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価値観の相違ー異郷を知るには

 イスラム世界とかへ旅行してみて怒って帰って来る人がいる。もしかして「インシャーアラー」を知らないのかもしれない。
  「神の思し召しあらば」という意味で、人と人との約束事が日本の都市部のようにきっちり履行されなくてもいいのだ。日本でも田舎とかだと割と寛容だったりする。融通が利くという事だ。
 イスラム世界で一旦約束をして、もし双方どちらかの気が変わってもそれも「神の思し召し」という事だし約束を破られた方も「神の思し召し」と考える。イスラム世界の契約書などには常に「インシャーアラー」という一文が登場する。日本人が怒る元凶は価値観の相違だ。というか日本人は特に時間に関しては厳格過ぎる。
 インシャーアラーの故に物事は遅々として進まない。
 きっちりとした日本人は怒る。

 韓国でも聞いた事がある。道を聞いてもデタラメを教えられて怒ったとか。それは「道が解らず困っている今目の前にいるアナタを安心させる事」ーそれがデタラメでもーが徳を積むと考える民族性の違いなんだと思う。この傾向はイスラム世界でも見られるようだ。
 知らない・解らないが許される日本人とは少し違うのだろう。いや日本人でもバーサーカーには許されなかったりする。(ちょっと謎文)

 ピンボケな例を並べてしまったが、異郷を旅する際には旅先の文化や風習・人々の価値観を忘れないようにしたいものだ。異郷でこちらの価値観を押し付けてもこちらの腹が立つだけでしかも「何だコイツ」的な目で見られるだけで。

 「あっちでは会議中でもお祈りを始めちゃうからなぁ」上司がイスラム世界の事を嘲笑したのを覚えているが、小生はその信仰深さに感心をした。

 厚意で何かを勧めたように装い、開封してから料金を請求するという行為はイスラム・ユダヤ双方でみられるようだがこれ「大〇川の渡し守」と同じなんでしょうね。

 梯子が見えるようなら登らない方が賢明である。 By 青りんご

 そして小生は古代人の価値観・意識を探り続けよう。。。

 

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