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エゴの囁き


思考のデモ行進



以前、
頭の中で大量発生した思考が勝手に大暴れし始めて、
手に負えなくなった時期があった。


まるで昔の学生運動の大規模デモのように
つぎからつぎに湧いてくる。
思考の騒乱。

思考たちはデモ隊と機動隊とに分かれて
それぞれがお互いに何か主張し、ぶつかりあっているような感じ。

こうしたい、
これをやりたい、
こうするべきだ、
こうあるべきだ、
こうなるはずだったんだ、
いや違う、
こんな方法もある、
正しい選択をすべきだ、
大人として、
社会人として、
いや、自由になりたいんだ、
だめだ、
もっと冷静に綿密な設計をするべきだ、
でも、
だって、
だから、
じゃあ、
どうすれば、
やっぱり、
もしかしたら、
もしもこうなったら、
ああ無理だ…!
もう死にたい…!

止まらない思考群。
荒れて暴れる頭の中央広場。

そんな、頭の中がうるさすぎる日々。

思考をとめる観念浄化ワークや瞑想をさんざんやった。

やるとやらないとでは効果が違う。
浄化ワークや瞑想で、一時的に静かになったとしても
またすぐにわらわらとザワザワと湧いてくる。

繰り返す思考同士の衝突。葛藤。

衝突するたびに、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなる。

結局、
どの思考を採用すればいいのかわからず、
どれが「私」なのかわからず、
自分の中で自分がどんどん引き裂かれていく。

途方もなく無力で無気力になり動けなくなっていく。
本気で死にたくなってくる。

そんな頃、非二元のメッセージを聞いた。

『そもそも「自我」は勘違い』

そのメッセージは
デモ隊と機動隊の熱くなりすぎたエネルギーを
ピシッと冷やしてくれた。

いきなり
消防車のホースで大量の水をかけられたような感覚だった。

一瞬、頭の中がブラックアウトし、
一時的に思考騒乱が止まった。

地面が見えないほど埋め尽くされた思考が減ったおかげで
その正体がはっきりしてきた。

エゴだ。

騒がしい思考たちのほとんどがどいつもこいつもエゴだった。

それがただの妄想のようなものだったと見抜かれると
急におとなしくなったような感じがした。

静けさとポカンとした虚しさ。虚無感。
祭りのあとの寂しさののうな感じだろうか。

とまどう思考たちの様子がわかる。

エゴが一時的にその役割を放棄した。

静けさ

 

1度静けさを知ると本当にすることがなくなる。

することがなくなると言うより
エゴが目指すところを失ってうろたえているのがわかる。


何かおかしい。
いつもと違う。
こんなで大丈夫だろうか
この状態は本当正しいのだろうか?

退屈
ひま


エゴはそれが大嫌いだ。

でもどこかで
それでも
こんなでも大丈夫だよ、
と小さく囁く何かがある。


とは言え
静けさに慣れないエゴは相変わらず忙しなろうと、
新たな理由を、ストーリーを製造し始める。


あれをやらなくちゃ
これをやらなくちゃ
〇〇をしなくちゃ
〇〇でなければ…
いつまでに


また考えている。
そこに気づくと
しばし思考停止になる。

そもそも
〇〇でなければ何なんだと言うのだ。

〇〇になったところで、
〇〇をしたところで、
その後どうなると言うのだ。

いつも思う。

〇〇の後に続くのは
また「〇〇」なだけ。


瞑想やワークで一時的に片付いても
また勝手に散らかっていく。

これをただずっと繰り返してきただけ。
日記や手記の記録は、だいたい同じような文章で
埋め尽くされている。

概ね
どうでもいいことか
全くの妄想を
さも現実に起こるかのようにありありと。
 
本当にエゴはおしゃべりでうるさい。


ネガティブ担当



もうひとつの悪い癖。

自分は幸せになってはいけないと言う勝手なルール。

ときどき発動してしまう。

同調圧力にも似た感じ。

もしくは

対岸の火事が気になって気になって、
人ごとではないような気がしてきて、
まだ、何も起こってないのに自分までうろたえる。

エゴは集団で
決めつけと押し売りをする。

ときどき、何かイライラするのはそのせいかもしれない。
見慣れた風景を変えられたくない。 

だけど
勝手に景色が変わっていくのが面白くない。

未知が怖い。
不安だ。

本当は変化の繰り返しなのに、それを認めたくない。


エゴの叫び声



エゴは器のようなもの。

過去と未来と言葉と思考でできている。
自分を守っているつもりの「ワタシ」という器。

なくてもいいのに
わざわざ「ワタシ」を作ったもんだから
その中に自分を証明できる何かを手当たり次第に放り込む。

その何かさえ、実体のない無意味なものなのに。

最近、エゴはそれにうすうす気づいている。

ボロボロになって
必死で守ってきた「自分らしき何か」は

実は何も自分の存在を証明できるものなどではなかった。

それでもエゴは
「ワタシ」は

見ないふりをする。
聞こえないふりをする。

今まで大事に守っていたそれらを、

無くしたくない
とられたくない
壊されたくない

価値がないなんて言わないで!
無意味だなんて言わないで!
ワタシの守っているものに触らないで!

悲痛な叫び声。
気の毒で見ていられない。
見ていられないのももちろんエゴ。

エゴは本当のことを聞いても
振り返る勇気がない。
振り返るが怖い。

だから
知らなかったふりをして
開き直る。

今までどおり
過去と未来を見回って
怖れと欲の両方で
「ワタシ」を使う。

求めるのは「ワタシ」
欲しがるのは「ワタシ」
掴みたがるのは「ワタシ」
苦しんでるのも「ワタシ」
動きたがるエネルギーが「ワタシ」

ワタシは自分を固定したい。
ワタシが「ワタシ」を縛ってる。

ワタシが手放さない「ワタシ」こそ実は幻想。

どこまでも自作自演。
どこまでもマッチポンプ。

そして
そこで見ている「ワタシ」のストーリーはその小さな噐の中でしか展開しない。
「ワタシ」の中にはエゴしかいない。


ここで起こっていることとに
「ワタシ」は関係ないのにね。

それでも今日も
「ワタシ」を中心に世界が回っている。

「ワタシ」にコペルニクス的転回が起こることはない。

ややこしいことに
そんな「ワタシ」がさっさと消えてくれ「ワタシ」と願っていること。

それが求めるエネルギーとなって邪魔をする。
自らに呪いをかけている。

どこまで行っても
不毛なループ。




エゴの囁き





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