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正岡子規:正岡律の強くて静かな介護

正岡子規の妹、正岡律に強く惹かれる。早坂暁は「最強にして最良の看護人」と評した。
子規は肺結核から脊椎カリエスとなり、六畳間に寝たきりとなる。背中にはいくつも穴が開き脊椎カリエス病巣からの膿がじくじくと出てくる。
子規ははじめて腹部にできた穴を見たとき、小さな穴と思っていたら、がらんどうとなっていて、気持ち悪くなり泣いたと書いている。

律は毎日悪臭を伴うガーゼを替える。食事の支度、下の世話は言うまでもない。
そんな律に対して、子規は「強情」だの「気が利かぬ」だの、はては「精神的不具者」などさんざんな言いようである。「だからこそ一層可愛く思う情に耐えず」と書き添えているが。
律が子規に口答えする場面は『仰臥漫録』には出てこない。律にはすべて当たり前のことだったのだろう。「なんで私が」とは露とも考えない。
律は鳥籠の前でカナリアを1時間でも2時間でも何もせず眺めていた。何を話しかけていたか。決して子規への恨みではない。真にカナリアをそして子規をいとおしく思っていただろう。
律は子規の目の高さから庭を楽しめるように糸瓜や鶏頭など様々な花を植えた。子規の世界はそこから創られた。

子規はおそろしく大食いである。
朝 粥四椀、はぜの佃煮、梅干
昼 粥四椀、鰹のさしみ一人前、南瓜一皿、佃煮
夕 奈良茶飯四椀、なまり節、茄子一皿
二時牛乳一合ココア交ぜて 煎餅菓子パンなど十個ばかり
昼飯後梨二つ
夕飯後梨一つ

どうだろう。毎日、これが最後の食事と思っていたかのようである。特に菓子パンが好きだったようだ。柿も大好きで大きな樽柿を一度に十六個食っても何ともなかったらしい。
律と母は台所の隅で香の物ばかりを食べていた。一品あれば足りていた。
子規は食後吐き返すこともあり、下痢することもある。「排便山盛り」の記載もある。
こんなに食べるから、こんなに出るのだ、と排便の始末をしながら減らず口のひとつもいいたくなるが、律は黙って処置をした。

母もいい。病気や痛みにいらだつ子規は時々癇癪を起す。子規が精神が変になり苦しがって「たまらんたまらん、どうしようどうしよう」と煩悶していると、母は「しかたがない」と静かな言葉。

子規が亡くなった時、律は子規の背中のガーゼをなで「兄さん、兄さん」と泣き、母は「もう一度痛いと痛いというとおみ」と泣いた。

「当たり前」、「しかたない」最強で静かな介護はこうして終わった。

子規は自分の葬儀の心配をしている。部屋が狭いのに二、三十人も詰めかけたら柩の動きもとれない、戒名は長たらしくて困るのでいらない、柩の前で空涙は無用など。
墓碑銘も自分で考え最後に月給四十円と書いている。

私は俳句の愛好家ではないが、好きな子規の俳句を挙げてみる。
     歯が抜けて筍かたく烏賊こわし
     渋柿は馬鹿の薬になるまいか
     秋の蚊のよろよろと来て人を刺す


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