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歴史ファンタジー/風来夢曹・序#1

歴史とはファンタジーだ、と思う。全て、という事ではないが。
一級資料の記録や発掘された遺跡から、歴史におけるいくつもの“点”を
一つ一つ検証し、繋げていく事が歴史の醍醐味だとすれば。

“点”の周囲の余白を、
そこで積み重ねられてきた月日という圧倒的な質量を持った余白を、
妄想で埋めていくのもまた歴史の醍醐味ではないだろうか。
根と葉みたいなものがくっついたファンタジーとして。
それが事実に伍していけるだけの、“物語”となっている事を念じながら。

拙いこんな“お噺”を、紡いでみた。

お暇な時に、気が向いたらお読み下さればと思う。
空いた時間のお供になれたなら、これ以上の喜びはない。

一、 風は雨を降らせる為だけに、吹くわけではない


中国、唐の時代、許渾きょこんという詩人がいた。
8世紀から9世紀、唐末期の人である。
彼の『咸陽城東楼詩』という詩にこんな一節がある。
 
山雨さんう来たらんと欲してかぜろう

詩は、許渾が滅び去ったかつての秦王朝の都、咸陽かんように思いを馳せて詠まれたのだそうだ。
その中のこの一節、

“山の方から、今にも振り出しそうな雨の気配をはらんだ風が、物見櫓に吹きつけている”

と言っている。
転じて“今にも変事や事件が起こりそうな、穏やかでない雰囲気が立ちこめている”という事の例えだという。

山雨が降り出す前に、まず風が高楼こうろうに吹きつけてくる。

その光景を見た許渾は、当時、安史(安禄山)の乱や民の不平不満が楊貴妃に集まっていく様子を思い浮かべ、“時代の風”が唐という高楼を落日へいざなっていると感じたのだろうか。

何をどのように許渾が感じたのか、考えてみてもわかるはずはないが、無駄と知りつつ妄想は千里を走る。

それはどんな風だったのか?重く強く絶え間なく吹きつけていたのか?
それとも吹きつけては止み、吹き付けては止みと、徐々に心をあおられ、何かに駆り立てられているような気持ちに・・・そんな吹き方をしていたのだろうか?

タネは尽きない。

許渾が『咸陽城東楼詩』を詠んだ唐末期より、約5世紀ほどさかのぼった3世紀の中国、それがこの物語の舞台である。
言わずと知れた“三国志”の真っただ中という時代、中国ではしょくの三国が天下をめぐってしのぎを削っていた。

そのうち天下統一に最も近い所にいたのは魏であったと言っていいだろう。

他の2国に比べ圧倒的な国力を持っていながら、魏は三国の中で2番目に滅んだ、というのが史実ではあるが、実質上は建国した一族の支配権喪失という点からみれば、三国中、最も早く滅んだ、ともいえる。

司馬炎が魏に代えてしん(西晋)を建国したのが265年であるから、同年をもって魏は滅んだ、とするのが史実としての正しい捉え方だが、この時、既に魏の実権は司馬一族が握るようになって久しかった。

249年まで、実権は魏を建国したそう一族のものだった。
同年、高平陵の変(正始政変)という大規模な政変が魏の国内で起こり、これによって実権は曹一族から司馬一族へと移った。

魏は三国で最も早く滅んだともいえる、と先に述べたが、この249年以降、魏を実質的に支配したのは司馬一族であったというのがその理由である。
(蜀が滅んだのは263年、呉は先述の通り280年に滅んでいる)
 
前置きが長くなったが、曹一族が実権を失う249年、それより23年前の黄初7年(226年)が、この物語の始まりとなる。

その年から逝去するまでの間、他の大勢の人達も忙しかったには違いないが、彼も間違いなく大変に忙しかったであろう一人の男、
名を曹叡元仲そうえいげんちゅうという。

曹一族である彼は、黄初7年(226年)、魏の第2代皇帝に即位した。
数え年で21といわれている。

同年5月17日、初代皇帝が薨去こうきょし、同日の即位となった。
それはいいが、曹叡が皇太子に立てられたのはその前日の5月16日である。
死の前日まで、初代皇帝は跡継ぎを嫡男ちゃくなんの曹叡にするか、側室の息子にするか、公式に決める事をしなかった。

