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未来予想はたいてい想定外


2022年も終わります。
毎年思うのですが、一年があっという間。

今年もまた、例年よりもより早くすぎていったような気がします。

YouTubeには今年も、さまざまな2023年予想が出ていますね。
この時期恒例のYouTubeの風物詩。最近のエンタメとなっています。

さまざまな予想や予言はありますが、やっぱり予言は予言。

もちろん、占いも予言も人間がすることで、その人の知識(ボキャ)で表現しているので、占い師や予言者が、どの部分を切り取ったかによって、見え方が変わってきます。


予言とは「過去の知識で未来を予想している」ので表現不可


未来の不安を予想して、恐怖する「エゴ」の働きも同じです。

私たちは誰でも「知っていることしか知らない」のです。
この世にないものは知りようがない。

だから、今ある知識を使ってないものを予想することは、本来不可能なこと。
自分自身の予想にしたって、
過去の知識と今の状況から「このまま進めば未来はこうなる、ああ恐ろしい…」と不安がってしまう訳なんですけど、それは自我の機能なので致し方ない。

でも、そもそも時間そのものが概念だし、起こる現象は仏教でいうところの「縁起」でもあり、複雑系ともいう。

バタフライエフェクトのように、遠い国で蝶が羽ばたくと、どこかの都市で竜巻が起こる、という感じで、がさまざまな現象が絡み合って次の現象が発生するわけです。
そういう意味でも、始まりも終わりもない。

原因は常に結果であり、結果は常に原因でもある。
どこを起点にして予想するにせよ、ピンポイントの予想はほぼ不可能なのです。
誰にも予測はできないはず。

それでも人は占いや予想や予言が大好きです。
私も大好きです。

かつて、人類が自我を持つ前から備わっている動物的本能の「危機察知」の言語版なのかもしれません。

未来はわからないっていうのに、自我は興味しんしんでなんですね。
もう、これもどうしようもない。

どうしようもないし、わかりもしないのに、
この未来関心機能なくなると、占いだけではなく、天気予報も株価予想も、国交情勢も、企業コンサルも何もかも、必要なくなってしまうから、今の社会ではない別次元の社会になってしまいます。

意味はないけど、一応の関心を示し、人はついついそのための行動をとる訳なんですねー。

天気予報では雨なのに、雨なんか一滴も降らずに持っていた傘が邪魔になるなんてことが
しょっちゅう起こる訳です。

昔の予想の未来像だっていまいち惜しい感じ


おそらく1920〜30年代ごろの未来像

ファッション的に、日本でいうところの大正時代かな?と思います。

女性が自家用飛行機を運転し、男性のようにズボンを履いてタバコを吸って、それぞれがテレビ電話らしきもので通信している。
このテレビもないであろう時代に、テレビ電話という発想もすごい。

無線で通信するという発想がありえなかったので、有線になっているけど、この時代での知っている知識を駆使した未来像なので、今見るとんちんかんだけどある意味では当たっている。

この時代から100年後の今は、誰でもスマホを持って小型で無線でビデオ通話ができてしまう。
女性が日常的にカジュアルなパンツスタイルなのも当たっている。
残念ながら、まだ自家用飛行機はないけれど。


20世紀初頭の未来像、モニター画面で見る新聞
1940年代ごろの未来図、テレビショッピング


上は1900年代の初めのほうだと思います。

毎日の新聞を、こうしてモニターで切り替えれることができれば、いつでも読みたい記事を読むことができる。

ニュースを知る媒体が、新聞しかない時代にもっと読みやすければいいのにという願望から、未来像を描いたのでしょうね。

椅子の前に大きなモニターを設置しているので、少し前の大きなパソコン(Windows95の頃の)を思わせるので、あながちとんちんかんでもない。

でも、予想以上に今の時代ではテレビでそのままニュースを視聴できるし、スマホやタブレットで気軽にどこでもネットニュースを読むことができます。


下はおそらく1940年代ころの未来図。

主婦がキッチンで料理をしながら、洋服をテレビショッピングしている図なのでしょう。
マイクに向かって「あ、それいいわね!買うわ!」と言っているかのような絵。

キッチンにモニターと受話器付きのテレビを設置しています。
おそらく、各部屋にこんな感じのものがある想定なのでしょう。

でも、こちらも今はスマホやPCでショッピングしています。


昔の人が「あったらいいな」と思う未来図は
その当時の知っている知識からの延長線なので、こういう表現になってしまっているだけで、よくよく考えるとちゃんと「あったらいいな」は叶えられています。

でも、過去の人が思い描いたものとは、全く違う形で叶えられています。
もっともっと小さくて軽量で、無線で、バッグの中に入れて持ち歩けるサイズで。

今では、たくさんの携帯会社がさらに開発を進めていますけど、当時は想像もつかない訳です。
知らないから、知識にないので想定できないんです。


何度も言うけど「人は知っていることしか知らない」
知っていることだけで、未来を想像するからちょっとズレた発想をしてしまうんですね。

この時点では、将来にテレビができることも、テレビで情報を知ることも、その後有線ではなく無線で通信できるようになることも、充電もWi-Fiもパソコンもスマホもインターネットも全く頭の中に入っていない訳ですか想像できるはずがない。

