『小山田圭吾 炎上の「嘘」』(著:中原一歩)

パリ2024オリンピックが開催され日本選手の活躍がメディアを賑わせている。だからこそ、あえてこの時期に刊行したのだろう。

『小山田圭吾 炎上の「嘘」』は、東京2020オリンピックが開催された2021年7月に起きた小山田圭吾の炎上を扱ったノンフィクションである。

書いたのはノンフィクション作家の中原一歩(なかはら・いっぽ)である。本書でも語られている通り中原は小山田圭吾のファンではない。取材を始めるまでCorneliusの音楽は聞いたことがなかったそうだ。

中原の著書は『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(2013年、講談社)や『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(2017年、文藝春秋)など"食"にまつわるものが多い。これまで音楽関係の著書は一冊もない。

小山田圭吾のファンではないからこそ、本書は中立的な視点で書かれている。もともと小山田の音楽や人間性に好意を持っていた人が書いた本ではないことが信頼性を担保している。

私は本書が刊行されることをTwitter(現X)のTLで知った。読まなければならない、と思った。

私はあのとき小山田圭吾を非難したわけではない、かといって擁護もできなかった。真相がはっきりしないまま燃え上がっていく炎上に恐怖を感じた。まるで現代の"魔女狩り"だった。

当時の私は以下のようにツイートしている。

事実を検証することの重要性

小山田圭吾が学生時代にいじめの加害者だったという根拠は2つの雑誌に掲載されたインタビューである。『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号(ロッキング・オン社)と、『クイック・ジャパン』1995年、第3号、太田出版)に掲載されたインタビューだ。

それに対して、小山田は2021年7月16日に発表した声明文でこう書いている。

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。

2021年7月16日に小山田圭吾が発表した声明文

小山田圭吾が学生時代にいじめの加害者だったという根拠が本人のインタビューだけであり、本人が「事実と異なる内容も多く記載されております」「誤った内容」「誇張」と主張している以上、どこまでが事実でどこからが事実と異なるのか、取材し裏取りするのがメディアの責任だった。

本書でも中原は以下のように指摘をしている。

小山田は先の文章で「事実と異なる内容も多く記載されております」と主張していた。そうであるならば、「何が事実で何が事実ではないのか」という疑問を小山田に質す、もしくは彼と親しい同級生に取材するなどして、事実関係を確認するのが、メディアとしては、まずするべきことではないか。

『小山田圭吾 炎上の「嘘」』18頁

また本書には2021年7月20日に放送されたラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』における太田光の発言も引用されている。

今の日本のマスコミ全体に聞きたいのは、あのとき何が起きたのかを、調べ直したのか? ってことなんですよ。一社でも、あそこの当事者(のところ)に行って、そりゃね、思い起こしたくないこともあるだろうけども。でもその(筆者注・いじめに)参加した人々、参加した仲間っていうのはいるわけで。あるいはそこのクラスメートなりなんなり。それに取材をし直したのか、雑誌もテレビも、報道機関も。裏をとるって、そういうことをやるわけでしょ。本当ならね。

『小山田圭吾 炎上の「嘘」』117頁

当時の自分のツイートを読み直した。

当時の私は「実際にどんな暴力行為が行われていたか具体的に検証することは不可能」とツイートしている。加害者の主張だけでは一方的で判断できない。被害者にインタビューすることはそれ自体が二次加害となりうるからだ。

当時の私のこの判断は間違っていた。検証することは不可能ではなかったのである。それをなしたのが本書である。

本書の第4章「いじめの現場にいた同級生」では『ロッキング・オン・ジャパン』の見出しになっている「全裸でグルグル巻にしてうんこ食わせてバックドロップして……ごめんなさい」といういじめが、本当に行われたのか検証している。

この出来事は1982年秋に行われた和光中学校の修学旅行で、秋田県にある劇団わらび座の宿舎に宿泊した際の出来事だという。約30年前の出来事であり写真、映像、音声などの記録が残っているわけではない。

そんななか中原は同室にいた二人の同級生にインタビューすることに成功している。しかもそのうちの一人は匿名ではない。名字だけであるが名前が掲載されている。赤の他人がインターネットで検索して特定はできなくとも、関係者なら誰の証言かわかる。匿名の証言よりずっと信憑性が高い。

