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川を渡って向こうの岸へ

私の長女は、知的障害、てんかん、躁病である。
長女が生まれるまえには、意識しなかったことがたくさんある。
そのひとつが、支援者側と、当事者側との間にカウンターのようなものがあるということだ。
実際に、カウンターが存在するわけではなく、こちら側とあちら側を隔てる見えない何かがあるように感じる。
これは、たぶん、支援者側からは意識されないことかもしれない。
実際、私も長女が生まれるまでは意識したことなどなかった。

そして、それはもっともっと深い川のような大きな存在として、感じられるようになってきた。
長女が成長するにつれて、明らかになってきた躁病という障害は、とても大変な障害である。
躁病は家族をも壊すと言われるほどの障害であり、長女は知的障害もあるので、コントロールがとても難しく、本人、家族ともども、普通の生活は望めない状態が続く。

実は、学生時代の私は、支援者側の人になろうと思っていた。
しかし、現実はそうはいかなかった。長女が障害者だったからだ。
こちら側とあちら側の間にある、深くて流れが急な川。

そのような葛藤を抱えながら生きてきた私が巡り合った映画。
「モーターサイクル・ダイアリーズ」

若き日のチェ・ゲバラが、12000キロの南米縦断の旅をする物語である。
医大生のエルネスト(ゲバラ)は、友人のアルベルトと共に、オートバイに乗って旅にでる。
そして、いろいろな人々に出会い、さまざまな出来事を体験する。
それらの体験は、医大で学ぶだけでは決して知らなかったことばかりだ。


24歳の誕生日の夜、ハンセン病の医療者側の施設で、誕生日祝いをすることになった。
その施設はアマゾン川をはさんで、北側が医療者側の施設、反対側が患者の生活する隔離病棟だった。
映画は1952年のペルー。
日本では1953年にらい予防法ができて、隔離が強制されていたころだ。
エルネストは、湧き上がってくる思いを隠すことができず、一人で、夜にアマゾン川を泳いで渡り始める。
ぜんそくの持病があるにもかかわらず。
広い広い川幅。
一人で、もくもくと泳いで、患者たちが暮らしている向こう岸へ渡ろうとする。
患者たちとも、誕生日を祝いたかった。

エルネストは、安全なこちら側でとどまることができなかった。
どうしても、向こう側に行きたかった。
そして、こちら側と向こう側をつなぎたかった。

こちら側と向こう側は、分断されていていいものではないと思って。

私はこのシーンを見たとき、そうなんだ。
私が感じていたことは、こういうことだったんだ。
この気持ちを映像化してくれた監督に感謝した。

川の向こう岸では、患者たちが、エルネストが泳いでくるのを、応援している。
患者たちも待っていたのだ。エルネストの心意気を。

エルネストがアマゾン川を渡ってから、もう、70年ほどたっている。
では、支援者側と当事者側との間の川はどうなったのか。
残念ながら、深くて広い川はまだ存在している。
しかし、私は、自由に川を行ったり来たりしている。
支援者であり、当事者の親であり。

そして、最近では、行ったり来たりしている人がすごく増えてきた。
川は、年々深くなってきているけれども。


モーターサイクル・ダイアリーズ
2004年
ウォルター・サレス監督
  セントラルステーションもすごくいい映画です。
エルネストを演じた、ガエル・ガルシア・ベルナルはいい俳優さんです。


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