映え
最近よく思うのは「映える問題文を書きたい」ということだ。文章を書くのはもとより苦手なのだが、それでも人の目にとまる文章を書きたいと考えてしまう。一応ここでは見ていて疲れない、構成がしっかりしていて適度に記述の技法が使われる問題文を「映える問題文」としておく。
問題文は問うている1つのことに関する周辺情報を書き連ねていくもの(クソ乱雑説明)だが、ただ書き連ねていくだけでは全く面白くない。3日後には忘れられる。一方、「なぜ山」とか「おい、地獄さ行くんだで!」とか昔できていつまでも残っている文章だってある。要は明快で映えるからいつまでも残っている。
映える文章にも色々あるが、ここでは詳しいことは言わない。強いて具体例をあげるなら昔の有名な文構造をそのまま持ってくる、列挙の時に順番を気にする、ですが問題も2文か3文かははっきりさせる、というような次第だ。恐らくさらに多様な技法があるだろう。
また、文構造だけではなく知識による映えもあるだろう。例えば、どこぞの馬の骨を問われることはある種価値のないことであろう。一方、何かをした、あるいはしようとした人物や決定的な特徴のある物体は問われる価値がある。答えを聞いて、聴衆や解答者があれだったのかと何かを思い出すような問題には確かに価値がある。そういう普遍性に裏付けられた価値によって、クイズは一層映えるものへとレベルアップしていく。
自分の作るクイズを映えさせることは、当面の自分の目標でもある。一応、全部が全部ということでは無いが。以上、映えを気にする映えない文章でした。
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