それで、一喜一憂している訳です。
未来は全く、誰にもわからないのに。

人間の思考はつまり「知っていることだけで構成されている」訳なんですね。
しかも言語的な解釈で。



さよなら2022年


2022年も終わりです。
あなたは今年の初めに、どんな今年の年末を想像しましたか。

私はいつものように、どこか不安な未来を想像していました。

その当時(と言ってもせいぜい364日前)に持っている知識と過去の経験から
「知っているだけの知識」のみで勝手に未来を想像していました。

「このままじゃダメだ」「もうダメだ」…

こんな感じで、ネガティブな感情を持っていたように思います。

別に、今だって未来の想像したら「知っていること」だけで思考するのでネガティブ思考になると思います。

でも、やはり364日前には想像もしなかったことが起きて、それが要因となり
全く想像したのとは違う現状があります。

昨年と今年でちょっと違うといえば
「未来なんて、全く何もわからないんだ」ということがわかったと言うこと。

何が起きるかなんて、自分ではわからない。
自分でわからないことは自分で決められない。
自分で決められないことは、どうにもならない。

いつも自分に都合の良いことが起きるとは限らないし、
全く予想もしていなかった良いことが起こることもよくある。
知らなかった出来事にあい、知らなかった人を知って
知らなかった知識を得て、知らなかった気持ちを持ち
今まで知らなかったことに興味を持つ。

結果一年後には全然予想となっています。
気づくと「あれ?なんで今こんなことしてるんだったっけ?」
の繰り返しな訳だったんです、これまでも。

そう言う意味では、以前ほどの不安感はなくなりました。

良いことも悪いことも、自分の責任外のところで起きてしまうんだから
仕方がない。

だからこそ、良いことも悪いことも自分で責任持って引き受けるしかない。
(責任って言葉に違和感あります。よくよく考えるとこの言葉、変な概念ですよ)


いろんな知識人がいろんな情報を持っていて、いろんな発信をしています。

どれだけの有能占い師や有識者が、どれだけのエビデンスを持って
未来はこうなる!と断言したとしても、はっきり言えるのは「そうはなりません!」と言うことだけです。
これは、未来を誰かに決められてたまるか!とか言うことではなくて
普通に無理ですよねって話し。

天気予報もろくに当てられない人間に予想はできません。
それができるなら、テストの山が当たって誰でも合格しますし、競馬予想や株価予想が当たりに当たって、みんな大金持ちです。
でも、そうはなっていません。

信じる信じないの問題ではなくて、単純に無理。

バタフライエフェクトのように、どんな些細なきっかけで何が起こるかわからないし
蝶の羽ばたきくらいの小さな出来事なんて、今この瞬間に起きていること全てですから。

もしかしたら、あなたが今吐いたため息が、巡り巡って核ミサイルのボタンを誰かが押すことになるのかも知れないですね(笑)

ほんと、全て現象なんです。
現象と現象が絡み合っているだけ。
だから因果関係はないようでいて、全てが因果関係とも言えます。

全部自分の責任で引き取ったことでも、自分の責任なんて本当はない。
全部があるといえばあるし、ないといえばないことだらけ。

そんなことがわかった2022年でした。



意外と直感が知っている


意外と自分の直感が正解だったりします。

言語を持つ前から、危機察知能力が備わっているのなら
直感的に感じたそれが正解っぽいです。

「よくわからないけど」
「なんとかく」
「気づいたらそうしてた」
「無意識に」
「理屈抜きで」

こう言うのが直感です。
だから「根拠は?エビデンスは?」と言われても
わかるわけがないんです。

左脳側の言語思考ではなくて、ありのままを捉える右脳側からの
インスピレーションなので、
何かの違和感を察知したのかも知れません。
あるいは「臭い」とか「気配」とか「雰囲気」とか。

自分の周囲でなんとなくいつもと何か違う感覚をとらえているのしょうね。
でも、それを言語化しようとしてもできません。

でも、思考ではなくて身体が勝手に捉えているわけなので
無意識に勝手に危機回避しているから、みんな今日まで生き延びているわけです。

ほんと、自分の全く預かり知らないところで
なんとなく気分で別の道を通ったとか
たまたま忘れ物していつもの電車に乗り遅れたとか
そんなことで事故を免れた人はたくさんいますから。

予言や予想は思考的な分野です。
言葉で表現して、当たりハズレの結果予想です。

自分の身を守るのは、思考ではなくて身体が勝手に捉えて直感として
言語なく感覚で伝えてきます。
そっちの方が当たると思いますよ。

「よくわからないけど」
「なんとかく」
「気づいたらそうしてた」
「無意識に」
「理屈抜きで」
感じたことに「しっくりくる」

のであれば、きっとそれが正解です。

ちなみに私は数年前から「グレートリセット」と言う言葉が
しっくりきているんですけど、「グレートリセット」で検索すると
様々な解釈や説明があって、読むと逆にしっくりこない。

(違う。こういう感じのグレートリセットじゃないんだけどなあ)

そして2023年あたりに、その答え(ヒントだろうか?)が
「ああ、これのことだったんだ」って気づくような気がしてならないのですが
もちろん、これも言語化した予想。

未来はわかりません。そして予言も予報も占いも当たりません。

といいつつ、来年もまた初詣でおみくじをひくつもりです。
そして多分、それを見て一喜一憂するのです。

と言うわけで
よいお年を。



さよなら寅年







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