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「おやげねぇことした」謝る母

介護施設に入ってから、記憶もあやふやとなってきている母が、突然、「〇〇オ(長男)に謝っておかなきゃ」と言い出した。
長男が小学生時、登校前に玄関を掃除するのが仕事だったが、その日はしなかた。母は皆と連れ立って登校しようとしていた長男を連れ戻し掃除をさせたという。それを「おやげねぇことした」と悔やんでいる。半世紀前のこんなに些細なことをなぜ今になって悔やんでいるのか。
思い当たることが一つあった。長男が高校の時、訳知り顔の知人に「長男を大学にやると、もう地元には帰ってこない」とそそのかされ、大学ではなく技術専門学校に入学させた。卒業後は優秀な技術者として立派に仕事をしたのだが、大学に行かせなかったことを「おやげねぇことした」と何度も悔いていた。その象徴的場面が、通学を遮って掃除をさせてことになったのだろう。
私にも謝らなきゃと言い出した。私が小学生時、母に叱られ家出をしたことがある。自宅裏の小屋に潜んでいただけなのだが、暗くなるまで必死に探したという。叱ったこと、家出に追い込んだことを「おやげねぇことした」と。「そんなこと…」としか答えられなかった。そんなことに思い煩っている母の心の内を思った。
80年以上生きてきて、まばらになっていく記憶の中で消し難いものがあったのだろう。子供に謝ってから死にたいと思った。私はその何十倍も父母に謝りたかったことを抱えているが手遅れである。


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