だのに、なぜ、歯を食いしばり
1960年代のドラマに、「若者たち」というのがありました。
見たことのない人は多いかと思いますが、主題歌は歌えるという人がいます。
たとえば、小学校の担任の先生が、この主題歌がすきなので、クラスで歌っていたという人もいます。
また、母親が家で「若者たち」の主題歌をよく歌っていたので、自分も歌えるという人もいます。
そうなんです。
ドラマは見たことが無くても、主題歌は歌えるという人がいるのです。
この主題歌の、肝は、
「だのに、なぜ」というところだと思います。
ただ、「なぜ」と問うのでなく、「だのに」と前につけることで、「そんなに大変なのに、」という前提がはっきりするのです。
そんなに大変なのに、歯を食いしばってまでも、なぜ、君は行くのか。
これが、「若者たち」のテーマで、すべてを要約しています。
つまり、このドラマは、毎回、
「そんなに大変なのに、なぜ、歯を食いしばってまでも生きていくのか?」ということを繰り返しているのです。
「だのに」という言葉ですが、私はあまり使いません。
「だのに」というと、「それなのに」という意味よりも、もっともっと強い、もしくは、「それ」を否定しているかの如く感じます。
本当は、それ、あるいはその状態が嫌で嫌でたまらなくて、受け入れられない。
だから、簡単に「そういうわけなので」と、言い切ることができない気持ちがあるのではないでしょうか。
「若者たち」のドラマは、現実の貧困だとか、差別だとかを受け止めることができない。だけども、生きるしかない。ってことがテーマだったんだと思います。
だから、派手なちゃぶ台返しや、兄弟の取っ組み合いの喧嘩のシーンが毎回あったのでしょう。
嫌だったんですね。あの時代。
だからといって、昭和が令和になっても、現実はさほど変わっていないのですが。
ちゃぶ台返しと言えば、昭和。
最近は韓国ドラマの「机の上のものすべて、手で払って派手に落っことす」があります。
パソコンだろうと、重要書類だろうとなんでも、かんでも、落っことします。
「ペントハウス」のドラマでは、何台のパソコンが、落っことされたでしょうか。
韓国ドラマの机の上ひっくり返しは、「むしゃくしゃした、くやしい、深い嫉妬、復讐心、プライド傷つけられた感」などによる、感情の高ぶりによる行為です。
誰でも、本当は、(いつもいい人してる人は特に)、破壊行為をドラマが自分の代わりにやってくれてるんで、ついつい、毎回、見てしまうのかもしれません。
ドラマを見ることで代償行為が少し減るのかもしれません。
いや、ドラマを見ることが、もう代償行為だから、韓国ドラマは中毒性があるのかもしれません。