合は彼に暴力など危害を加える人がいないので、周りの人に攻撃的な態度をとるということは一切なかった。ただずっとパーカーをかぶってそれを頑なに脱ごうとしなかった。

私と同僚のSは、Aに話を合わせるためにじゃあ深夜アニメを見よう!ということになった。見たアニメで記憶に残っているのは以下の通りである。一応アニメを見るのは勤務時間外でしたよ。

・No.6 (あさのあつこ原作)

・輪るピングドラム

・魔法少女まどかマギカ

・Steins;Gateシュタインズ・ゲート

正直、私が中高生の頃はアニメオタクの人に対する社会的な風当たりがヒドく(今もそうかもしれないけど)、中学の頃に父親が精神病院に入ってからテレビ自体自分はあんまり見る気にもならなかったので、昨今のアニメ事情には全然詳しくなかった。

大学に入ってからは、全くアニメや漫画を読まないで育った子も友人でいたし(そういう家庭って結構あるみたい)、反対に工学部の男の子は素敵なキャンパスライフを送りつつもガチのアニメオタクである確率が比較的高いことも知った。(研究室で深海誠のアニメの美麗背景がMacの背景スクリーンに使われてたり)

でも意外に、というのは失礼かもしれないが、Aが薦めた作品を観てみるとクオリティが高くて、

「アニメなんてエロいのが見たいだけの娯楽でしょ?」と思っている人たちには是非見ていただきたい。と思った。

テーマ的に管理社会、高齢化社会における命の尊厳、虐待、LGBT、多次元宇宙、女性の権利の歴史(魔女狩り)、失恋と嫉妬と憎悪、友情、無償の愛(銀河鉄道の夜など純文学へのオマージュ)など、変態アニメに見せかけて社会情勢を鋭く切り取っていて、観終わった後に謎の感動がある。

学校という公教育にアクセスできないのに、なぜかテレビだけは辛うじてあるという生活保護の家は結構あって、そういう家庭で育つ子がまず興味を持って見るのはネット環境があればYoutubeやニコニコ動画だけど、深夜アニメなんだなと思った。後ボーカロイドか。

アニメを見てみて、実際感心したのは上から目線で失礼かもしれないが、Aの審美眼というか、作品を選ぶ眼が確かなのに驚いた。学校に行かなくても、アニメだけみててもいいのかも。とちょっと思った。職場的には表向きには最終的に学校に行かせたり、就職させたりしないといけないのだけど、、、

自分は絵のない文字だけの文章を読むのには、イラストや絵の力が必要だった。きれいな表紙とか、時々現れる挿絵を餌にして、文字だけのゴリゴリした物語を咀嚼する感じ。家には小公子や小公女などの本が転がっていて、「本が読めないと恥ずかしい」という不文律があったので、末っ子ながらに空気を読んで小学校に入ってからは読書に勤しんだ。ビアンカの大冒険とか。果てしない物語とか。

しかし、全く学校に行っていない子が初めてアクセスする物語として、深夜アニメという入り口があってもいいのかもしれないなと思った。だってレベルが高いんですもの。

震災があってしばらくしてその職場はやめてしまったので、Aがどうなったのかは定かではない。

今、子ども相手の仕事はしてなくて、私はイラストを書く塾に行っている。コロナの影響でお休みなので家庭菜園ばっかりしているが。

自分の人生の中であまり出会ってこなかったイラストを職業としている人たちに会えてとてもおもしろい。

その中には純文学と言われる分野の本の表紙の絵まで、全部アニメの絵になってる!!と嘆く人もいて、ああそういう現象が起きてるんだなあと思うんだけど、あのAは今どうしてるんだろうと、そればっかりが私の脳内妄想で思い出されるので、こうしてフィクションの文章を書いた。

結局肝心のアニメの感想を言い合えたかどうかあんまり覚えてないんだけど、一つだけ、「No.6の主人公二人はちょっとBL入ってるね。」という話をした時にAがパーカーから少し嬉しそうな顔を覗かせたのを覚えている。


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