たまには閉じるけど、心を広げてみる。
どちらかといえば、閉じこもりがちで、人と接するのが苦手な私にとって、
大勢の人と会った後は、静かに心を休める時間が必要になる。
しばらく、ひとりで、心を休めているとやっと、自分に戻ることができる。
その、戻った自分というのは、心が安らかに戻った自分、もともとの自分ということである。
もともとの自分はややこしい。何十年も生きてきたのだから、紆余曲折を経て、うねったり、くねったり、それでいて曲げることのできない直線であったりする。
どこにも行きたくない。
誰にも会いたくない。
何もしたくない。
人間だからそういう時もある。
でも、やりたくても、それができないのが障害者の母である。
子どもが小さいときは、病院探し。
ご近所への迷惑のお詫び。
学校の先生とのやり取り。
大きくなってからは、社会参加するための軋轢との葛藤。
歳をとってからは、親亡き後の心配。
大体が、お詫びとお願いとで、頭を下げるばかりの日々だ。
そして、毎月必ずあるのが通院のつきそい。
毎日必ずあるのが、服薬管理。
そして、衣食住、睡眠、すべてのケア。
朝起こして、生活介護に送り出す。
たまには、もう何もしない日があってもいいんじゃないかな。
しかし、そういう日はこない。
障害のある子が先に死んでしまったりすれば、私は障害者の母ではないただの人になるけど、まあ、この医学が発達した世の中では、そんなことはなかなか起こりえない。
医学の発達と社会の発達は比例しないから、未熟な社会で、何とか知恵を絞って生き抜くしかないのが、障害者とその家族なのである。
だから、たとえ、障害のある子が、日中活動で、家にいなくても、母親の心の中には障害のある子は存在しているから、全く一人きりにはなれない。
しかし、このつらくて、悲しい事実が、ある意味母親を助けている。
それは、心を広げることができるようになるという事実だ。
これは、もうどうしようもなく心を広げなくては生きていけないから、そうなったというだけかもしれない。
世界には限りがあり、自分の生きている世界には、さまざまな障害がある。
生きていくための障害である。
貧困とか、学閥とか、差別とか、いじめとか、世間体とか、いろいろな障害が、自由に生きていきたい人々の前に立ちはだかる。
その障害は、まあ、最近は社会モデルともいうようになってきたので、周知の人もごくわずかだけどいる。
障害だらけの世界は、いわゆる「普通」の人びとが生きていける世界である。
穴ぼこを飛び越え、段差をすいすいまたぎ、スピードをあげ、生産性を上げられる「普通」の人びと。
(実際にはそんな人々は存在していない。幻想なのだが。)
そんな、障害だらけの世界で生きていくためには、自分の世界を広げていくしかない。
狭い料簡。
堅苦しい規則。
根拠のない伝統。
そのような世界で自由に生きたければ、自分の心の中に広い世界を作っていくことだ。
心の中は広くて暖かくて、そよそよ風が吹き、居心地がいい。
自分の心を狭いままにして、そこに自分を閉じ込めておくのでなく、ありのままの心で、広い世界を見つめながら生きてきたから、心地よい心の世界の広がりを得ることができたのだ。
現在の障害だらけの世界で生きていくことができるのは普通の人びと。
障害のある人やその家族が生きていくことができるのは、もっともっと広い世界なのである。