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若者よ、その肛門に意味はあるか


大学生3年になると突きつけられるもの、就活。

割とお嬢様の多い、都心の大学の英文科に進んだ私はキレイでリッチな同級生たちに2年間でしっかり圧倒され、女優になりたい(本当はとにかくテレビに出たいだけで演技に情熱なし)などとはそうそう口にはできなくなっていた。

そのため、就活どうする?という話題になったら、「昔からマスコミに興味あってさ、そっち系かな」
などと広い意味では嘘をついていない範囲で答えていた。

物心ついた時からテレビに出たい!とまっすぐに夢見て、ここまでまっすぐに何のキャリアもない現実に、この時本当に真面目に考えた。

そして、一旦、大好きなテレビの世界にいられるなら裏方でもいいかなあ…と、就活ではテレビ局の制作を目指すことに決めた。

今の事情は分からないが、その当時地上波のテレビ局員の採用は何万人と受けて若干名という超高倍率。
学歴優秀かつクリエイティブでなければならないため、マスコミ業界において人気でいうと最難関と言ってもよかった。

裏方のテレビ局員でもいいかなあ…
などと当時の石出、なんと図々しい妥協であることか。

そして裏方でも良いと言いながら、こっそりアナウンサー試験にも書類を出したことを15年の時を経てここに懺悔させてもらいたい。

アナウンサー試験は当然不合格だったものの、制作の方の試験は少しずつ駒を進めていけた。

他の業界に比べてマスコミ業界では筆記試験が特に難しく、中でも漢字、文学、時事、小論文が特殊であるとされていた。


ある時迎えたTBSテレビの筆記試験。

やはり難しく、漢字問題などはほとんど解けなかった。

たとえば「啓蟄」の時に出てくるものを答えなさい、という問題に対して、
(けいちつ/意味:二十四節気の第3。「冬籠りの虫が這い出る」という意)
私は読めもしないし意味も分からないから字面で何となく「カニ」とか書いていたくらい。

絶望的な漢字問題を終え、最後は小論文。
開始の合図で試験用紙を裏返し、その場でテーマを知り、それについて30分で書く。

その年のテーマは「金」について書きなさい、というものだった。

お金、金曜日、金メダル…
どれも平凡なものになってしまう…
テーマで悩んでいるうちに、時間は半分くらい過ぎていた。

金、金、金…

残り時間も少なくなり、追い詰められた私は思い切って「金玉」について書くことにした。

男の人は力も強く頼りになる。
しかしどんな優秀な男の人でもそうでない男の人でも等しく弱点がある、それがキンタマ。
弱点を正面に堂々と引っさげ、強いフリをし生活をする彼らを、私はとても愛しく思う。
女子は強い者の弱い一面、ギャップにこそキュンとするのだ。
金玉によって女の母性本能はくすぐられ、愛は生まれる。
金玉こそ人類繁栄、少子化問題解決希望の源なのだ、ああみんなのゴールデンボウル、金玉礼讃、金玉バンザイ!!


…というようなことを本当に書いた。


高い学費を払ってくれた親にはとても見せられない。


なのにものすごいスピードで書き上げた自分が恐ろしい。



半ばヤケクソでフィニッシュした筆記試験だったが、なんと通過できた。

純粋なSPI試験(一般常識学力テスト)はギリギリアウトくらいの出来だったと思うので、金玉作文のおかげだったと思う。

その後の面接も、最終的に残り20人というところまで進めたので、キンタマサマサマと言ってよかった。




TBSの試験の後にも、名古屋方面のテレビ局、中部日本放送(CBC)も受けていた。

面接が進んだ先に、またしても待ち受けていたのは小論文。

同じ試験システムで、こちらのお題は「門」。

ゲート、門出、笑う門には福…
どれも平凡なものになってしまう…
時間は半分くらい過ぎていた。


私は思い切って「肛門」について書くことにした。


就活で初めて訪れた名古屋駅のトイレで用を足したら、紙がない。(2006年当時)
私は思考回路が停止した。
盗難防止という観点から置いていないらしい。
世界の国の治安の良さは、トイレの壁の高さに比例するという。
治安の悪い国ではいつでも逃げ出せるよう、扉の上下は西部劇のバーテンの入り口さながらのオープン具合。
扉がなく、肛門公開スタイルの国もあるという。
その点日本は立派な個室にカギもある、ドアの隙間も2、3センチほど。肛門様はしっかり護衛される。
紙まで用意してくれなどと贅沢な話だ。名古屋の地では自ら用意するのだ。
我々の大事な肛門様のプライバシーと健康は自分で守るのだ。
この街で生きて行くことを決めた私は、痔を避けるため、おもむろに財布の中からレシートを取り出し肛門様をやさしく撫でた。


…というようなことを本当に書いた。

だいぶ汚い助さん格さんになりきった21歳女子大生の自分が恐ろしい。


再びシモ系小論文で筆記を通過した私。

次の面接ではノリのいい若い面接官の方に小論文を笑いながら褒められ、いよいよ最終面接まで駒を進めた。



扉を開けるといかにも重役といったご年配の役員が7人ほどズラリ。


私はキリっと表情を作り椅子に掛けた。


真ん中のロマンスグレーの役員様が、手元の資料を見ながら私に聞いた。



「この小論文は何の意味があって書いたんですか?」



意味…!?


肛門作文に意味…!?


あ…


あるわけないじゃん…!!!


と、久しぶりのお通じのごとく押し寄せた答えを、すんでのところで引っ込めた。


しかしまともな回答は出来ずじまい。


元がまともな小論文ではないので仕方がないのだが。



そこから一気にしどろもどろになってしまった私は最終面接に惨敗し、尻尾を巻いて東京へ逃げ帰った。






この時に肛門作文の意味をしっかり答え合格し、憧れの局員となっていたら、おそらく私は芸人になっていなかったと思う。


そういった意味では、当時意味などなかった肛門作文にも、意味はあったと言えるのではないだろうか。


若者よ、テレビに出る側を諦めないための、意味のある不合格だったのだ。





なんだか肛門の引き締まる思いだ。







意味はありません。
















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