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なでしこジャパン高倉麻子監督のインタビュー記事は、なぜ8000文字を超え、次回はどうなるのか?

明けましておめでとうございます。今年も #女子サカマガ WE Love 女子サッカーマガジンをお届けする石井和裕です。よろしくお願いします。今回は元旦0時に公開した高倉麻子監督のインタビュー記事が、なぜ8000文字を越えたのかについてご紹介します。そこには、私のある想いがあるのです(と私が勝手に思っている)。

元日は代表監督のインタビュー記事掲載が新聞の慣わし

2021年は東京五輪の年(1年前にも、そのようなことを聞いたような気もするが)。となれば、一年の計は元旦にあり、新聞各紙は代表監督のインタビュー記事を元日に掲載するのが慣習となっている。

5紙+時事通信社が高倉麻子監督のインタビュー記事を掲載

ネット検索では、以下の新聞社が記事を掲載していた。

●ニッカン(日刊スポーツ)
●報知新聞
●スポニチ(スポーツニッポン)
●東京スポーツ ※1月2日に掲載
●毎日新聞
※上記に加えて時事通信社による配信原稿を掲載した新聞社がある。

注目が低い元日記事

そこに加えて、掲載した……いや、先駆けて0時に掲載したのが #女子サカマガ だった。ただ、いずれの記事も、驚くほど注目が低かったことが、Twitterのリツイート数を見ると分かる。

リツイート数 1月3日7時40分現在
●ニッカン(日刊スポーツ) 3RT
●報知新聞 1RT
●スポニチ(スポーツニッポン) 1RT
●東京スポーツ ※1月2日に掲載 0RT
●毎日新聞 3RT
●時事通信社 0RT

何これ!? 大丈夫なの女子サッカー!? と思ってしまう数字が並んでいるが、どうやら、年明けはネットを閲覧する人が激減するらしく、女子サッカー以外のニュースも、あまり注目されていない。東京スポーツのツイートを見ると「【#天皇杯】川崎MF #三笘薫 V直結の決勝弾『ゴール前で冷静になれてよかった』」が2RT、「21年の角界は「日常」を取り戻せるか #相撲協会 が地方場所再開を急ぐ理由」が1RT、「#小池都知事 が #緊急事態宣言 要請へ 箱根駅伝では沿道に大勢の人『なぜ出歩く?』『密です』」は18RTとなっている。

ちなみに #女子サカマガ の高倉麻子監督インタビュー記事のツイートは6RTだった。

注目が集まらない前提で掲載されている元日のインタビュー記事

各紙の記事を読んでみた。文字数を見ると1000文字に達しない記事もあることがわかる。つまり、読者に新しい発見を提供しているわけではない、文字通り「新春のご挨拶」の記事であることが分かる。

では、なぜ #女子サカマガ の高倉麻子監督のインタビュー記事は8000文字を超えたのか?

理由は「元日の記事が注目を集めないなんて知らなかったから」

つまり、やり過ぎたのだ。かけた労力に対して、リターンがあまりに少なすぎる。もし、編集部に上司がいたら、きっと怒られたであろう。だが、上司はいないので、1年後も、同じようなインタビュー記事を掲載しているかもしれない。それが #女子サカマガ だ。

だが、なぜ高倉麻子監督は8000文字を超える程、想いを話してくださったのか? 話は2007年のJヴィレッジに遡る

2007年に行われた「Jヴィレッジオープン10周年記念アニバーサリーサッカーフェスタ」が私と高倉麻子監督の最初の接点だった。もちろん、現役時代の西が丘サッカー場で日興証券ドリームレディース戦や、国立競技場でオーストラリア女子代表戦等を観戦しているのだが、ご挨拶をしたのは2007年が最初だ。1997年にオープンしたJヴィレッジの10周年を祝うイベントで、JリーグOBらのエキシビションマッチやセレモニーの後に、東京電力女子サッカー部マリーゼとバニーズ京都SCがプレナスなでしこリーグの公式戦を行っている。そのテレビ放送の解説を行なったのが、当時は代表チームの指導を始めていなかった高倉麻子さんだったのだ。当時、福島県内では地上波で東京電力女子サッカー部マリーゼの多くの試合が放送されていた。高倉麻子監さんは福島県のご出身ということもあって、多くの試合の解説を担当していたのだ。

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2011年5月、赤坂で私は高倉麻子さんに夢を語った

次の接点は赤様だった。2011年、以前に、プレナスなでしこリーグのあるクラブで強化を担当していた友人の紹介である男性とお会いした。男性は、その後、女子サッカークラブの仕事にどっぷりと浸かることになる。その直後に「赤坂で食事会があるから来ないか」と男性の誘われた。二つ返事で承諾し参加した。2011年5月のことだった。直後に行われるFIFA女子ワールドカップ2011ドイツ大会への期待に話は盛り上がった。そして、私は、ある夢を語った。そして、その夢があるから、男性は、私は高倉麻子さんと引き合わせてくれたのだ。美しい夜景が眼下でキラキラしていた環境の中、高倉麻子さんのサッカーに対する考えの深さに引き込まれた。

プレーするリーグに関わらず全ての日本人選手を対象にした表彰制度を創設したい

プレナスなでしこリーグにはリーグ表彰がありMVPが選出される。しかし、2011年当時から多くの選手が欧州や米国に渡りプレーしていた。そんな全ての選手を対象にした表彰制度を創設し、女子サッカーの認知や理解を広げたいと私は考えていた。その考えを高倉麻子さんは肯定的に聞いてくださったのを私は記憶している。高倉麻子さんとは、その後も、何度かお会いしているが、あの赤坂での食事会の私の夢の話が、今でも少しばかりは印象に残っていて、今回のインタビューに十分に時間をかけてくださったのではないかと思っている。そうでなければ、そもそも、始まったばかりの小さなマガジンのインタビューが実現するわけがない。

私が語った夢は潰えていない

私が高倉麻子さんに語った夢は、その後、頓挫していた。協力者を求めたが「もっと別のことをやったほうが良い」「良い考えだけれど私は遠慮しておく」「私が投票できるとは思えない」「表彰の基準がわからない」「あなたがそれをやる大義名分がない」……。特に「基準」と「大義名分」の問題は、それから、いくつかの方法を考えたけれども解決しなかった。しばらくは夢は保留されていて、前に進むことはなかった。

ただ動き始めた #女子サカマガ が状況を一変させた。あのバロンドールフランスの名門サッカー専門誌「フランス・フットボール」が選定している(世界各国の記者の投票によるものだが)。 #女子サカマガ があれば「大義名分」は十分。「基準」は作れば良い。

再び、高倉麻子監督に夢の実現を語る時が来るだろう

実は、高倉麻子監督へのインタビューを終えてから「あれ? 大義名分は、これで十分だよね?」「基準は #女子サカマガ をベースに考えれば良いじゃん」と気が付いた。インタビューは、ときに頭の中を整理するのに役立つものだ。

2007年と2011年の話は過去の出来事だが、夢の話は見据えた未来で #女子サカマガ は現在進行している。これから、私の夢が現実に近づけば、その想いは、間接的に高倉麻子監督に伝わると信じている。

だから、その後に、また高倉麻子監督インタビューが実現したら、また8000文字近くになってしまうかもしれない、そんな気がする。

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