本書の核心部分のひとつなので引用するべきか迷ったが、中原は以下のように結論付けている。

小山田とT君、そしてその場にいた五、六人がプロレスごっこを始めた。最初は楽しく遊んでいたが、そこにM先輩が戻ってきて、空気が変わった。M先輩がT君にバックドロップをかけるなど、徐々にエスカレート。M先輩の剣幕に小山田と何人かの友人は、止めることもできずに、それを黙って眺めることしかできなかった。全裸にして自慰行為を強要したかは定かではない。

『小山田圭吾 炎上の「嘘」』162頁

中原はM先輩(インタビューでは「渋カジ」というニックネームで呼ばれている)の現在の連絡先を探し出し取材依頼の手紙を渡している。残念ながら取材は断られた。

また中原は『クイック・ジャパン』のインタビューに登場した「沢田君」と小山田の関係についても、同級生十三人のインタビューをもとに丹念に検証している。

なぜあのインタビュー記事は生まれたのか

小山田圭吾がいじめ加害者だったのか、いじめ加害者だとしてどこまでが実際に彼がやったことでどこからが彼がやったことではないのかという論点とは別に、小山田圭吾がインタビューでいじめを面白おかしく語ったという問題がある。

しかし、小山田が自らの意思でやっていないことを自分がやったかのように話したのと、小山田は自身がやったことと見聞きしたことを分けて話したが、編集する際にそれらを交ぜて記事にされたのでは、責任の所在が大きく異なる。

第5章「なぜあの雑誌記事は生まれたのか」では、なぜ小山田がやってもいないいじめがインタビュー記事になったのかに迫っている。

そのために当時の小山田圭吾をとりまく状況、『ロッキング・オン・ジャパン』という雑誌の立ち位置、インタビューを担当し編集長でもあった山崎洋一郎と小山田の関係に迫っていく。

中原は『ロッキング・オン・ジャパン』に掲載されたインタビューを担当し編集長でもあった山崎洋一郎へ何度も取材を申し込んだが断られたそうだ。

本書のなかで柴那典(しば・とものり)はロッキング・オン社が他のメディアの取材を受けない姿勢について以下のように解説している。

ロッキング・オン社はメディアではありますが、他のメディアの取材をあまり受けない姿勢を取っています。今回のようなトラブルの時だけではありません。たとえば『ロック・イン・ジャパン・フェスティバル成功の理由を聞く』というような、ポジティブな企画であってもそう。今やフェスの運営が商売の根本にある以上、それにどう影響を与えるかが会社として重要。できるだけ火の粉が降りかからないようにしたいという思いが会社にあるのではないでしょうか。

『小山田圭吾 炎上の「嘘」』218頁

おそらく「取材をあまり受けない姿勢」というのは間違いではないのだろう。しかし、2019年にCCCミュージックラボ株式会社が運営するWebメディア「Rolling Stone Japan」のインタビューに山崎洋一郎が答えていることからも、あくまで「あまり受けない姿勢」であって絶対に取材を受けないわけではない。

本書の終盤になって実は2021年8月末に小山田圭吾の所属する事務所関係者と山崎が水面下で接触していたことが明かされる。事務所関係者と山崎の話し合いは平行線のまま終わった。また山崎はインタビューを録音したテープは「ない」と断言している。

中原はできる限りの取材をしたが、山崎の協力が得られなかったこともあり真相は藪の中だ。

ノンフィクションとしてのスリリングさ

「いじめ」と「ネット炎上」を扱ったノンフィクションである。最近でも炎上をきっかけに自殺者が出ている。軽々しく面白かったなどというのは不謹慎だろう。それでも本書を面白いと感じた。少しずつ読み進めようと思ったが、頁を捲る手が止まらなかった。

取材を通して「どこまでが事実でどこからが事実ではなかったのか」を検証していく過程は、さながらミステリー小説のようで単純に読み物としてスリリングだった。

実際に何が起こったのかを検証する第4章「いじめの現場にいた同級生」や、『ロッキング・オン・ジャパン』のインタビューが生まれた背景を掘り下げていく第5章「なぜあの雑誌記事は生まれたのか」は本書の核心部分であるが、本書の読ませどころはそこだけではない。

炎上してから小山田が五輪開会式の音楽担当を辞任するまでを描いた第2章「空白の5日間のはじまり」、第3章「五輪降板」も私たちが知り得なかった当時の関係者の行動や心理を描く迫真のドキュメントである。

