同志少女よ、敵を撃て
逢坂冬馬のデビュー作にして、アガサクリステイ賞受賞作の
「同志少女よ、敵を撃て」は、1942年、激化する独ソ線に狙撃兵として加わった少女たちを描いた作品である。
ソビエト連邦で母と共に、狩りをして暮らしていたセラフィマは、急襲したドイツ軍に、母親をはじめ村人たちを惨殺されたところを、赤軍の女性兵士イリーナに救われ、狙撃兵になるための訓練校に送られる。
訓練校には、モスクワ射撃大会優勝者のシャルロッテ、
カザフ人の猟師、アヤ、
三人の子供を戦争で失ったヤーナ、(通称はママ)
ウクライナ出身のコサック、オリガ達がおり、毎日厳しい訓練に明け暮れる。
やがて彼女ら狙撃学校訓練生は、スターリングラードの激戦地の前線へ向かうことになる。
まだあどけなさの残る10代の少女たちが、ドイツ兵を殺すために銃口を向ける姿の落差が、とても悲しい。
スターリングラードは、ドイツとソ連が激戦を重ね、街並は焼けつくされ、ヴォルガ川は燃え上がる火の海と化した。
スターリングラードからヴォルガ川を渡って東へ逃げようとする民間人たちが次々とドイツ軍に撃沈されていく。
あ、この光景。かつて見たことがある。
ありありと、よみがえるスターリングラードの光景。
と思ったが、それは
「ヴァシーリー・グリゴレーエヴィッチ・ザイツェフ」の名前が出てきたことで、思い出した。
ウラル山脈の狩人、ヴァシーリーは、ジャン・ジャック・アノーの映画
「スターリングラード」の主人公だ。
つまりこの小説を読んでいて私が、見たことのある景色だと思ったのは、映画の「スターリングラード」の激しい戦場のシーンが忘れることなく、記憶されていたからだろう。
ウラル山脈の寒冷地で、雪の中で、オオカミを狙うシーン。
燃え上がるヴォルガ川を船が渡るシーン。
忘れられない映画の一つだ。
なにより、ソビエト連邦の歴史、地理、ユーラシア大陸の長い歴史は、なかなか複雑で理解するのが難しい。
そこを、とても読みやすく、書き上げた逢坂冬馬。会社員が本業だそうだ。
この若さで、会社員しながらこの大作を書いたなんてすごい作家さんだ。
「戦争は女の顔をしていない」と言う本を読んで、刺激を受けたとのこと。
そして、印象に残る映画を仕上げてくれた、ジャン・ジャック・アノー監督。
彼らのおかげで、人々を不幸にするだけの闘いについて、考える機会を得ることができた。
でも、これは、過去の出来事で終わってはいない。
今でも、世界のあちこちで、闘いが行われている。
そして、本当にまだあどけなさの残る子どもたちが戦争に駆り出されている。
その事実は、小さなかけらとなって、私の心をちくちくと刺す。