これには色々話があるが、別の段の物語として記す事とする。

ともかく曹叡は、黄初7年(226年)5月17日、魏の初代皇帝崩御ほうぎょの後、第2代皇帝として即位した。

建国のいしずえを築いた武帝を祖父にもち、初代皇帝、文帝を父に持つ曹一族のサラブレッドである。祖父は曹操孟徳そうそうもうとく、父はその息子の曹丕子垣そうひしかん、と言った方がわかりやすいだろうか。

その曹叡が。
黄初7年(226年)、即位の後、3か月ほどが経った秋、8月(当時の8月は現在では9月末から10月初めに相当する)、南の隣国である呉が、魏の江夏こうかに攻め入った。

朝早い時間、陽が上りきったかきらないかという頃に第一報を聞いた曹叡は、ひとまず姿を消した。
あわを食ったのは、登庁してきた“百官”と呼ばれる重臣達である。
“呉が攻めてきた”と、非番の他の重臣に使いを走らせる一方、広い宮廷内を皇帝の御姿を求めて懸命に探し回った。
が、見つからない。
「この一大事に!陛下は一体どこへ?」
そうした声を尻目に、宮廷にほど近い一軒の屋敷の前に曹叡の姿はあった。
 
突如現れたその男を“皇帝”だと知るはずもない屋敷の女中は、曹叡を追い返そうと手を伸ばしたが払いのけられ、「あれよ」と玄関先の道端に身を転ばせた。
騒ぎ声と物音に何事かと玄関先へやってきた屋敷のあるじは、下履きを脱いで上がり込んだばかりの曹叡と鉢合わせ、目を丸くした。

「な!・・・・・何事です?」
「一大事だ、子文しぶん!上がるぞ!」
と、相手の顔も見ずにそう言い捨てると曹叡は、あんぐりと口を開ける屋敷のあるじ成邵せいしょう子文の目の前を、下の衣服の両裾を両手で持ち上げ、ドタドタと足音高く廊下を奥へと進んでいく。

後を追いかけてきて、“止めたんですよ私は!”と言う女中の膝のあたりについた土をはらってやりながら成邵は、何とか彼女をなだめてから曹叡が勝手に入り込んだ一室に、自分も身を入れ、後ろ手に戸を閉めた。

「陛下!一体、」
「陛下はよせ!それより水だ!水をくれ!」

と言うので慌てて成邵はへやの戸を開け、さきほど玄関先で転んだのとは別の女中に水と何か食べるものを、と申しつけ、再び戻ると、先ほど荒かった息遣いも少しは落ち着いて見える曹叡の正面に、片膝立ちで腰を下ろしながら言った。

「大丈夫なんですか?宮廷の方は?」
「今日お前が非番なのを知っていたのが幸いだ」
「一体・・」
「子文」
「はい」
「呉が・・・」
(ああ、来ましたか)という言葉を成邵は飲み込んだ。
「・・・攻めてきよった」
「さようで」

と、もちがなくなったので買ってきました、という女中からの報告を聞くような調子で答えて、成邵はへやの戸の方を見やった。

「・・さようでではないっ!何だ!さようでとは?さようでって何事だ!何だ!その気の抜けた返事は!」

甲高い声でまくしたてる曹叡の声に成邵は慌てて振り向き、姿勢をあらためた。「あっ!はっ・・まことに・・申し訳なく、」
実の所、戸の方を見やったのは視線を外したかったというのが本音で、(攻め入ってきた場所は江夏ですか?)と思わず聞き返しそうになるのを抑える為だったのだが、そんな事は成邵は言わない。