第6章「小山田 二十七年間の悔恨」では何度も記事を訂正・謝罪する機会があったのに、それをしなかった小山田圭吾および所属事務所の危機管理能力についても追求している。事前に炎上の芽を摘む機会は何度もあったのだ。

また本書は全編をとおして小山田圭吾の人物像に迫っていく評伝という側面もある。同級生、友人、マネージャー、事務所社長、音楽関係者の証言から小山田圭吾の人物像が多面的に浮かび上がってくる。そこで浮かび上がる人物像はとてもあのインタビューで語られているような凶悪ないじめをする人物ではない。

個人的な思い出

私が小山田がいじめ加害者であるという情報に出会ったのは2ちゃんねるである。おそらく2000年代中盤だったはずだ。

私は小山田圭吾のファンではなかったし、CorneliusのCDも聞いたことがなかった。だからCorneliusスレッドを読んでいなかった。おそらく小山田圭吾がYMOのサポートメンバーとして参加した頃に、YMOスレッドで小山田圭吾はいじめ加害者であるというコピペ(同じ文章をコピー&ペーストで投稿する行為、またその文章)に出会ったのだろう。

「えっ?あんな大人しそうな人がこんなひどいことをしていたの?」とびっくりするとともに、所詮「2ちゃんねる=便所の落書き」だからと半信半疑であった。

『ロッキング・オン・ジャパン』誌面の画像も見た記憶がある。それが「孤立無援のブログ」だったのか、画像掲示板にアップされた画像だったのか詳しくは覚えていない。

私のなかで小山田圭吾に対するイメージはフラットなものではなくなった。小山田圭吾はいじめ加害者だと断定したわけではなかったが、本人が明確に否定していないってことは、もしかしたらあそこで語られているいじめは本当だったのかもしれないというもやもやした気持ちをずっと抱えていた。十数年間ずっと。私がCorneliusの音楽を積極的に聞かなかった理由は、このもやもやした気持ちが原因である。

小山田圭吾に落ち度がなかったわけではない。それでも炎上で起こったバッシングは小山田の落ち度に釣り合うものだったとは思えない。

2021年8月11日に発売予定だった『METAATEM』が発売中止となり、高橋幸宏にとって復帰のステージとなるはずだったライブ「METALIVE 2021」が開催中止となったことは、小山田圭吾にとっても関係者にとっても悔やんでも悔やみきれないだろう(もちろんライブ中止は小山田の炎上だけが理由ではなく、高橋幸宏の体調や新型コロナウイルス感染拡大など複数の要素が理由なのだろう)。

それでも、もしあの炎上で良かった点が1つでもあるとすれば、小山田圭吾のファンがずっともやもやした気持ちを抱えていたあのインタビューについての真相が明らかになったことである。

炎上は繰り返される

あれから3年が経ち、今も炎上は繰り返されている。

人々は落ち度があると認定された人物に石を投げ続ける。また別の対象が現れ、そちらに石を投げることに夢中になり、前の対象は忘れられていく。その繰り返しである。ときには当事者の自殺という悲劇的な結末を迎えるが誰も責任を取らない。

本書はネット炎上の危険性に警鐘を鳴らす一冊である。小山田圭吾のファンはもちろん、小山田に興味がなくてもネット炎上に興味がある人にはおすすめする。

しかし、あのとき小山田圭吾に石を投げた多くの人は本書を読まないだろう。そして今も誰かに石を投げ続けているのだろう。そこに無力感を感じる。

せめて、本書で指摘されているような事実確認をせず誤った情報を鵜呑みにして記事を書いたメディア、つまり炎上を煽ったメディアが改善されることを期待したい。

そのためにも媒体の大小に関わらずメディアで文章を書いている人や、これから先メディアで仕事をしたいと思っている人にはぜひ本書を読んでほしい。

余談

これは本書の主題とは関係がないのだが、2021年の出来事を記述するのに「ツイッター」ではなく「X」、2000年代の出来事を記述するのに「2ちゃんねる」ではなく「5ちゃんねる」と書かれているのは読んでいて違和感を抱いた。

「X(当時はツイッター)」ではなく「ツイッター(現在のX)」、「5ちゃんねる(当時は2ちゃんねる)」ではなく「2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)」と記述したうえで、それ以降は「ツイッター」「2ちゃんねる」で統一すべきだろう。

関連リンク

最後に本書に関係するリンクを紹介しておく。

文春オンラインで本書の記事を抜粋して紹介している。

ロマン優光による本書の書評。