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海へと

いつも海があったので

先週、約2年ぶりに海に行った。コロナの拡大が気になって鎌倉への帰省を諦めたので、慣れ親しんだ太平洋ではなく日本海へ。40年近く生きてきて、日本海で泳ぐのは初めて。台風が近づいているのに穏やかな海。陸地に挟まれているだけで、こんなに違うものなのかな?

これまで新潟は雪のイメージだったけれど、長野県民にとって、新潟は夏に海に遊びに行く場所みたいです。高速に乗って2時間。日帰りもできる距離でした。

軽井沢に引っ越してきて1年が経ったけれど、まさか海なし県に暮らす日が来るとは思っていなかった。潮の香りが届く産院で生まれて以来、私の暮らしにはいつも海が近くにあった。ここに来るとき、海がないことが少し気になった。

海、行く?

軽井沢での暮らしは気に入っているけれど、いずれはまた海の近くで暮らしたい。日曜の朝にふらっと、仕事の帰りにふらっと、何もなくてもふらっと海に行ける距離がいい。

数年前のこと。近くに海があったので、その時一緒にいた友人に「海、行く?」と聞いたら、衝撃の返事。

「え?何しに?」

たしかに季節は冬で、海水浴の季節ではなかったし、海に用事があるわけではない。でも私にとって海は、用がなくてもたまに行く場所であり、その瞬間まで、誰にとってもそういう場所なのだと思っていた。何をするかという友人の問いに返答するのであれば、「ぼんやりしに行く」かな。

地元の、海の近くで一緒に育った友人たちにこの話をすると、だいたい私の衝撃は理解してもらえる。鎌倉の駅で待ち合わせて、夕飯までにはまだ時間あるよね、というとき。一杯のコーヒーでカフェに長居しすぎたとき。素晴らしく天気のいいとき。「海、行く?」と相手を誘うのも誘われるのも好き。

もちろん、私1人だって海に行く

軽井沢に来るまで暮らしていた東京。東京の海は私の思う海とは違ったけれど、それでも潮の香りを感じるだけで気持ちが整う。豊洲のららぽーとにベビーカーを押して行っては、海を見てぼんやりしていました。子どもの寝顔とテイクアウトのコーヒーと光を受けてキラキラ輝く海。癒しでした。

小さな島に住んでいたときは、「海に行く」はもう少し生活に密着していた。波を見て、風を感じて「明日は船が着かないかも」「今日は漁があるだろうな」などと考える。同じように海を見に来た人と「イカ、釣れてる?」なんて情報交換をしたり、ちょうど釣れた魚をもらったり。コンビニもない島だったから、とりあえず「海に行く」は日常でした。

鎌倉の海は、海水浴で賑わう夏ではなくて、冬に行くのが好きだな。顔に当たる潮風は冷たいけれど、空は澄んでいて富士山がくっきり見える。ウツウツとした日、心に思い浮かべる私の海。

海に行けば、とりあえず何かが解決するように思える。実際に解決するわけじゃない。でも、心が逃げる場所があることにいつも救われる。

大好きな歌。

あなたも 私たちも おそらく 誰もがみな
体を いや心を 癒しに 海に出かけて行くのでしょう
Oh yeah
ー「海へと」奥田民生


昼に魚介は食べたので、サンセット見ながらモスバーガーを食べました@日本海 
海で食べたらごちそうだよね↓






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