「頭を下げんでいい!とにかく!」とそこへ戸が開き女中が入ってきて、盆から茶菓子を乗せた皿と水の入った茶碗の2つのうち1つを、床に置いて出ていった。

女中が置こうとした1つ目をひったくるように取り上げた曹叡は、水が床にこぼれ落ちるのもかまわず、あぐらをかいたままごくごくと一気に飲み干し、茶菓子には見向きもせずに空の茶碗を成邵に差し出すと、
「どうすれば良いのだ?」とわめいた。

「まあ、落ち着かれませ」となだめすかしつへやを出、受け取った茶碗とそれから小さ目の壺に水を一杯に入れて持ってきてくれるように、と女中に頼んでから戻り、呉が攻め込んでくるのをある程度予期していた成邵は、ゆるりとしたいつもの口調で世間話など織り交ぜつつ、焦る曹叡に呉への対処についてゆったりと説いていった。
 
半刻が過ぎた頃、さきほど持って行った壺の水がそろそろ空になってはしないかと、廊下を“はなり、はなり”と足を運び、あるじと、素性はわからぬが何やら高級そうな衣服に身を包んだ青年のいるへやの前まで来た女中は、耳をあてようとそおぅっと片方に顔を傾けたとたん、戸はガラリと開き、すさまじい勢いで飛び出してきた曹叡になぎ倒されるや「あれえ!」と両足を天に突き上げ、大股開きでしこたま身を打ちながらずずずと背中で滑ったあげく、廊下に面した中庭に縁から転がり落ちていった。

「元仲っ・・陛下!・・落ち着い・・・」「また来る!」

ドタドタとまたもや足音高く廊下を走る曹叡だが、来た時と違い、今度はシャリ!シャリ!という音が混ざる。
ドタシャリッ!ドタシャリッ!と、もはや衣服の裾を両の手で持つ事もせず、ひっかかる絹に足を取られながらひたすら駆けた。

玄関まで走って追いかけた成邵だったが、振り返りもしない曹叡の背中が、舞い上がった砂埃すなぼこりの向こうに霞んで消えていくのを茫然と見送るしかなかった。

「何なんですか?あの突風みたいな男は?誰なんです?何?へいかって?」と、今立っている玄関先で最初に転ばされた女中が、共に見送りながら矢継ぎ早に尋ねてきたが、「あ、・・いや・・」と成邵は、口ごもりながら強張った笑いを顔に張り付けるのが精一杯であった。
 
「陛下っ!・・・あのっ!」と自分の後ろに蚊の鳴くような音を耳にした気がして曹叡は、走りながら左右後ろへ首を振ると、上も下も黒い官服に身を包み、青白い顔でぜぇぜぇ言いつつ右側の後ろから、よたよたと追いかけてきている一人のひ弱そうな男を認めた。

「・・郭英かくえいではないか!何をしておる?」と曹叡が走りながら大声で尋ねると、「それはこち!・・らのっ・・言いよう・・でございますっ・・一大事に・・何を?・・どこなんっ!・・です?あの・・屋敷は誰・・の館で?・・」と本人は、息せき切りながら大声をあげているつもりなのだが、なよっとした体つきで、およそ“力”という要素をかけらも持ち合わせずにこの世に生まれてきたような郭英の声は、はし置きにそっと箸を置くようにしか響かず、もはや音とも思えぬ曹叡は「さっぱり分からぬ!あとにせよ!」と言い捨て、走る速度を上げた。

「陛っ!・・お待・・ちを・・」
そっと宮廷を抜け出す曹叡の後をここまで尾けてきた郭英だったが、目に映るその背中はみるみる遠ざかっていく。
よく晴れた秋空の下、突然吹きつけてきた一陣のつむじ風に頬を打たれた郭英は、一瞬そむけた顔をすぐに戻したが、視線の先に曹叡の背中はもう無かった。
 

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